リッカルドへの告白
第67章
マリアンヌとジュリエットは、ブレンダ運河ぞいのマリアが滞在している別荘には寄らず、直接、元首宮のリッカルドのもとに帰ってきました。到着したときはもう夕餉の時刻は過ぎていたので、ジュリエットは挨拶だけで、すぐに部屋で休むように言い、マリアンヌはリッカルドと二人で話すことにしました。
「マリアンヌ、受け取った手紙でだいたいの状況はわかったが、大切な相談というのは?」
「リッカルド、私は今まであなたの依頼を受けて、いろいろな土地で生きてきたわ。あなたの依頼とはいっても、強制されたわけではない、すべて自分の意思で行ってきたことよ。だから、何の悔いもないわ。むしろ何度もチャンスを与えてくれたあなたに感謝してるし、それなりの貢献をしてきたと思っているわ。だから最後に1つだけお願いがあるの。本当にこれが最後よ。」
「マリアンヌ、きみにしては大げさな言い方だな。なにか難しい相談ごとかな?」
「ジュリエットに、実の父のそばで一緒に暮らせてあげたいの。これは、あの控えめなジュリエットが口にした初めての希望だから、かなえさせてあげたいの。それにはどうしてもあなたの力が必要なの、リッカルド。」
「実の父のそば?」
「ええ、おそらくあなたはもうジュリエットの父親は誰なのか、感づいているとは思いますが、ここで正直に真実をお話します。」
「フィリップ、だね。」
「やはり、ご存じだったのですね。」
「ということは、ジュリエットをヴァティカンに潜入させてあげたいということかな。昔の君のときのように。」
そう微笑みながら言うリッカルドの顔を見て、マリアンヌはリッカルドが面白がっているのか、それとも怒りを隠しているのか、判断ができませんでした。
「今まで黙っていてごめんなさい、リッカルド。あなたが知ったら、フィリップを見捨てるんじゃないか、軽蔑するんじゃないかって。」
「そんなわけないだろう? マリアが私と結婚する前の話だからね。フィリップもマリアも私を裏切る行為だとは思っていないのは理解している。ただマリアンヌ、ジュリエットのことで知っていることは、私に話して欲しい。私は、この国のためにキプロスまで行って、そして処刑されたことになってしまったジュリエットのこれからの人生に大きな責任がある。」
ジュリエットのために、全てをリッカルドに話そうと決めた判断が正しかったことを確信したマリアンヌは、「少し長い話になります」と断ってから、思い出すようにゆっくりと話し始めました。
「あのとき、マリア様がジュリエットをご出産されたとき、その場にいたのはエレノア様と私です。そもそもマリア様の妊娠に最初に気がついたのもエレノア様でした。フィリップ殿とマリア様、二人の関係もご存じでした。“何故マリア様が、フィリップの気持ちを受け入れてしまったのかわからない”とおっしゃっていました。あのときマリア様はまだ形式上はエドモン殿の奥様でしたから。」
「もしかして、私の最初の妻が亡くなった、あのときなのか。」
「そうです。そのとき、私は初めてエレノア様にお会いしたんです。陣痛と破水が始まってしまっていたので、エレノア様がいらっしゃる屋敷にマリア様を運び入れるしかなかったので。エレノア様にとって、私は、夫の愛人だった女です。素性がわかったら追い出されるかもしれないと思っていたのですが、私が誰かわかっても、ともに難産だったお産のお手伝いをしてくださったのです。」
リッカルドが涙を流すまいと、顔をあげて虚空を見つめる様子に、マリアンヌもこみ上げてくるものがありましたが、深呼吸をして話を続けました。
「実はエレノア様と私のご縁は、リッカルド、あなたがかかわるずっと前からのことだったの。まだマリアエレナ様が幼かった頃、父親であるフランソワが、エレノア様の不貞を誤解して、娘であるマリアエレナ様に大けがをさせるという悲劇が起こったとき、治療をしたのが私の母でした。私もその場にいて、治療の手伝いをしたのですが、そのお礼にと母がエレノア様からいただいた珊瑚のネックレスがございました。私が母の形見として肌身離さず持っていたその珊瑚のネックレスは、安産祈願の意味があるので、難産に苦しむマリア様の首にかけたのです。エレノア様はそれに気づき、何故それを持っているのかとお尋ねになりました。あのときはエレノア様も私も運命のいたずらに驚いてしまって。そしてマリア様がご出産されることだけを考えて、二人の心が一つになった気がいたしました。」
リッカルドは何も言わず、マリアンヌをじっとみつめたまま話をきいています。
「無事、ジュリエットが生まれたあと、私はエレノア様と長いお話をしました。そして、私のことをお許くださったのです。それどころか、娘と孫の命を助けてくれた、と感謝してくださった。今でも覚えています。エレノア様が私におっしゃってくださった言葉。『お互い、生き抜くために精一杯のことをしてきただけだわ。そうでしょう?』って。」
そこまで話し、言葉をつまらせたマリアンヌに、リッカルドはそっと赤ワインのグラスを差し出しました。ワインを飲み干すと、マリアンヌは涙を拭って、さらに話を続けました。
