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二つの印璽

第60章

 皇帝が帝位に就いたとき、当然のこととして、新しい印璽を作製することになりました。


 このとき皇帝はふと思い立って、全く同じ印璽を同時に正・副2つ作ることを思い立ったのです。そしてその実行を宰相に命じたのでした。それまでの印璽は紋章や文字を直接石に彫り込む陰刻がほとんどでした。宰相はイタリア出身の金細工師を使って、石膏と蜜蝋を使って型をとり、そこに金と銀と銅を混ぜた合金を流しこむといった試行錯誤を経て、極秘にまったく同じものを2つ作ったのでした。もとの型はもちろん偽造されないよう、すぐに破壊されたのです。


 「もし印璽が欠けたり割ったりしてしまった場合、あとから全く同じものを作るのは不可能だ。だから全く同じものの副を予備として作り、それは宰相に保管させていた。このことは宰相しか知らない。作らせた職人は、腕はいいが、殺人事件をおこして牢屋に収監されていた罪人だった。

 それから15年以上たってから、宰相がその予備の副の印璽が何者かに盗まれたと私に処刑覚悟で報告に来た。月に1回、一人で保管箱の確認をしていたそうだが、その際、おそらく部下の一人がその作業を見てしまったのかもしれない、と。

 ここで宰相を処罰したところで、問題が解決するわけではない。そもそも印璽を二つ作るなどということをしたのは朕の責任だ。だから密かに探索するように宰相に命じた。キプロス王からの手紙によると、やはりフォーフェンバッハという宰相の部下が持ち出したようだな。宰相が偽造したと思ったに違いない。そしてそれをヴァティカン宮の中に運ばせようとしたということだけは確からしい。理由はわからないが。そなた達は、なにか思い当たることはないか?」


 「陛下、先ほどロバート殿も申し上げましたが、ヴァティカンの秘書官長をしておりました我が兄フィリップが、一時、ザルツブルグ郊外にいるフォーフェンバッハの城に幽閉されていたことがございます。同じ時期に宰相の奥様、ロバート殿の母上であるドロテア様も幽閉されていて、彼女の臨終に立ち会ったと。その兄も今は職を辞し、一介の修道士になっておりますが、先日その兄と話した折に、フォーフェンバッハが暴徒に襲われたところを救い出してくれたと恩人と信じ込まされ、彼の依頼でヴァティカンに戻った時に、神聖ローマ帝国の印璽が偽造されて、それがヴァティカンにあるはずだから探して欲しいと頼まれたと。しかし結局は見つからず、あのローマ、ヴァティカンを襲った混乱の中で、金庫ごと粉砕か消失したと報告したのだと申しておりました。」


 「陛下、そのフィリップ殿が母の形見の指輪と遺言書を私に届けてくださったのです。それを読んで、私はフォーフェンバッハの悪事を知り、母の敵をとるために、フォーフェンバッハを追ってキプロスまで向かいました。フォーフェンバッハは、何故かジェノヴァの商人の口利きで、おそらく錫の取引の件でキプロス王と面会したようですが、賢明なキプロス王から、正式の特使ではないと判断され、あやしい人間だと幽閉されたのです。」

 「ロバート、そなたは父の命令で、フォーフェンバッハを追っていたのではなかったのか?」

 「いいえ、父に黙って、あくまで母の敵をとりたい一心で彼を追っていっただけなのです。」

もともとフォーフェンバッハの讒言で、母が父の部下の一人ヨハネとの不倫を疑われ、ザルツブルク大司教のもとにかくまわれたはずです。父はフォーフェンバッハがでっち上げた不倫の話を信じてしまったのでしょう。表向きは不倫関係にあった二人は追い詰められて自殺したと報告されましたが、事実はフォーフェンバッハによってヨハネは暗殺され、母は幽閉されました。私はたまたま幼い頃、その現場を目撃してしまったのです。暗殺者の姿をハッキリと見たわけではありませんが。」

「陛下、確かこの事件がもとで塩の流通が滞ってしまったと伺っております。“二人の潔白を信じてかくまっていたザルツブルク大司教がお怒りになった”という話を妻ソフィーがアナスタシア様からお聞きになったと。」


 ロバートとジャンカルロの懸命な弁明に対して静かに耳を傾けていた皇帝でしたが、話を理解するように目と閉じて黙ってしまったので、二人も皇帝が再び口を開くまで黙っていることにしました。


