誤解
第6章
マリアエレナが倒れたとの知らせに、親友でもあるソフィーも、弟であるジャンカルロも、もちろんフランソワも慌てましたが、
「でもお母様がいらっしゃって、本当によかったわ。」
このソフィーの一言で、フランソワはエレノアのカルロスの城での滞在に異を唱えることができなくなってしまったのです。
「妻は一週間ほどで回復すると思いますよ、フランソワ殿。母上に会えて、うれしさのあまり気が抜けてしまったんでしょう。回復すれば、義母上は、私が責任をもってご帰還できるように取り計らいましょう。」
フランソワはもちろん、かつての敵に妻という人質を取られてしまうのは避けたかったのですが、それ以上にカルロスとの過去の遺恨はないと皇帝に行動で示さなければならない立場でした。それに、一刻も早く国に戻り、マリアンヌ、つまりエレノアの離婚後に結婚しようと考えている愛人の様子を確かめたかったのです。
「とりあえずエレノアの動向についての報告が、入ってくるよう、手は打っておいたわけだし。」
フランソワは、表向きだけはカルロスの行為に感謝の言葉をのべて、帰国の途についたのでした。
フランソワが帰国するより早く、エレノアの手紙がエドモンの手元に届き、数日後、フランソワが自分の城で愛人と快楽に耽っているころ、エドモンはフィリップと、カルロスとの会合の場所であるエドモンの別荘に向かって馬を並べていました。
「父上」
とエドモンに話しかけたフィリップは、こう続けました。
「私は、あのカルロスという男、どうにも信じられません。これは罠ではないのですか? ジャンカルロが病気のときのことを、まさかお忘れになっていませんよね。何よりの証拠に、今は母上を人質にとっているのですよ。」
「確かにそうかもしれない。ただエレノアが、フランソワのもとにいるよりは安全だ。フランソワにとって、エレノアはジャンカルロの婚礼の式までの間までいれば、いい存在だ。その後、彼女を幽閉するか、離婚できなければ殺すかもしれない。それを見抜いたカルロスは私に恩を売ってくるかもしれないが、エレノアが無事であれば、私は最悪の事態だけは避けられたと認めなければならない。」
「そんなこと! 父が、いえフランソワがそこまでするなんて」
「私もそう思っていたが、今にして思えば迂闊だった。でもエレノアの手紙で知ったよ。フランソワの愛人の存在を。どんな家の女性かまだ知らないが、すでに彼女が妊娠していたとなれば、エレノアは邪魔なだけだ。」
「しかし、やはりカルロスは信用できない!」
「彼に会ったことがあるのか? フィリップ。」
「いいえ。ただ、私は、マリナエレナが、妹が、幸せかと。。。」
「やはりそのことなんだね。フィリップ。この問題は、私が解決することじゃない。君が実際にカルロスと会って話して、結論を出したまえ。」
先に別荘に着いた二人は、カルロスの到着を待ちました。約束の時間は正午。馬丁に馬の世話を頼んでいるときに、はやカルロスの馬の蹄の音が聞こえてきました。
「やあ、相変わらず時間厳守だな、カルロス。しかし本当に一騎でやってくるとは。見上げた奴だ。」
馬上からカルロスは答えます。
「遅れていないつもりだが、エドモン。久しぶりだな。そしてフィリップ殿。あなたとも数年ぶりになるかな。」
「おや、フィリップ、君はどこでカルロスと会っていたのか? 初対面のはずじゃなかったのか」
「いえ、私は。。。」
カルロスに会ったら、まず侮蔑をこめた一瞥を投げてやろうと考えていたフィリップは、最初から友好的なカルロスのペースに巻き込まれて、顔を赤くして黙り込んでしまいました。
「会ったというのとはちょっと違うな。失礼。フィリップ殿。混乱させてしまったようだ。おいおい説明しよう。なあ、エドモン。まずは冷たい白ワインを一杯飲ませてくれ。」
***
そのころ、フランソワはマリアンヌと一緒に白ワインを飲んでいました。しかしここでの会話は一方的で、フランソワは一人で考えこんで、マリアンヌが一人でしゃべり、彼女の問いかけに答えようともしませんでした。
「で、ジャンカルロの婚礼の宴はどのようなものでしたの? 花嫁の衣装は? ソフィーさん、さぞやおきれいでしたでしょう?でも2歳も年下の花婿に、満足できるのかしら?」
