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フィリップの昔話

第69章

 翌朝、ジュリエットはひどい熱を出して、結局マリアンヌの店に行くことはできませんでした。ヴァティカンにきて、慣れない環境ながらも毎日休みなく働き、知らない間に疲れが溜まっていたのでしょう。


 フィリップからも数日はゆっくり休養しなさい、という言葉を受け、ジュリエットもマリアンヌの店で購入したおいた薬湯を飲んで、おとなしく休むことにしました。丸一日ぐっすりと眠ったおかげで、熱も下がり、気持ちも落ち着いていたので、ジュリエットはベッド中で、自分の気持ちにきちんと向き合おうと思ったのです。


 その前に一口水を飲むために半身を起こし、寝台脇のサイドテーブルの上のピッチャーに手をかけようとしたところで、凝った彫刻を施された美しい木の小箱がおいてあるのを見つけました。

 木箱の上に置いてあるは小さなメッセージカードには

 『昨日ヴェネツィア大使から預かったあなたあての贈り物。早い回復を祈っている。フィリップ』

 と走り書きがありました。


 箱の蓋を開くと、中に厚手で光沢のある美しい織り柄のリネンの袋と、蝋で封をしたジュリエットあての手紙が納まってしました。

 ―ヴェネツィアから私への贈り物? 誰からかしら。―

 まず手紙を開けると、それはジェロームからの手紙でした。

 無事ヴェネツィアに到着したと聞いて安心したこと、これは、ジュリエットが16の誕生日のお祝いのために用意していたプレゼントだが、遅くなってすまなかった、と。

 『ジュリエット、あなたをキプロス内で秘密裏に匿う事も考えたが、あなたのこれからの人生を自由を謳歌して有意義に過ごして欲しかった。あなたはとても素晴らしい女性だ。そしてまだ若い。私はあなたの出生の秘密を知っている。だからこそ、あなたの新たな人生が幸せなものになることを心から祈っている。』


 美しいリネンの袋に入っていたのは、大きな真珠がついた、見事な細工の金のヘアピンでした。思わずしばらく見とれていたジュリエット。

 「でも修道女見習いには贅沢過ぎる品だわ。こんな素晴らしい宝飾品を身に着ける機会など、もうないのに。」

-そう、ジュリエットという人間はもういない。私はキプロスから戻って、アガタという女性に生まれ変わったのだ。人を治療することが天命の。私はロバート様と生きる世界がもう違うのだ。私は自分の力でできることをして生きていこう。私を気遣ってくださる優しいフィリップ様のおそばで幸せになろう。-

 そう決心したジュリエットは、マリアンヌの店でもロバートの話題は出さず、いつも通りの勤めを再開したのでした。


 それからしばらくの間は、特に大きな変化はなく、ジュリエットにとって平穏な日々が続きました。ただ、マリアンヌが、店を別の人間に任せて、ヴェネツィアに帰国することになってしまったのです。

 「リッカルドの体調があまりよくないそうなの。大きな病でないようなんだけど、念のため私が直接看護するためにしばらく戻るわ。あなたももう、一人で大丈夫よね。」

 「もちろんです、マリアンヌ様。それよりリッカルド様のお体が私も心配です。」

 「お店は修道院から連れてきた、あなたも顔見知りの修道女に任せることにしたわ。お薬はいままで通り用意できますから、安心して。ただ、あくまで私と大使以外にはしゃべれないということにしておきましょう。」

 「わかりました。」

 もうマリアンヌに頼ってばかりはいられない、と思ったジュリエットは、まもまく17歳になろうとしていました。


 とはいえ、幼い頃から、特に治療に関しては相談相手だったマリアンヌがいなくなってしまうことに、かなり不安になっていたのでしょう、ある晩、フィリップに毎晩のように行っている首筋と腕のマッサージをしているときに、

 「悩み事でもあるのかな?」

と聞かれてしまいました。

 はっとしてフィリップの顔を一瞬見つめてすぐお詫びに頭を下げました。

 「いや、責めているのではないよ。まだ若いから、いろいろ悩むこともあるだろう。私だってあなたの年頃には、悩んだり、間違いを起こしたり、誤解したりしたものだ。」


 【猊下はつねに正しき道を歩まれておいでだと思っておりました。 ほかにどこか、お疲れのところはございませんか?】

 いつも通り手元の小さな紙にそう書いて渡すとフィリップは

 「あなたの気持ちの慰めになるかどうかわからないが、アガタ、私の昔話を聞かせようか。もう少し背中をマッサージしながら聞いてくれ。私も後悔だらけの人生だよ。私の独り言だと思って聞き流してくれればよい。」


 その晩から、フィリップの若い頃の話を少しずつ聞くことになりました。自分の父親やその親族にまつわる知らない話を聞けるのは、ジュリエットにとっても興味深かったので、フィリップの昔話を聞くのが楽しみになりました。


 ある晩、フィリップが人生で本当に愛した唯一無二の女性のことを語りました。

 『とても心優しく美しい』女性と、お互いとても苦しいときに知り合い、お互い急速に惹かれ合い、彼女を心から守りたいと思い、大切にしたかったが、立場上できなかった。それが一番の人生の後悔だったと話したのでした。

 すぐに母マリアのことだとわかったジュリエットは話しを聞きながら、あなたの娘がここにいます!と叫びたくなるのを必死におさえていました。

 「この話は内緒だよ、アガタ。私と二人だけの。良いね。」

 ちょっとふざけた口調でそういったフィリップに、ジュリエットは、目を合わせずに、ただゆっくりとうなずくだけでした。


 そんななかで、ジュリエットは自分の祖母にあたるエレノアという女性のことを知ったのです。

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