思惑
第7章
馬に飛び乗った三人が刺客の追っ手をまいて、なんとか逃げおおせたころ、渓谷沿いの抜け道を走りながら、エドモンはカルロスに話かけました。
「おそらく、私の城の周囲は敵方の武装兵が待ち構えているだろう。私の部下たちが籠城戦では1ヶ月以上持ちこたえるだろうから安心だが、我々は今たった三騎。このままで城に戻るのは無謀というものだ。カルロス、君の城までは遠い。とりあえず今夜の宿をどうするかだ。」
「いざとなれば、私もあなたも野宿で平気ですが、フィリップは? 無理かな?」
「そんなことはありません! ただ、水はともかく食料がない。明日、あなたが居城に向かって助けを呼んだとしても、援軍が到着するまで二、三日はかかるでしょう?」
「それに、そもそも三人の話あいも済んでないぞ。」とカルロスは陽気に笑います。
「父上、確かこの先に、母エレノアと一緒にきた、一時匿ってもらった家があるではないですか。今から飛ばせば日没までに間にあうでしょう。私が事情を話せば、泊まらせてくれるはずです」
「いや、だめだ。あの家のすぐ近くで、フランソワの送り込んだ暴徒にエレノアが略奪されそうになっただろう? あの家もフランソワにばれているに違いない。もしかしたら兵隊も送り込まれているかもしれない。」
「フランソワ? いいえ、彼はあの事件に関係ありません。それは保障します。フランソワはあの家を見つけてはいません。いままで嘘をついていて申し訳ありません。あの事件は、あれは、私の自作自演でした。私が人を雇って演じさせたんです。」
「何だって? 何でそんなことを?」
「私のあのときの立場を、どうかご理解ください。法王の秘書官です。法王から、父上、あなたが教会軍の総指令官として、最も適任だと考えていると打ち明けられておりました。母からあなたあての手紙を託され、数日間の外出許可を願い出たときに。私は、外出許可のかわりに、説得のため、あなたを法王庁に赴くように仕向けろと命令されてしまったのです。」
「ほう、やはり君は皇帝からだけでなく、法王から信頼されている男なのだな。エドモン。だが、その信頼を利用し、両天秤をかけるような危険な橋を渡るのは、やめたほうがいい。私が君と会うことを承諾した理由のひとつは、君にこの忠告をすることだったのだ。」
カルロスに言葉に、とまどいを隠せないエドモン。
「君が、何を知ってようと、私に命令するのはやめてくれ。」
「命令じゃないさ、忠告だ。それに、ちょっとした情報も持っている。その家に急ごう。ゆっくり話したい。その家の女主人は信用できる方なのか?」
カルロスの質問にフィリップが答えます。
「私が今、ヴァティカン内で唯一信用している司教から紹介された方です。おそらく元法王か枢機卿とお付き合いのあったご婦人で、教養も高く、それでいてとても慎ましやかで穏やかで優雅で品のある方です。歓待とまではいかなくとも、私たちを休ませてくれるはずです。それに・・・。」
「それに? 何か知っているのか、フィリップ。」
「いえ、少し雰囲気や面影は母に似ている気がして。他人のそら似だとは思いますが・・。」
「あの美しいエレノアに似たご婦人か。それは楽しみだ!」
「エレノアと呼び捨てにするな」
「これは失礼。エドモン。私も彼女とゆっくり話しあいをして、すっかり彼女に魅せられてしまったのでね。」
三人が、その家にたどり着いたのは、日が落ちてまもなくのこと。年配のご婦人は驚いたものの、知り合いの神父がかわいがってるフィリップが懸命に頼み込む様子を見て、男三人を笑顔で迎え入れ、あたたかい夕食とベッドを用意してくれたのでした。
「高位の聖職者が彼女を大切な恋人として遇したのも、わかるな。お若い頃はさぞや美しい方だったのだろう。それになかなかよい趣味だ」
と軽口をたたいていたカルロスも、食事が終わり、彼女が自室に引き取ると、真剣な声音になりました。
「エドモン、フィリップ、君たちはマリアンヌをご存知か?」
「マリアンヌ?」首を振る二人。
「そうか、フランソワのいまの愛人だ。エレノアがローマにたつ前から、二人の関係は、はじまっていたんだ。」
