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審問

第76章

 レオナルドの予想通り、監視していた質屋のいくつかに宝物が持ち込まれたとの報告を受け、エリザベッタが捕まりました。彼女はよく出入りしていた仕立屋の職人も窃盗団の一味でした。

 その仕立屋は、法王庁御用達の店で、代々法王や枢機卿の方々の服を仕立てていたため、その職人も頻繁に法王宮に出入りしていたのです。

 仕立屋の主人は、レオナルドから事件の経緯を聞き、真っ青になりすぐその職人の居場所を教えましたが、一足先に逃亡された後でした。一方エリザベッタは逃げ遅れたのか、それともの職人の男から見捨てられたのか、ローマ市内から脱出する前に衛兵に捕まったのです。


 捕まったエリザベッタは、審問を受けましたが、ずっと黙秘を続けていました。肉体的に弱い女性に対して変に拷問で自白させようものなら、かえって情報を聞き出すことはできません。それに当初、レオナルドは一見おとなしくて地味なエリザベッタの風貌から、好きな男から欺されるか強制されるかして、犯行の及んだのではないかと考えたのです。そこで一緒に仕事をしていてエリザベッタとは打ち解けていたはずのジュリエットが相手ならば、心を開いて自白するのではないか、と考えました。


 レオナルドから情報を聞き出す手伝いをして欲しいと要請され、ジュリエットは最初はさすがに戸惑いました。すでにヴァティカン内では盗難事件の犯人が捕まったらしいという噂は流れていて、宝物庫に出入りしていた修道女見習いの3人も怪しいのではないか、という陰口を耳にしていたのです。

 開けっぴろげな性格のマルタからは

 「気にしないでいいわよ。ちゃんとした犯人の発表はあったら、噂話なんてみんなすぐに忘れちゃうし」

と言われたのですが、なかなかジュリエットは気にしない、ということが出来ないでいたのでした。もうこれ以上関わりあいたくないという気持ちと、盗難を見抜けなかったのは自分の責任という気持ちで揺れていたのです。


 -でも、そもそもの原因は、私があのジェローム様からの贈り物を宝物庫に保管させて欲しいなんてわがままを法王様にお願いしたのが、いけなかったんだわ。-


 結局ジュリエットは、その責任感の強さから、レオナルドと同席で行うこと、辛くなったらそこで審問を中止してよいことを条件に、審問の場に立ち会うことにしたのです。


 狭い審問の部屋にレオナルドに続いてジュリエットが入ってきても、奥に座るエリザベッタは向こうを向いたままでした。

 「本来なら窃盗の罪により、サンタンジェロ城の地下で一生幽閉だが、正直にこちらの質問にすべて正直に答えるなら、国外追放で済ませよう。」

 レオナルドがエリザベッタに言うと、彼女はこちらを向き、そしてジュリエットをにらむように見たのです。


 【エリザベッタ、教えて。もしかして、あなたは誰かに頼まれて盗んでたのではないの?あなたがそんなことを自らするなんて思えない。】

 そうジュリエットが書いた紙を、横のレオナルドが読み上げましたが、エリザベッタは黙ってこちらを見るだけです。

 【私は三人で過ごした宝物庫での休憩時間が懐かしい。あのときのエリザベッタもマルタの話を聞いて笑っていたでしょう? あのときのエリザベッタは楽しそうだった。】

 【なぜそんな危険なことをしたの? 私はあなたとずっと働いていたけれど、あなたが何かに不満を抱いているとか、悪いことをしようとしているとか、そんなそぶりは全く感じなかった。誰かに弱みを握られて、強要されてやったことではなかったの?】


 続けざまに読み上げられた問いに、エリザベッタはやっと一言つぶやいたのです。

 「恵まれた人間には、私の気持ちなんてわからないわ・・・。」


 「恵まれた人間? アガタが恵まれた人間だと言うのか?」

 「そうよ、秘書館長殿、彼女だけ個室をもらえて、法王様にも気に入られて。私と違って容姿も素晴らしいし、みんなから大切にされ、かわいがられている。特別扱いだわ。」

 「何を言っている? アガタは孤児院で育ったんだぞ。幼い頃の事故で口もきけないし、有力な貴族や資産家の後見があるわけでもない。自分自身の努力で読み書きや、薬草治療を学んで、今ここいるんだ。」

 「あら、秘書館長殿はご存じないのね。毎晩、法王様に取り入るために、彼女がしていることを。快感を与えるための特別なマッサージをしていらっしゃるんでしょう?」


 違います! そんなマッサージは一切していません! 


