宝物庫その2
第73章
宝物庫に新しく収蔵棚が設置されてから、本格的に目録作りが始まりました。作業をする修道女見習いのうち、文字を書けるのはジュリエットだけだったので、一人が汚れを拭き取り、それをジュリエットが記録し、もう一人が棚しまっていく、という分担となりました。 もちろん宝物庫の鍵はジュリエットだけが持つことを許されたので、ジュリエットが作業責任者となり、毎日午前中は宝物庫に缶詰状態になっていました。
同じ単純作業の繰り返しとはいえ、かなり神経を張りつめ集中力を要する仕事だったため、ジュリエットは意識的にときどき休憩をはさんで作業するようにしました。
休憩中は、ジュリエット以外の二人の修道女見習いエリザベッタとマルタはすぐに打ち解けたのか、噂話に興じていました。
作業にも慣れ、目録作りもかなり進んで終わりが見えてきたことになると、休憩時間も長めになり、マルタは収納された宝物を面白おかしく素人鑑定を披露して、エリザベッタとジュリエットを笑わせたりするようになっていました。
「う~む、このパパルリングは、彫り込まれた年代から、数代前の法王様のものだと思うけれど、ここにあるということは、その法王様は美食家だったんじゃないかしら?」
「何故そう思うの?マルタ」
「だってエリザベッタ、こんなに立派で大きな紫水晶のついた豪華なものなのに、男性用の割には結構指輪の輪が小さくない?」
「確かに、ちょっと小さめね。」
「きっと、即位された当時は若くて精悍な方だったのに、法王様になって会食の機会が増えて、つい食べ過ぎたため太ってしまい、指にリングが入らなくなってしまったのよ。で、仕方なく新しいリングを作ったから、このリングはお役御免でここに保管されているわけ。ね、この推理当たってると思わない?」
「やだ、マルタ、それちょっとあり得そう。」
エリザベッタが思わず笑い声を上げたとき、窓際の隅においたままの木箱を見つけたマルタがジュリエットに尋ねました。
「あら、アガタ、この小箱は目録に加えなくていいの?」
噂好きのマルタに変に勘ぐられたくなかったジュリエットは紙に『それは一時的に保管中の個人の私物なので、記載しなくてよいでそうです。』と書いて伝えました。
「ふ~ん、凄く凝った彫り物が施された綺麗な箱よね。ね、ちょっと中身を見ていない? ほら、鍵もついてないし。」
ジュリエットが止めるより先に、マルタは箱を開け、ジュリエットが大切にしていたあのジェロームからのプレゼントのヘアピンを袋から出し、感嘆の声を上げました。
「わあ、大きな真珠ね。デザインもとっても素敵なヘアピン!恋人へのプレゼントかしら。」
「ねぇねぇマルタ、それはどうゆう由来がありそう?」
「え~と、ちょっと待ってね、エリザベッタ。うん、これはきっと十字軍に従軍した恋人を失った とある貴族のお姫様の、思い出の品で・・・」
マルタとエリザベッタのおしゃべりが止まらなくなりそうだったので、ジュリエットは『さあ、休憩はおしまい。そろそろ作業に戻りましょう』というメモを差し出すしかありませんでした。
三週間近くかかった保管整理作業もほぼ終わり、目録も出来上がり、あとは作った目録の確認作業になったことをジュリエットが秘書館長のレオナルドに報告すると、確認作業は二人で充分だろうということで、マルタとエリザベッタは交代でジュリエットを手伝う二人体制になりました。
二人のおしゃべりに時間をとられることがなくなるから、かえって作業がはかどると思っていたジュリエットでしたが、確認作業の初日、宝物庫でエリザベッタを待っていても、彼女が現れません。
おかしいなと思いつつ、一人で作業を始めようとしていたところ、マルタが駆け込んできて、エリザベッタが急に還俗すると言いだし、周りがとめるのも聞かず昨日ヴァティカンを出ていってしまった、という情報をジュリエットに伝えました。
「前から考えていたのかしら、そんな雰囲気なんてなかったのに。まあ市内にお遣いに外出した際に、そこの仕立屋の職人の男と親しくなったって噂もあったのよね。あの地味なエリザベッタがねえ、って思ってだけど。あ、ごめん、洗濯物の途中だったんだわ。明日は私が手伝う番だから、アガタ、そのときまた話すわね。」
宝物庫に飛び込んでいて、言うことだけ言うと飛び出していったマルタにそれ以上何も聞き出せず、仕方ない、今日は一人で作業をしようと、ジュリエットは目録のチェックを始めたのですが・・・。
ーおかしい、確かにこの箱の中にあったのに・・・ー
一人なので小さなものの確認から始めようと、最初に宝飾品のリストと収蔵物を照らし会わせていたジュリエットでしたが、特徴的なデザインの七宝で描かれた聖母子像の金のブローチが、箱はあるものの中身がないことを発見してしまったのです。
ーまさか?どうして? マルタが綺麗に清掃して、私が内容物を記録して、エリザベッタが箱に収納した上で、私の指定した棚のところに置くのを確認したはず。ー
その瞬間ジュリエットは、さあっと血の気が引くのがわかりました。
ーどうしょう、私の責任だ。法王フィリップ様も、秘書館長レオナルド様も、私を信用して、こんな重要な仕事を任せてくださったのに。いや、今はショックをうけている場合ではない。レオナルド様に報告するにしても、ほかにもなくなっているものはないか、確認しなくては!ー
必死になって確認した結果、ほかにも箱の中身が空っぽの収蔵品がいくつかあったのです。
そして紛失したもののひとつが、ジェロームから贈られたあのヘアピンでした。
ーどうして?もしかして、間違えてどこか別の棚に置いてしまったのかしら?毎日作業前に私が宝物庫の鍵を開けて入り、作業終了後は私が最後に鍵を掛けて出ている。宝物庫の外にあるとは考えられない。マルタがふざけてどこかに隠したとか? いえ、さすがにそんないたずらはしないだろうけど、きっと宝物庫の中のどこかにあるはずだわ。宝物庫の隅から隅まで探そう!ー
ジュリエットは昼食もとらずに探しまわっていたので、いつのまにか夕方近くになり、小さな窓しかない宝物庫の中は暗くなってきました。そのため、ジュリエットの隅のほうの床板の一部が破損していたところに足が躓いて、転びそうになってしまったのです。そのとき、とっさに身体を支えようと、右手で目の前の壁の壁龕を思いきり強い力で押してしまったのです。
それは偶然の出来事でした。
その壁龕部分の壁全体が扉のように開いて、奥に隠し部屋が現れたのです。