「フランソワに愛人がいることは、エレノアから聞いていたが、素性はもちろん、名前もわからなかった。エレノアも会ったことがないはずだ。宮殿内のどこかに住んでいるとかで。しかしカルロス、君には驚かされるな。なぜ君が、その愛人の名前を知っているんだ?」
「名前はもちろん、素性も知っている。彼女はおそらく皇帝が、ひそかに送り込んだ女だからさ。むろんフランソワはその工作は知らないがね。親の代から法王派だった領主が、突然自分に寝返ろうとしているなら、皇帝が、フランソワの宮廷にスパイを送り込んで、彼の真意を探りたいと思うのは当然だろう?小国とはいえ、あの国は、交通の要所にある。南下政策には避けて通れない場所だ。」
「彼女はどうやって宮廷に潜り込んだんだ?フランソワだって、一国の領主だ。突然出合った女を愛人にしたりする危険はわかっているはずだ。」
「フランソワは昔、魔女狩りと称して、付近の村の老女たちを火あぶりにしたことがあったろう? 私は、皇帝にたのまれて、あの、幼いマリアエレナを救った薬草に知識のある老女を救い出したかったんだが、間に合わなかった。あの老女の娘がマリアンヌだ。まあ、本当の娘かどうかはわからないが、養女かもしれない。とにかく彼女は薬草の知識も母親から受け継ぎ、幼いころから病人の介護にも慣れていた。
そのマリアンヌだけ、何と逃げださせることができた。たまたま母の使いで、外出していたところを見つけたので、しばらく皇帝の姪のところに侍女として働いてもらっていた。その後、私がジャンカルロの病気を理由に、あの事件を起こしたとき、フランソワも体調をくずしたろう? フランソワは若いとき、十字軍の途上、感染病の疑いで検疫所を出てから、体力を回復するまでのしばらくヴェネツイアの病院にいたから、あのときのヴェネツィアの知り合いの医者に、薬を届けて欲しいと内密に頼んできたのさ。前々から皇帝はヴェネツィア大使に、フランソワの情報があれば、何でもいいから買うといってあったから、ヴェネツィアは、その情報を皇帝に売った。で、その薬を運ぶ係りをおおせつかったのが彼女で、そのまま処方と看護という役目で、フランソワの寝室に入り込んだというわけさ。皇帝本人は、もちろん彼女の名前は知らず、ヴェネツィア経由の情報を得ていた、というわけだ。薬には強精剤も含まれていたんだろうな。もちろんフランソワは彼女を命の恩人だと思っているだろうさ。」
「彼女は、フランソワが自分の母親を殺す原因を作った張本人だと知らないのか?」
「そこは皇帝、抜け目がない。あのとき彼女は、叔母の家に滞在中で、だから助かったんだが、母親は通りすがりの山賊に殺されたという話になっている。勝手に親の敵をとられたら元の子もないからね。」
「マリアンヌのほうは、それで満足したのか?」
「マリアンヌは皇帝の姪のもとで侍女として働いたときに、ぜいたくを覚えてしまってね。領主の愛人は、彼女にとっても願ってもない立場だろう。」
「そうか、皇帝の姪の侍女だった女か。君はマリアエレナから、彼女のことを聞いたんだな。」
「ああ、マリアエレナも知っている。だが、エレノアには、まだ絶対に話すなと言明しておいた。もしマリアンヌが男の子を妊娠したら、ジャンカルロの継承権について、エレノアはすぐにでも行動をおこすだろう。勇気のある賢明な女性だが、彼女の力など及ばないところで陰謀がうずまいているからね。何かしてしまってからでは遅い。そして君もだ。エドモン。」
「これも忠告か?」
「いや、警告かな。君とエレノアの仲を、おそらく法王も皇帝も知っているだろう。さらにいえば、フィリップとマリアエレナの父親が誰かということも、とっくに気がついているはずだ。君には双方を裏切るなんてことは、できないよ。」
「双方を? どういうことです?」
二人の会話をじっと聞いていたフィリップがたまらず口をはさんできた。
「あなたは教会軍の総指揮をとるのではなかったのですか?」
「フィリップは法王の秘書官、マリアエレナは皇帝軍の総大将となるであろうカルロスの妻。もし戦争が起きたら、私にとっては体を二つに引き裂かれるようなものだ。私の真意はね、フィリップ、戦争しそうでしない均衡状態を作り出すことなんだ。それが私の本当の目的だ。君はどう思う?エドモン」
「ぜひ、あなたの計画をすべて打ち明けてくれないか、エドモン」