「そのとき、エレノア様から父が誰であるのか教えていただいたのです。そして二人で相談をしました。マリア様の幸せのためには、リッカルド、あなたと再婚するのが一番だと。また娘の存在を知ったら、あのフィリップのことだから黙ってやり過ごすことなどできないし、あなたとフィリップ二人の関係が破綻してしまうに違いないと。そのとき、私はジュリエットの後見人になるとエレノア様に約束をしたのです。そしてエレノア様にお願いしてマリア様を説得していただいたのです。ジュリエットの存在を三人だけの秘密にするということを。」
「エレノア様も納得されたのだね」
しばらくの沈黙のあと、リッカルドはマリアンヌに確かめるように言いました。
「ジュリエットの将来を、とても憂慮されていました。“父親がわからないとさげすまされる辛さは、何より私自身がよくわかっております。”と。エレノア様は私を信用してご自分の孫であるジュリエットを託してくださった。だからこそ、私はジュリエットを正式な立場で、信頼できる方のもとに嫁がせたかった。それがエレノア様と約束した私の使命だと思っておりました。」
「エレノア様との約束だったのだね。マリアンヌ、君がなぜ血のつながっていない娘を、自分の娘のように大切にしているのかと、今までその理由がわからなかった。」
「私を本当に信用してくださったのはエレノア様と、リッカルド、あなただけだわ。だからキプロスからの脱出は、私の力ではどうでも出来ない政治的な事態だったので、あなたに全面的に頼りました。」
「キプロス王のジェロームなら、どのような事態でも必ずジュリエットの身の安全は守ってくれるとわかっていたんだね。マリアンヌ」
「もちろんです。キリスト教徒とかイスラム教徒とかは関係ありません。下手にキリスト教徒の諸侯などが相手なら、エレノア様と同じ苦しみを味わうことになると思いました。それだけはどうしても避けたかったの。」
マリアンヌの話を咀嚼するように、リッカルド目を閉じ、しばらく考えていました。自分の考えにリッカルドが同意してくるのかどうかわからなかったのでマリアンヌは不安だったのですが、次にリッカルドが口を開いたときは、いつものリッカルドの口調だったので、少し安心しました。
「ところで、フィリップ殿は今でも自分に娘がいることすら知らないのではないかな?」
「ジュリエットには、実の父がフィリップ殿であることは話をしました。そして愛し合って生まれたのが、あなたのだと。でも今でもフィリップ殿は、あなたという娘がいることは全く知らない。それはお立場から知らせない方がよいとマリア様も判断したから、と説明しました。」
「それでもジュリエットは父に会いたいといっているのか。自分が娘だと打ち明けられないのに。」
「ジュリットは、父親という存在に憧れがあるのだと。キプロス王との関係は親子のようで、父とはこういう存在なのかと思っていたそうです。」
「やはり、夜伽は命じていなかったか。」
「はい。少なくとも16になるまでは待つつもりだったと。」
「このタイミングでフィリップが法王に即位していなかったら、会わせられないところだったな。運命の巡り合わせというべきか。」
「ジュリエット本人も、父親のそばに仕えられるだけでよいと申しております。」
「その約束は守れるかな」
「守らせます。もし娘の存在を知ったら、今度こそフィリップは一修道士どころか、何処かに隠棲してしまいかねませんから。」
「それは私も困る。地中海の安寧のために、フィリップにいてもらわねば。」
ああ、良かった。リッカルドはすべて理解してくれた。そう思えたので、マリアンヌは改めて具体的にリッカルドに協力の相談をしたのです。
「ジュリエットの希望はフィリップ付きのお世話係、ということなのですが・・・」
「私からの推薦という形で交渉してみよう。マリアンヌ特製のクリームを作っている修道院での治療を学んだ修道女見習いという触れ込みで。」
「フィリップのことですから、彼女の過去をなにか詮索するようなことはしないとは思いますが、私のときと同じようにした方が良いかもしれません。」
「そうだな。そのほうがジュリエットも仕えやすいかもしれない。」
「良かった。感謝します。リッカルド」
「ただ、いつまでのつもりかな。エレノア様の望みは、ジュリエットの幸せな結婚なのではなかったかな。ジュリエットも年頃だ。」
「ジュリエットにはもちろんお互い愛し合っている相手と結ばれて欲しい。でも愛妾という立場だけは避けたいの。それはエレノア様もマリア様も私も望んでいないわ。ただ、サンマルコ共和国の養女であったジュリエットは処刑されてしまった。彼女は今、表にでられない存在でしかない。正式な妻になることなどできない。」
「それはついては、少し考える時間をくれないか。なにか方策がないかどうか私も検討する。さあ、マリアンヌ、もう今日はあなたもゆっくり休みなさい。私もジュリエットと血のつながりはないが、あなたと同じように彼女の幸せを心から願っている。」
「リッカルド・・・」
マリアンヌの頬を流れる涙を優しくぬぐってから、リッカルドはゆっくりと部屋を出て行きました。




