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帰国早々

第57章

 リッカルドの配慮のおかげもあり特に大きなトラブルもなく、マリアンヌ一行は無事にサンマルコ共和国に戻ってきました。ジュリエットは表向きキプロスで処刑されたことになっていましたから、国家の養女として華々しく国を出発したときと違い、質素な服を身にまとい、マリアンヌの付き人のような出で立ちでの帰国となりました。国に無事帰ることができた喜びと同じくらい、実の父のように優しく慈愛をもって接してくれたジェロームを懐かしむ気持ちがジュリエットの心の中で葛藤していたのです。


 帰りの船では、ずっとおとなしいジュリエットに話しかけては笑わそうとしたりしていたアランは、すっかり彼女に夢中になっていました。

 一方のロバートはジュリエットの複雑な生い立ちを理解していたので、悩んでいる様子の彼女をできるだけそっとしておいたのですが、一度だけ二人だけでゆっくりと話し合う機会がありました。

 ある晩、ロバートが船内で眠れず一人甲板へ出たところ、同じように星空を眺めているジュリエットを見つけ、話しかけました。

 「夜風は冷たいですよ。一人で考え事をするには静かでよい晩ですが、そろそろ戻らないと風邪でも引いたら大変だ。」

 「ありがとうございます。そうですね。ベッドに私がいないのに気がついたら、マリアンヌ様も心配しますね。」

 「こういう状況で将来が不安なのですね。でもあなたはまだお若いし、マリアンヌ様がついています。何か困ったことがあれば、私も頼ってください。こうしてお知り合いになれたのも何かのご縁です。」

 「ロバート様、私は今まで自分で自分の人生を切り開いたことがないんです。強くこうしたいと望んだことがなかったのかもしれません。いつもマリアンヌ様が私を導いてくれていたので。でもこれからどうしたらいいのか、わからないのです。」

 月明かりの中、珍しくジュリエットが饒舌に話しを始めたので、ロバートは彼女が気持ちを吐露させることにしました。


 「生まれたときから修道院の孤児院で育ちましたけれど、お友達もいっぱいいて、しょっちゅうマリアンヌ様が尋ねてきてくれて、寂しいと感じたことはあまりありませんでした。マリアンヌ様の治療のお手伝いも、もともと興味もあって、楽しかったです。キプロスに行ってもジェロ、いえキプロス王が、初めからとても優しく気遣ってくださいました。父というものはこういう方なのではと思っておりました。私のために素敵な薬草園を用意してくださいましたし、マリアンヌ様から習った治療の真似事のような手当でも、とても喜んでくださいました。

 私にとって、マリアンヌ様は頼れる姉であり、愛おしんでくれる母であり、薬草の師匠でもあるのです。ただ、今回は突然そのマリアンヌ様から新しい人生をスタートしなくてはと言われて、正直混乱しております。」

 「あなたと王宮の薬草園で初めてお会いしたときお話したように、私も幼い頃に母が暴徒に襲われる場面を目撃してしまい、ショックからから生きる気力を失ったとき、助けてくれたのはマリアンヌ様でした。彼女は私にとっても心強い姉であり、私を治療しながら、私が自分の意思で立ち上がるまで励ましてくれた医者のような存在でした。あなたの場合もきっとマリアンヌ様はあなたがどうしたいのか決めるまで応援してくれると思いますよ。」

 「でも、国に帰って、どうすればいいのか、何をしたいのか、わからないんです。マリアンヌ様は、もう一度新たな人生をスタートできるのよ、とおっしゃってくださったけれど。」

 「では一つだけ。私からのお願いを聞いていただけますか?あなたにしていただきたいことがあるんです。」

 「え?なんでしょうか?」

 「薬草治療は続けてください。あなたはマリアンヌ様の教えを継ぐことができる知識と才能があります。そしてそれによってこれからもあなたに救われる人がたくさんいるはずです。自分のために生きようとすると、ときとして何をしていいのかわからなくなるときがありますが、誰かの為に自分が役立てると思うと、生きる元気が、目的が出てくるはずです。」

 「ロバート様、あなたは誰かのために生きようとしているのですか?」

 「私がキプロスに来たときまでは、亡くなった母のために、母を陥れた相手に直接復讐をしようと生きてきました。しかしマリナンヌ様をはじめ、多くに信頼する方々から、本当の復讐は私自身が幸せになることだと諭されました。だから今は、これから幸せになるために、過去をきちんと清算することから始めようと考えています。」

 「幸せになるために、過去を清算・・・」

 「大丈夫、いま自分に出来ることをしていれば、いずれ見つかるはずです。」


 ヴェネツィア上陸後すぐ、早馬に乗った伝令が港にやってきてアランは父のロードス島攻防戦の参戦の報を聞き、慌てて城主不在の城に帰ることになりました。さすがに母が亡くなり、父もいないとあっては、立場上、長子である自分が家族を守らなければなりません。ジュリエットと上陸早々に別れるのは後ろ髪が引かれる思いでしたが、まだ若いアランは「父が無事に戻ってきたときは、ジュリエットを紹介したい」などと考えていたのでした。


 ロバートはジュリエットを、当座の滞在先となる元首宮の奥の部屋までマリアンヌとともに送り届けると、召使いから「皆様、こちらへ」と、小さな客間へと案内されました。そこに元首であるリッカルドが密かに待っていたのです。


