濃すぎる血
第58章
マリアンヌの適切な処置のおかげで、翌朝にはリッカルドは上半身を起こして食事をとれるまで快復しました。
「たいしたことはないって、まだ無理をなさらないでくださいね。リッカルド、自分の年齢を考えて!あと数日間は私が手当と監視をします。」
「はは、私にそんな命令調の口をきけるのは、もうマリアンヌくらいだな。」
「1週間は安静にしていただかないと」
「それよりマリアンヌ、マリアを診てくれないだろうか。心を病んでしまったようだ。長年私に秘密を隠し続けていたが、何が引き金になったのかわからないが、彼女の心の中の何かが壊れてしまったようだ。実は帰国したジュリエットをブレンダ運河沿いの私の別荘に滞在してもらうつもりだったんだが、とりあえずマリアが落ち着くまで、あそこで療養させている。」
「リッカルド、もしかしてあなた、知っていたの?ジュリエットがマリア様の娘だったことを」
「いや、マリアの告白は驚いたが、とても若いころ私と結婚する前のことだ。それは私への不貞ではなく、当時のご主人であるエドモン殿への不貞だろう。エドモン殿が亡くなられた後のことなら、不貞ですらないな。しかし彼女は自分が許せないようだ。もしかしたら、相手は私が知っている人物だからだろうか。」
「わ、わかりました、とりあえず、マリア様のところに伺って様子を見てきますわ。必要ならば治療も」
会話を切りたくて、慌ててそう言ったマリアンヌを、リッカルドが諦観とも取れる目でじっと見つめました。
「なるほど。父親が誰だか君は知っているのだね、マリアンヌ。でも今更聞く必要はない。それよりとりあえずマリアを元気づけてくれ。頼む。キプロスでの報告はそれからでも遅くあるまい。」
「あなたの手当もまだ必要だから、私の優秀な弟子、ジュリエットを置いていきます。」
「わかった。ここにいるのは、マリアンヌの助手のジュリエットということだね。私からは彼女には何も言わないことにしよう。ただ、キプロス王や王宮のことは尋ねてもいいかな。」
「ジュリエットは賢い子です。話すべきことはあなたに全てお話しするでしょう。」
そろそろジュリエットにも全てを話した方がいい頃かもしれない、という思いながら、マリアンヌは元首宮からゴンドラに乗って、ブレンダ運河沿いのリッカルドの別荘へと急いだのでした。
マリアンヌの姿を見たマリアは、まるで亡霊のようにやつれていました。
「ジュリエットが処刑されたなんて! やはり罰は当たったのだわ。マリアンヌ。私が身代わりになれればよかったのに!」
このときジュリエットが実は生きていることは、リッカルドとマリアンヌのほかは、ジェロームとカルロス、ロバート、アラン以外は知らない極秘事項でした。本当の親であってもフィリップには知らせないのは当然でしたが、マリアの状態を見て、彼女にも真実を知らせるべきとマリアンヌは判断しました。
「あなたは、ジュリエットがキプロスで幸せになれるって、おっしゃったじゃない。なのにどうして? どうしてこんなことに! キプロス王はなんて非情な人間なの。いえ、人ですらないわ、悪魔だわ!」
「マリア様、キプロス王は悪魔ではありません。新しいスルタンを欺いてまで、ジュリエットをキプロスから逃してくださいました。」
「え?」
「ジュリエットは生きております。無事にヴェネツィアに戻ってきました。」
「え、でも処刑されたと・・・」
「あれはキプロス王の狂言です。」
「え、今ジュリエットはヴェネツィアのどこに?」
「いま、元首宮のリッカルド殿の庇護の元におります。ご安心ください。」
「そんなこと、ひとことも聞いてない。」
「申し訳ありません。ジュリエットを秘密裏に帰国させる作戦が暴露されたら、サンマルコ共和国全体がスルタン軍の攻撃に矢面にたつでしょう。裏切られたと知った若きスルタンはキプロス王を処刑するでしょう。ジュリエットの脱出計画は極秘に進めなければならなかったのです。」
「・・・・」
「キプロス王は自分の名誉や地位、命よりもジュリエットの命を一番に考えてくださったのです。」
「・・・・」
「近いうちに、こちらにジュリエットを来させます。今はリッカルド殿の怪我の手当をしておりますので。」
「あ、私、リッカルドに・・・そんな、傷をつけてしまっていたの? たいしたことはないって・・・」
「マリア様、リッカルド殿は、ジュリエットのことはあなたの不貞ではない断言されました。だから、心を落ち着けてください。大丈夫です。何も心配することはありません。まずは安心してお休みください」
マリアに鎮静効果のあるクリームを塗り、すこし眠くなる薬草茶を飲ませたあと、一人思いを巡らせます。
キプロス出発前はカルロスの提案通り、ジュリエットをカルロスの居城にかくまってもらおうと思っていたけれど・・・帰国したら、カルロス本人はロードス防衛戦に行って今は不在、まだ若いアランに彼女の身柄を任せるのは不安だわ。しかもキプロスや帰国船の中のでのあの様子、明らかにアランがジュリエットに恋をしているのが見て取れる。カルロスもマリアエレナもいないところで、あのアランと一緒に過ごしたら、彼がジュリエットに対して、どういう行動に出るか安易に予想がつくわね。ジュリットにしてみれば、滞在させてもらっている恩を感じて、アランの好意を毅然と拒否することはできないかもしれない・・・。
アランとジュリエット。
アランはカルロスとマリアエレナの息子、ジュリエットはフィリップとマリアの娘。そしてマリアエレナとフィリップは双子。ダメダメ、あまりに血が濃すぎる。もしも二人が結婚することになったら、とても許されることではない。
そういえば、フィリップもとても若い頃、別々に育ったマリアエレナに恋をして事実を知り、それで僧職の道を選んだのだったわ。
そうね、取り返しのつかないことになる前に、ジュリエット本人には本当に父と母が誰か話そう。そしてこれからどうしたいのか、じっくりと相談しましょう。