 どんなにそう叫びたかったか。でもジュリエットは拳を握りしめて耐えました。


 「それに、最近ジュリエットの特別の治療のせいで、法王様の体調が悪くなっているって、もっぱらの噂よ。もしかしてアガタ、あなた少しずつ、毒を盛っているのじゃないの?」


 パシン!と乾いた音がしました。思わず立ち上がったレオナルドがエリザベッタの左頬を平手打ちしたのです。

「どうして私だけを疑うのよ! もしかしてアガタが盗んだかもしれないでしょ。彼女が宝物庫の鍵を持っていたのだし、作業時間以外に忍び込んでいたかもしれないじゃない!マルタだって怪しいわ!」


 男に捨てられ自分だけが捕まってしまった腹いせからか、それからもエリザベッタはジュリエットに罵詈雑言を浴びせ続け、ジュリエットは、小刻みに震えながらも涙がこぼれないように必死に上を向いて耐えていました。その様子を見て、レオナルドは

 「アガタ、あなたはもういいよ、自分の部屋に下がりなさい」

と声をかけました。


 『エリザベッタからあんな風に思われていたなんて・・・』

 今まで人からどう見られているかなど考えたことのなかったジュリエットは、あの怪我をした晩より精神的なショックを受けてしまいました。審問の部屋から自室に戻る途中、ふらふらと歩いていたジュリエットの姿を見かけたマルタが声をかけてきました。

 「どうしたのアガタ、もしかしてエリザベッタに会ったの?捕まったって聞いたわ。何か酷いこと言われたの?」

 ただ涙を流すだけのジュリエットにマルタは、半時間もの間ずっと慰め励まし続けてくれました。しかし翌日、ジュリエットが審問の場に参加したことで、

 「もしかしてアガタが真犯人なのではないか」

との噂話が流れたのです。ついにジュリエットはマルタのことも信用できなくなってしまったのでした。


 もちろん、盗難事件にまつわるさまざまな噂話はロバートの耳にも届いていました。アガタは法王猊下だけでなく、秘書館長レオナルドまでたらし込んでいる、と面白おかしく揶揄するような噂話まで伝わってきていたのです。ロバートはジュリエットがレオナルドにも相談できず、さぞや落ち込んでいるだろうと気をもんでいました。またフィリップも、マッサージ治療にやってくるアガタの様子が日に日に暗く落ち込んできていることに、心配になっていました。


 「猊下、アガタ様を私が元気づけるために、お会いする許可をいただけますか?」

 ついにロバートは意を決して、フィリップに申し入れたのです。

 「あの時、怪我をしたアガタ様をたまたま見つけ、レオナルド殿の執務室までお届けしたのは私です。彼女が潔白であることは、私が一番判っております。お慰めして差し上げたいのです。いま彼女の周りは信じられる人間がいなくて、敵だらけという状態でしょう。あまりにもおいたわしくて。」


 さすがのフィリップも、ロバートがアガタに好意を持っていることぐらいは察していました。以前、アガタが市内へ薬の買い出しをした帰り道、ロバートが彼女の荷物を持って、二人仲良くヴァティカン広場を横切っているところを、たまたまバルコニーから見かけたことがあったからです。あのときは単に親切なロバートの行動だと思ったのですが、最近はアガタのことが気になっているのは明白でした。


 そしてフィリップもアガタのことを案じていたのです。

 ヴェネツィア大使からの推薦ということで来てもらっていましたが、立派は宝飾品と思われる品を親族から形見分けされるような家、つまり貴族の家の出身ではないかと思っていたのです。そもそも文字の読み書きができ、話しているときの知識と教養の深さからも、普通の庶民の出ではないことは明らかでした。そんなやんごとない身分の純粋で優しいアガタが、ひどい誹謗中傷のまとにされているいま、ここから解放してあげた方が良いのではないか思い始めていたのです。

 『飛躍しすぎかもしれないが、ロバートの婚約話は棚上げになったままならば、案外、アガタはロバート殿のお相手としてふさわしいのかもしれない・・・。』

 ロバートからの異例の提案ではありましたが、フィリップ自身もあまりにアガタが不憫だと感じていたので

 「彼女が嫌がらなければ、たまに話を聞いてあげて、慰めて欲しい」

とロバートに頼んだのです。


 エリザベッタの審問から数日後の午後、ジュリエットが突然フィリップの私室に来るように呼ばれて向かうと、そこに、はフィリップとともにロバートが待っていました。

 「アガタ、急に呼び出してすまない。実はロバート殿とプライベートな食事の約束をしていたのだが、急にレオナルドと火急のことで相談事が発生してしまった。よければロバート殿のお相手をしてくれないかな。」

 久しぶりにロバートに会えて、嬉しそうに頬を赤らめたアガタを見てから、フィリップはさっと部屋から出て行ったのです。


 もちろんジュリエットは、フィリップの言い訳が見え透いた嘘だということはすぐわかったのですが、慈しむような表情で「おつらかったでしょう。私は一番のあなたの味方ですよ。」

とロバートに言われて、思わず泣き出してしまったのでした。

 そしてロバートはあのときのように、ジュリエットを優しくハグし、子どもをあやすように背中をポンポンと軽くたたいて落ち着かせてくれました。

 「何も言わなくてもいいよ、ジュリエット。大丈夫だよ。私は何があってもあなたを信じている。」


 ずっと寝不足だったのでしょう、ジュリエットは安心したのか、そのまま食事もとらず、ロバートの膝の上で眠ってしまいました。


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