隠し部屋
第74章
その隠し部屋は窓のない空間で、中は真っ暗でした。
すっかり日が落ちてしまったことに気がついたジュリエットは、挫いた足首が腫れて、じんじんと痛みはじめてはいたのですが、ろうそくの灯りを持って中に入ることにしました。
その部屋はあまり広くないようでしたが、何か隅に大きな荷物のような塊があるようでした。そのときのジュリエットは未知の怖さより、紛失したものを見つけ出したい気持ちが勝っていたのです。
その荷物の塊にゆっくりと近づくと、ろうそくの光を受けて、キラリと何かが光ったようでした。
-何かしら?宝石か何かのような・・・。-
それは、金や宝石が象嵌された、宝剣の鞘のようでした。ほかにも何かあるのかとさらに近づいて、ジュリエットは思わず小さな叫び声を上げてしまったのでした。
その宝剣を抱えて座り込んでいた白骨死体を見つけてしまったからです。
震えながらも、なんとか秘書館長のレオナルドに報告しなければと、ジュリエットは隠し部屋を出て、震える手を抑えつつ、必死に宝物庫の奥に隠し部屋があり遺体があったこと、そして盗難されたものがあったことを紙に書いて、くじいた足を引きずりながら宝物庫に鍵をかけ、外に出ました。
宝物庫とレオナルドの執務室はとても離れていたのですが、壁に手をつきながらよたよたと廊下を歩くジュリエットを偶然、ロバートが見かけたのでした。
「ジュリエット!大丈夫か?どうしたんだ!」
駆け寄ったロバートは、ついジュリエットの名で呼びかけてしまいました。幸い周りには誰もいなかったのですが、ジュリエットはそれを訂正することも忘れ、弱々しい声で、秘書館長のレオナルド様のもとへ連れて行ってくださいとロバートに頼みました。
「失礼。これが一番早いので」
そう言うと、ロバートはジュリエットを抱きかかえて廊下を歩き出したのです。
幸いなことにレオナルドは執務室に在室中でした。ジュリエットを抱えたロバートの姿に、下僕が驚きつつ来訪を告げると同時に、ロバートは執務室に押しかけました。
「大使殿、これは? アガタ、どうされた? 昼前に鍵を戻しに来ないから、心配していたのだが、私も先ほどまで戻れずにいたのだ。宝物庫で何かあったのか?」
ロバートがジュリエットを下ろして優しく近くの椅子に腰掛けさせると、ジュリエットはレオナルドを必死の思いで見つめながら紙と宝物庫の鍵を差し出します。
差し出された紙を一読するとレオナルドはロバートに「大使殿、すぐ人を呼ぶので、それまでアガタのそばにいていただけないか」と頼んで、宝物庫に急行したのでした。
「足が腫れているようだ。すぐ冷やさないと。誰か、冷たい水ときれいな布を持ってきてくれ! 今すぐに!」
ロバートの強い口調に慌てて、そばにいたレオナルドの下僕が飛んで出て行ったのを確認してから、ロバートは優しく話しかけました。
「ジュリエ・・・アガタ。大丈夫か? 痛みは耐えられそうか?」
「ありがとうございます、ロバート様。だ、大丈夫でございます。腫れをとるクリームと痛みを和らげる薬湯を・・・持っておりますので、ご、ご安心ください。」
「何かあったんだね。かわいそうに・・・」
微かに震えているジュリエットを優しくハグし、子どもをあやすように背中をポンポンと軽くたたいて落ち着かせようとするロバート。それはかつて自分が病弱だった少年時代に、マリアンヌがよく眠れるように、と毎晩してくれた手当のひとつでした。
秘書官長に似つかわしくない勢いでレオナルドは宝物庫に駆けつけました。
「驚いただろうに、ちゃんと鍵を掛けてから私に報告に来るとは、アガタは冷静な女性だな。おかげで秘密裏に処理できそうだ。」
そうつぶやきながらレオナルドは一息ついてから鍵を開け、中に入り、すぐまた鍵を閉めました。月明かりのなかで見ても、最初にアガタを連れてきたときのカオスなときに比べたら、なんと美しく整った部屋だろうと感心したのもつかの間、部屋の隅に、半開きのような状態になった壁が目に入りました。
「あんなところに隠し部屋があったとは。。。」
そのとき宝物庫のドアをノックする音が聞こえ、宝物庫に向かう途中の廊下で捕まえた下僕が、頼んでおいたランプを持ってきました。その下僕からランプを受け取ると、そのまま外で待つように指示し、レオナルドはもう一度宝物庫を施錠しました。
実はこのときレオナルドは、宝剣を抱えた遺体と聞いて、思い当たる人物がいたのです。まず、遺体の確認をしようと、ランプを持って、部屋の隅の入り口から入ると、報告を受けたそのままの白骨化した遺体がありました。
「やはり。。ここにいらしたのですね。何故こんなことに。。。」
抱えた状態になった宝剣を外し、遺体を水平に横たえたあと、外で待たせていた下僕に改めて毛布2枚と担架を持ってくるように命じました。
「私はしばらく出て用事を済ませてから戻るから、それまでドアの外で待っていてくれ。」
レオナルドは、そのまま法王の私室に向かいました。まずは遺体発見の報告を優先しなければと考えたからです。
詳細な報告を受けたフィリップは騒ぎにならないように、宝物庫はしばらくの間厳重に閉鎖し、事態の収拾をレオナルド命じました。
「そうか、ご遺体はどなたか判っているのであれば、今日中に埋葬して差し上げよう。私が内密に葬儀ミサを行う。用意を手伝ってくれ。詳しい報告は明日でよいから」
「承知いたしました。」
「発見したのはアガタだったのだね。彼女は大丈夫か?」
「はい、足を挫いてしまったようですが、すぐ手当をさせた上で、落ち着いたところで、経緯を詳しく聞いておきます。明日は自室で休ませます。」
ロバートとともにレオナルドの執務室にいたジュリエットのところに、マルタがジュリエットを迎えにきてくれました。
「まあ、アガタ、足を怪我してしまったのね。かわいそうに!」
話せないジュリエットの代わりにロバートが答えました。
「先ほどまで挫いたところを冷やしていたので、腫れは引いてきたと思う。申し訳ないが、彼女を部屋まで送り届けてくれないか?本人の部屋に塗り薬や痛み止めの薬湯があるそうなので。」
「承知いたしました。さ、アガタ私の肩に体重をかけて。歩けそうね。」
「では、お気をつけて」
ロバートは心配そうな顔をして、ジュリエットを見送りしました。
「アガタ、宝物庫で転んでしまったんだって?やだ、一人で無理したんでしょう。こんな時間までやってたら、そりゃ暗くなって足元が見えないわよ。この足だから、少なくとも明日の仕事は無理ね。エリザベッタの話は、またの機会にするわ。で、ところで、あの素敵な殿方は誰なの? 秘書館長のお部屋にいた。ちょっとアガタに気がある感じがしたけど?」
自室に連れて行ってくれる間、ずっと話仕掛けてくるマルタに、明日には私の怪我の話に尾ひれがついた噂がヴァティカン中にまわっているんだろうな、と思いながら、ジュリエットは部屋に辿り着きました。
自室で淡々と自分の足の治療をしながら、ジュリエットは、あの白骨化した遺体を見たとき、怖いとか恐ろしいとかいう感情が湧かなかったのは何故なのだろうと考えていました。どちらかといえば、こんなところにずっと一人でいたなんて孤独だったんだろう、という哀れみの気持ちのほうが大きかったのです。あのご遺体は、どのような方だったんだろうかと、ずっと考えていました。