フランソワは、また疑心暗鬼に取り付かれはじめていたのです。マリアンヌに妊娠の兆候がまったく見られないことに。エレノアがローマに出立する2ヶ月も前から、マリアンヌとの仲ははじまっていたから、ジャンカルロの婚礼の時期を除いたとしても、もう半年になる。なのに、なぜマリアンヌは妊娠しないのか? 彼女の体に何か問題があるに違いない。これでは世継ぎが生まれないではないか。これではエレノアと離婚しても意味がない。ほかの女をまた捜さねばならないのかもしれない・・・。一人考え込むフランソワ。
そこへマリアンヌ付の侍女が「奥様」とマリアンヌに声をかけます。
「ご注文の衣装を仕立屋が持ってまいりました。よろしければ、寸法を確かめていただきたいとのことです。」
「いいわ、メイ、すぐ行くから、私の寝室にお通しして。ね、あなた、考えごとにお忙しそうですから、お一人にしてさしあげますわ。何か用があれば、侍女のメイを呼んでくださいな」
そういうと、自分の相手をしてくれないフランソワに愛想をつかしたマリアンヌは、退出の許しも得ず、自室の行ってしまいました。そしてフランソワは、まさしく用があったので、侍女のメイを呼んだのでした。用とは、彼の床の相手をさせること。マリアンヌの仮縫いの最中に。
***
マリアンヌの仮縫いが済んだころ、エドモンたちの会食が済み、3人はいよいよ本題に入ろうとしていました。
食事の間中、カルロスの快活で、教養があり、たしなみのよさを感じさせる話しぶりに、フィリップは意に反して、すっかり魅了されてしまったのです。
「こんなはずではなかった。彼は自分の結婚も出世の道具とするような、冷酷で計算高い人間のはずではなかったのか?かつてジャンカルロの継承権を脅かした、無慈悲な奴ではなかったのか?」
フィリップの頭は混乱した状態のまま、カルロスが打ち解けた口調で話しかけました。
「まず、フィリップ、君にこの会談に同席してもらうことを要請した理由を明らかにしたい。」
まっすぐな目でこう切り出されたフィリップは、こう言い返すのがやっとでした。
「あなたは、どこで私とお会いになったのですか?」
カルロスがフィリップの目を見つめまま、明快にはっきりと答えます。
「マリアエレナの堅信式で」
驚きのあまりフィリップは絶句し、かわりにエドモンが口を開きました。
「エレノアからの手紙を読んで、なんとなく君は知っていたような気がしていた。そうか。あの頃、君は皇帝の姪の護衛も勤めていたからな。」
「驚かせてすまない、フィリップ。私はすべて知っているんだ。そして君と同じように、一目マリナエレナを見て恋に落ちた。でも私は立場上、感情を押さえ込んだ。彼女が、君との不幸な事件で難しい立場に追い込まれたとき、あのとき彼女はエドモンの養女とはいえ、明らかに法王派の領主の娘だったからね、救いたかったんだ。君も知っている、あの肩の傷。彼女は心も体も傷ついていた。さらにこれ以上、誰かが彼女を傷つけるなんて、耐えられなかった。」
「肩の傷!そうかすっかり忘れていた! あのときマリアエレナを助けるのに手をかしてくれた少年は、君だったのか。あのとき、貴人の使いとかで、あの薬草に詳しい老女に庵にいた少年は君だったのか。神に感謝してください、などというから、てっきり法王派の領主の小姓かと思っていた」
「なぜ、皇帝派の人間が神に感謝しちゃいけないのかい? あのときは、もちろん、マリナエレナがどういう人の娘なのか、知ろうとも思わなかった。ただ、フランソワを殺すとエレノア殿が絶叫したのは覚えている。あのときの幼女がマリナエレナだと気がついたのは、堅信式のあとだ。彼女がベールをとった瞬間に気がついた。あの肩の傷。そして、彼女が君、エドモンの養女だと知ったときに確信したんだ。あんな幼い子を刺すなんて、マリナエレナを刺すなんて、私は長い間、個人的にフランソワを許せなかった。」
「では、それでは、あなたのもとで、マリアエレナは、妹は幸せなのですね。」
「それは、君が直接彼女に聞いてみてくれ。」
「私は、てっきり、あなたが、マリアエレナを利用したんだと、ああ、私が浅はかでした。許してください。エドモン」
「なぜ私に謝るんだ? フィリップ」
「おい、エドモン、馬の蹄の音が聞こえないか?それも十騎以上いそうだ」
「ああ、すみません、エドモン。私はフランソワに利用されていたんです。騙されていたんです。今、はっきりと気がつきました。この会合の場所も、フランソワに。。。」
「弁解はあとだ。ここから脱出するほうが先のようだな、エドモン。」