皇帝陛下への謁見
第59章
宰相である父の病状が心配だったロバートでしたが、父の屋敷に戻る前に、その途上に位置するジャンカルロの屋敷を訪ねることにしました。あの偽造印璽をどうするか、相談をすることが最優先の問題だったからです。
ロバートはフォーフェンバッハ憎しの一念で、仲間と一緒にザルツブルグに向かってときは、こんなことになるとは思ってもいませんでした。
フォーフェンバッハを追ってキプロスまで来てしまい、予想外の幸運にもキプロス王と面会することができ、そこで偽造印璽の一件を聞かされ、ジュリエットと薬草園での出会いで癒やされたものの、マリアンヌと一緒に、急遽脱出劇に協力することになるという怒濤の流れでヴェネツィアに到着したものの、初めてお会いしたヴェネツィアの元首殿が目の前で倒れられてしまったため、マリアンヌ応急処置の手伝いをするなど、今まで経験したことがないことが立て続けに起こったのでした。
しかも偽造印璽の問題、フォーフェンバッハの処遇の問題など、ロバートが自分の力だけでは解決できない問題がのしかかったままだったので、ジャンカルロの屋敷に到着したときは、自分で気がつかないほど疲れた顔をしていたのでしょう、ジャンカルロから、まず休むように勧められて、思わず椅子に座り込んでしまったのでした。
幼い頃は虚弱体質だったことを知っているジャンカルロは、ずっと気を張っていたに違いないロバートを思いやって、そのままの格好で良いから、と話を始めました。
「お父上の病状については順調に快復している、との確かな情報を得ている。逆に心配されるのは、ご記憶がかなり曖昧になっており、数十年の昔のことは割ときちんと覚えていらっしゃるのに、ここ数年の記憶が欠落されているご様子だと。特に最近のことは、何度お話ししでもすぐ忘れてしまうとのことだった。」
「そんなに酷いのですか?」
「もちろん表向きは、ただ一時静養されているという話になっているが、私の妻ソフィーの話によると、時々マレーネ様のことをドロテアとよび間違えたりされるするのだそうだ。最初に宰相殿の言動がおかしいと気がついたのは、マレーネ様だったのだよ。たまたま妹が姉であるソフィーのところに相談に来ていたので聞いたのだが。」
「そうでしたか。」
「今、キプロスでのことをお話ししてもご理解するかもしれないが、すぐお忘れになってしまうだろう。フォーフェンバッハのことも、彼とどんな謀議を図ったのかも、おそらく記憶は曖昧だろうと思う。仮に偽造印璽が宰相殿の指示で行われていたとしても、その目的すら忘れてしまっているかもしれない。」
「ジャンカルロ殿、姻戚関係にあるとはいえ、ご厚意に甘えて相談にのっていただいて、本当に申し訳ないです。本当は私が解決すべき問題なのに・・・」
「いや、隠さずに打ち明けてくれて、実は私も助かったのだ、ロバート殿、あなたから相談の手紙を受け取ったとき、実は私は皇帝陛下なら内密に偽造した印璽を探すように仰せつかっていたのだ。」
「で、では、皇帝陛下はすでに偽造印璽があることに気づかれていたと?」
「おそらくは。私もそのあたりは詳しく伺ってはいないが。宰相殿、フォーフェンバッハがが係わっている可能性が高いとは私も思っている。」
「私は、知っていることを全て正直に皇帝陛下にお話します。それでどのような制裁を受けようと、私は甘んじて受け入れます。その覚悟はできております。」
「ロバート、あなたが何も知らないと陛下もお考えになるとは思う、だが、最悪の場合、財産没収の上、国外追放くらいの処分はあり得る。そこまでの覚悟はできているのか?もちろん私は情状酌量をお願い申し上げるが・・・。」
「私は自分の過去と清算しなければ、前に進めません。仮に父の過ちによるものでも。私は生き直したいのです。」
キプロスから帰国してわずか1週間後に、ロバートは皇帝陛下への謁見を許され、ジャンカルロとともに、キプロス王ジェロームからの親書と、託された偽造印璽を持って、皇帝の宮殿に登城したのでした。
ジャンカルロのアドバイスで、宰相である父の屋敷には寄らずに、ジャンカルロの邸宅からそのまま向かったのです。何らかの口裏あわせをしたと疑われないように、との配慮でした。
ロバートは緊張しながらも、はっきりした口調で、「少し長い話をなってしまうことをお許しください」と断ってから、知っていること、体験したことを時系列にすべて申し開きしました。
幼少の頃、母がザルツブルグで無実の罪を着せられ殺されるという場を目撃してしまい、ショック症状になったこと。そのため虚弱体質だったが、治療を受けて快復したこと。偶然ヴァティカンの秘書長官から、母が生きていて、サルツブルグ郊外のフォーフェンバッハの居城で長年幽閉されていた後に亡くなった場面に立ち会ったと伝えられたこと。それ以来、母を陥れた宰相の部下の一人フォーフェンバッハの裏切りの証拠を探し、ついに彼を追ってキプロスまで追いかけたこと。そこでフォーフェンバッハを捉えていたキプロス王と面会することができ、驚くべき事に神聖ローマ皇帝の印璽を見せられ、なぜこれがキプロス王の手元にあるのか、王自らの説明した内容を聞いたこと。
ここまで話すと、ロバートは
「これがキプロス王から皇帝陛下への親書と、託された印璽です。」
といって皇帝陛下に差し出しました。
皇帝陛下は、口を挟むことなく、ずっと難しい顔をしてロバートの話を聞いていましたが、ロバートの差し出した親書を受け取り、ゆっくりと読み出しました。
静寂の時がしばし流れたあと、皇帝は、「人払いを」と下僕に命じ、ロバートとジャンカルロを手招きし、自ら「二人はこちらへ」と奥にある皇帝の私室へついて来るように命じたのです。
「それで、ロバート、お父上の病状はどうなのだ?」
皇帝の私室で3人だけになった途端、皇帝が穏やかな表情になってロバートに尋ねました。一瞬、どう答えようかと躊躇したロバートでしたが、ジャンカルロのアドバイス通り、正直に答えました。
「病状は快復している、と聞いております。まだキプロスから帰国してから会っておりません。まずはこの印璽を陛下にお届けすることが先決と思い、ジャンカルロ殿を通じて謁見をお願いした次第でございます。」
「なるほど。ジャンカルロ、そなたにこれの探索を命じて正解であったな。」
皇帝は少し上機嫌な様子で、ロバートが持ち帰った箱を開け、袋から印璽を取り出しながらそう言うと、改めてじっくりと眺めています。
「陛下、それはやはりお探しになっていた偽造印璽でお間違いないでしょうか?」
恐る恐るジャンカルロが尋ねると、皇帝はそっけない調子で答えました。
「いや。これは偽造印璽ではない。本物の印璽だ」
「な、何と!?」
「いやいや、驚かせてしまったな。では事の真相を明かすとしよう。ただしこれから話すことは親族にも一切口外禁止だ。もしこれから話すことが漏洩したら、申し訳ないがお前達を処刑せねばならなくなるからな。朕としても信用できる臣下を二人も失うことは避けたい。」
「心得ました。」
ロバートとジャンカルロは、ほぼ同時に返事をすると、皇帝は満足そうに微笑み、この印璽にまつわる物語を話しはじめました。