 「印璽の盗難と宰相殿の奥方の暗殺幽閉の事件が絡まっているようだな。そのいずれにもフォーフェンバッハという宰相の部下が係わっているということか。おそらく私とザルツブルグ大司教の関係を分断させようとししたのかもしれない。あのとき、サルツブルグの塩の流通の件で、確かに少々もめていたからな。しかしなぜフォーフェンバッハという愚か者は、印璽をわざわざヴァティカンに持ち込もうとしたのだろうか。」

 この皇帝の問いには、ジャンカルロが明確な態度で答えました。


 「あくまで私の想像ですが、陛下、ザルツブルク大司教が後になって宰相殿の奥様の事件の真相に気づかれたのではないでしょうか? それを察知したフォーフェンバッハが、先回りして大司教を陥れようと計画したのでは。おそらくヴァティカン内に仲間がいたのでしょう。厳重さという点では盗んだ保管場所としてもヴァティカンは最適ですし。ザルツブルク大司教から悪事を問いただされた場合は、矛先を大司教に向けるため裏切りをでっち上げ、その証拠として宰相殿や皇帝陛下に提出するか、もしくは大司教と裏取引する材料とするつもりだったのか。

ところが、ヴァティカンが暴徒に襲われるという事態になった。焦ったフォーフェンバッハはいち早く印璽を回収しようとしたと思われます。しかし見つからない。ヴァティカン内にいたはずの仲間も逃亡してしまったのかもしれません。そこでヴァティカン内のすべての秘密文書や保管庫にアクセス可能な権限を持つ秘書館長を誘拐し、味方だと信じ込ませ、ヴァティカンに戻して探索をさせたのではないかと。」


 「それにしても、送り届けたはずの印璽が、こともあろうに錫の取引相手であるキプロス王の手のうちにあったとはな。いくらでも交渉材料に使えるだろうに、ロバートに託すとは、そなたはどうやってキプロス王の信用を得たのかな。」

 この皇帝の問いにはロバートはやや躊躇しながら答えました。


 「私自身の信用というより、共通の知り合いが私の人となりを保証してくれたのではないかと存じます。とても不思議なご縁なのですが、幼少の頃の母の暗殺現場の目撃で心身喪失状態となってしまった私を治療してくださった治療師の方がいらしたのですが、まだキプロス王になる前のジェノヴァの船乗りだった頃、トラブルから大けがをして行き倒れになるところを救って治療したのが、同じ方だったのです。私はキプロス王と共通の命の恩人がいたのです。」

 「ほほう。そなたは、人を信頼させる徳と運を持っているのだな。」

 「そうでしょうか?不器用なだけかもしれません。私は根回しとか策略とかは不得手ですので、外交面では陛下のお役にたてるとは思っておりません。ただ、キプロス王は、信頼できる相手とだけ商売がしたい、それができるなら、相手の内政には一切関与するつもりはない、とおっしゃっていました。」

 「ああ、キプロス王からの手紙にも書かれてあった。改めてヴェネツィア経由でなら取引すると。その交渉相手としてはロバート、そなたをご指名だ。」

 「私でよろしいのですか?」

 「心配するな、サポート役にジャンカルロをつける。」

 「承知いたしました。陛下。」

 「よろしく頼む、ジャンカルロ。で、早速だが、このフォーフェンバッハという愚か者の処分もロバートに一任するとあるが、そなたのアドバイスは? そもそもなぜキプロスに乗り込んだのだと思う?」

 「確かフォーフェンバッハは長くジェノヴァ大使として駐在していたときに、納めるべき徴収した関税を中抜きし、かなりの私的な蓄財をしていたと思われます。錫の取引に関しても、そのときの仲間で、甘い汁を吸わせたジェノヴァ商人に扱わせて、上前をはねようとしていたのでは?」

 「ありえるな。とりあえず、ロードス島での紛争が落ち着くまでは、キプロス王も手が離せないはずだ。ここまで我が国の事情を配慮してくれるキプロス王に対して、ここは我らも紳士的に交渉する機会が来るまで待つとしよう。」


 こうして、皇帝の信任を得たロバートはジャンカルロの監督下という立場で、皇帝の直轄の官吏として近くに仕えることになりました。


 皇帝陛下の謁見を無事済ませ、フォーフェンバッハの不正と母の潔白を皇帝陛下に伝えられたこと、父は不正には関与していないことがわかり、ロバートは充実感に浸りながら、父の屋敷に戻ったのでした。


 しかし、数ヶ月ぶりに対面した父は、ロバートの予想以上に、驚くほど衰弱していたのです。父のあまり変わり果てた姿に、ロバートができることは1つだけでした。


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