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宝物庫

第72章

 「猊下、お呼びでしょうか?」

 「ヴァティカン内の新人事が一段落したところで、次は物の整備を進めたいのだが。」

 「猊下がご不在の時期に滞っておりました図書館の所蔵文書の保管整理はすでに進めております。あの皇帝軍のヴァティカン襲撃の際にも、機密文書は幸い毀損や破損などもほとんどございませんでしたので。」


 この新秘書館長は、フィリップの直属の部下として精力的に働いてくれていた人物で、フィリップが今ヴァティカン内で一番信頼している人物でした。

 「ありがとうレオナルド。さすがに仕事が早いな。今回頼みたいのは、宝物庫の整理だ。おそらくあの襲撃時に一番被害を受けた場所の一つだろう。あれからまともに整理も出来ていなかったはずだ。あのとき以来、壊れたままの品や、紛失してしまった宝物もあるはずだ。修繕が必要なものは職人に修繕させ、きちんと整理保管して、目録を作成して欲しい。」


 フィリップは、ロバートとの会談中に印璽の話をして、当時の宝物庫にはきちんとした目録が存在せず、何がどこに収蔵されているかわからない状況を思い出したのです。


 「承知いたしました。少々お時間をいただけますでしょうか?まず収納のための棚の作成から始まければならない状況かと存じます。」

 「問題ない。急ぎではないが、扱う物を考えると、信頼できる手伝いが必要だな。」

 「どなたか推薦できる人物がいらっしゃるようでしたら、御推挙願います。」


 その晩、いつも通りジュリエットがフィリップに疲労回復のマッサージをしにフィリップの私室に入ってきたとき、彼女は手に、ヴェネツィア大使経由で贈られた、ジェロームからの贈り物の入った小箱を抱えていたのでした。そして、いつものように会話用のメモ紙をフィリップに渡しました。

『法王猊下、お願いがございます。この箱を宝物庫の片隅でよいから保管しておいていただけないでしょうか? 私の遠縁の親類から相続された宝飾品なのですが、修道女見習いには必要のない高価な品のため、預かっておいていただきたいのです。』


 メモを読みながら、フィリップは妙案を思いつきました。

 「なるほど、アガタ。ちょうど宝物庫を整理しようとしていたところだ。特別にそなたの私物を預かる代わりに、宝物庫の整理と目録の作成を手伝って欲しい。秘書館長のレオナルドの指示に従って作業しなさい。」


 フィリップはこのとき知りませんでしたが、このころヴァティカン内で物の紛失事件が相次いでいたのです。実はフィリップの法王即位にともなって、ヴァティカン内の事務方のあちこちで五月雨式に人事の退任、新任が発生していたのですが、業務の引き継ぎ作業がスムーズにいかず、管理体制に一時的に隙があったせいか、換金性の高い日用品、銀のスプーンや、銀の燭台などといった銀製品が何点も無くなっていたのです。ジュリエットは見習いという身分でありながら法王のはからいで個室を与えられていたのですが、鍵をかけられる部屋でなかったので、盗難されるかもしれない、と心配になったのでした。おそらく二度と会えないであろう、優しかったジェロームからのプレゼントは、身につけられなくとも、大切にしたかったのです。


 「あなたがアガタ見習い修道女ですね。猊下から話しは聞いています。毎朝、朝食後の礼拝のあと、私の所にきてください。宝物庫の鍵をお渡ししますので、昼食前まで、これから説明する作業をできるだけ続け、その後また鍵を私の所に戻すように。」

 秘書館長のレオナルドは初対面でしたが、フィリップが信用する人物だけあって、人柄も良さそうな方だという印象を持ったジュリエットは、素直に指示を聞いていました。

 「作業としては、まずは修理が必要と思われるものと、そのまま保管できるものを仕分けしてください。次に仕分けた物を品目ごとに分けて、だいたいの数をかぞえてください。聖遺物の付属品、宝飾品、食器、いったようにだいたいのまとまりごとで構わない。まとまったら私に紙面で報告してください。その内容次第で、次の作業を決めますので。」


 一時的にでも自分のような人間に鍵を預けるなど、秘書館長はじめフィリップも自分を信頼してくれている事実に、ジュリエットはちょっと誇らしい気持ちになりました。


 鍵を預かり、法王宮の一番奥にある宝物庫の扉を開けると、そこは太い鉄格子のついた小さな窓はいくつかしかない、埃っぽい部屋で、壊れた陶器の破片やら、壊された木箱などが床にばらまかれたままの状態でした。ジュリエットはまず部屋の掃除から始めなければならなかったのですが、ジュリエットにしてみれば、治療の仕事以外にも重要な仕事を任されたという気持ちでやる気に溢れていました。しかも場所が宝物庫なので、宝探しを始めるような気分になり、ちょっとワクワクしていたのです。


 しかしさすがに作業量が予想の数倍で、2週間後に何とか大まかな仕分けが終わった段階で、とても一人では作業が終わらないと分かったジュリエットは、レオナルドあての報告書に人員の増強を請願しました。

 「アガタ、報告書を読みました。まさか清掃から始めていたとは思わなかった。またかなり大きな物、重い物もあるようだね。増員はあと二人くらいで良いかな。」

 新しく設置する収納棚の発注のために木工職人の親方を連れて宝物庫を見に来たレオナルドは、アガタにそれだけ言うと、あとは親方にテキパキと指示してすぐに行ってしましました。

 

 新しい収納棚が設置されるまで作業はお休みとなったので、ジュリエットは数週間ぶりにローマ市内に外出する許可を取り、薬の補充をしに出かけました。今度いつ補充に来れるかわからなかったので、相当量の薬やクリームを購入したため、帰りはかなりの重さの荷物を両手いっぱい抱えた状態になってしまいました。

 やっとの思いでヴァティカン広場まで辿り着いた時に、腕がしびれてきてしまい、一度荷物をすべて下ろして一息ついていると、背後から

 「アガタ様、お手伝いしましょう」

という声がして、すっと荷物が持ち上げられたのです。はっとして驚いたジュリエットが振り返ると、そこには、荷物を軽々と持っているロバートが立っていました。


 「あなたは口がきけないのでしたよね。何か事情がおありなのでしょう。私から猊下には何もジュリエット様のことは一切話しておりません。安心してください。」

驚いたジュリエットはただ一言

 「ありがとうございます。ロバート様」

と小さな声で答えるだけで精一杯でした。

 「アガタ様、さあ、参りましょう。荷物はこれで全部でしょうか?」

 そして二人で広場を横切って法王宮の入り口まで歩く間に、ロバートは自分が改めて駐在ヴァティカンの大使に任命されたこと、そしてさりげなく自分がまだ正式に婚約者もいないことをジュリエットに告げたのでした。


 ロバートは、あの控えの間での偶然の再会のあと、ジュリエットが法王のお世話係として仕えていることをヴェネツィア大使から聞き、彼女がおそらく自分の婚約話をフィリップから聞いているだろうと察していたのでした。そして、ジュリエットから渡されたメモを何度も読み返し、誠意を尽くせばジュリエットが自分に好意を抱いてくれるはずだ、と堅く信じていたのです。

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