 ロバートにとって、サンマルコ共和国元首に会うのは初めてのことでした。緊張するロバートを見て慌ててマリアンヌが紹介を始めました。

 「リッカルド、彼は神聖ローマ皇帝の宰相のご子息のロバート殿です。事情があり、キプロス王からの依頼で、彼が私たちの護衛として同行してくれました。詳細はフォスカリ殿から預かったこの通信に書いてあると思います。アランはすでにカルロスが不在となった城に向けて出発していまいました。ロードス島防衛の陣頭指揮を執ることになったとか。本当に戦闘が始まってしまうのですね。」

 「マリアンヌ、ありがとう。ジュリエット、お疲れさま。ここは私の私的な召使いしか出入りしないから、とりあえず安心してここで長旅の疲れを癒やしてほしい。 そしてロバート殿、まだ少年の頃のあなたにお会いしたことがあるが覚えていないだろうね。フォスカリからあなたのことは聞いている。今回はわが共和国の養女であるジュリエットの救出に力を貸してくださり、心から感謝する。」

 「いえ、元首殿。私はたまたま私的な理由でキプロスに滞在しておりましたが、目的達成の手段がなく困っていたところ、貴国の商館長のフォスカリ殿のご協力でキプロス王とお会いすることができました。こちらこそ感謝いたします。」

 「よろしければあなたも今晩はこちらにお泊まりいただけないだろうか?あなたにご相談したいことがある。」

 「元首殿、ご心配には及びません。私はジュリエット様のことは一切口外いたしません。もちろん父にも。今回私がキプロスに来たのは、個人的な理由です。お信じいただけないかもしれませんが、私は恩人であるマリアンヌ様に御返しのつもりで、キプロス王からの依頼を承諾しました。裏切るようなことはいたしません。」

 「あなたを信用しよう、ロバート殿。ジュリエットは・・・」


 そこまで言いかけて、突然リッカルドが倒れました。頭を床にぶつける直前になんとかロバートが抱きとめると、下腹部のあたりから血が滲んでいること気がつきました。

 側にいたマリアンヌがすぐにその場で応急処置をはじめます。マリアンヌの冷静で機敏な態度、悲鳴など上げず当然のようにマリアンヌの処置の手伝うジュリエット。

 「ロバート、申し訳ないけれど、近くにいる召使いに頼んで、新鮮な水を湧かして、洗い立ての綺麗なシーツ、それに強いお酒をもらってきてもらえないかしら。あと、灯りもいくつか。」

 「マリアンヌ様、針と糸はこちらにございます。キプロスで育てた止血用の薬草が、私の荷物の中にあります。」

 「ありがとう、ジュリエット。ロバート、騒がずになるべく早く持ってきて頂戴。」

 ロバートはマリアンヌの指示したものを調達しに部屋を飛び出していきました。


 「まったくもう、リッカルド。こんな怪我をしたまま、ちゃんと止血せずにどうしてきちんと処置してもらわなかったの。」

 「はは、マリアンヌ、すまない。別に暗殺されかけたのではないよ。サンマルコ共和国では元首一人殺したところで、次の元首が選ばれるだけ、体制には全く影響がないので意味がない。個人的な事情だよ。ちょっと怪我の程度を甘く見ていたようだ。」

 「今はしゃべらないで、リッカルド。傷が痛むでしょう?無理しないで。鋭利な刃物の傷だわ。傷口は膿んでいないようだから、ジュリエット、まずアルコール消毒してから止血の準備ね。」

 「はい、すぐ止血用の薬草をとって参ります。」


 マリアも部屋から出て行くのを確認してからリッカルドは告げました。

 「マリアだよ」

 「え?」

 「ジュリエットは私の娘だと、自分の不貞の罪を私に告白したんだ。そして恥じて自殺しようとしたマリアを止めてもみ合っているうちに刀が胸に刺さったのだ。」

 「・・・・」

 「ジュリエットはキプロスを脱出したという事の次第を説明する前に、錯乱したような状態になってしまった。とりあえず無理矢理強い酒を飲ませて、寝かしつけたんだが。」


 そこへロバートとジュリエットがそれぞれの品物をもって同時に部屋に駆け込んできました。


 とりあえず応急処置を済ませたマリアンヌとジュリエットは血で汚れた衣服を着替えに部屋に戻り、ロバートは召使いと一緒に、ロバートの宿泊用に用意されていた部屋の寝台までリッカルドを運び、寝かせました。


 「私は今晩一晩、ここでリッカルドの看病をするわ。ロバート、あなたはどうする?」

 「ご心配なく、神聖ローマ帝国の大使館に行けば泊まらせてもらえるはずです。それが無理でもどこか宿ぐらい見つけられますよ。とりあえず、国に戻ります。」

 「最後の最後までありがとう、ロバート。リッカルドは私がいるから大丈夫よ。」

 「ジュリエット様は大丈夫ですか。」

 「冷静なようだったけど、やっぱりとても疲れていたみたいね。着替えをしようとしてそのまま下着姿で寝入ってしまったわ。」

 「私がジュリエット様の治療姿にとても感動していた、とお伝えください。」


 ロバートは覚悟を決めた表情で、夕闇迫る元首宮をひとり後にしました。

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