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突然の悲劇

第51章

 ロバートがキプロスに旅立つ数ヶ月ほど前、マリアエレナが産後の体調不良から寝付いたままになっていました。


 あの幼い頃の大怪我以来、季節の変わり目や、疲れが重なった時など、古傷が痛むことがあったマリアエレナでしたが、三度目の妊娠(二度目は流産)、しかも今回は双子の出産とあって、かなり体力的に負荷がかかり、産後の肥立ちが悪く、軽い鬱状態にまでなってしまい、侍医に相談してもなかなか回復せずにいたのです。


 普段からカルロスに従順で、こうしたい、あれが欲しい、といった要求などほとんどせず、我が儘とは正反対のマリアエレナが、かつて治療を受けたことのあるマリアンヌをどうしても呼んで欲しいとお願いをしたのです。

 「我が儘をいってごめんなさい、カルロス。ずっと前、逗留先の長雨で帰れなくなり、体調がおかしくなったときに、あのとても香りのよいクリームで治療をしていただいたことがありましたでしょ。あのとき、身体だけでなく、気分もとても良くなったのを思い出したのです。あの方を呼んでいただけないかしら? 双子のためにも、元気にならないと。」


 マリアエレナのたっての希望に、夫のカルロスはマリアンヌの元に急使を派遣して、彼女を呼び寄せました。

 カルロスからの手紙を受け取ったとき、実はマリアンヌは、ここ1,2週間でヴェネツィアから遠国に出かける準備中でした。しかしカルロスからの要請にすぐ応じて、マリアエレナのもとに駆けつけたのです。カロルスの取り乱したような呼び出しの文面に、マリアンヌもある程度の病状を察していたのですが、ベッドに伏したまま、かなり衰弱した状態のマリアエレナの姿に、マリアンヌは呆然としたのです。

 「まだ生きる気力をお持ちのうちに、なんとかしなければ」


 マリアンヌが1ヶ月以上の間、つきっきりに懸命な治療を行ったおかげか、マリアエレナは、ベッドから出て、マリアンヌの手を借りながら10分程度なら中庭を散策できるくらいまで快復しました。

カルロスもほっと安心し、マリアンヌも、そろそろお暇をしてもよいかな、と思っていた矢先、マリアエレナが、一人で歩く練習をしようと中庭に続く階段で足を滑らせ、頭を強く打ち、まだ生まれて半年とたっていない幼児の双子を残して、あっけなく亡くなってしまったのです。


 傷心のカルロスに代わり、マリアンヌがフィリップやジャンカルロなどの血縁者を含めた多方面に手紙を書き、訃報を伝えました。


 フィリップは、マリアンヌからの手紙を受け取る前に双子の本能なのか、マリナエレナの身に何かが起こった事を感じていたのでした。すぐに彼女の様子を確認しに訪問したかったのですが、なかなか遠出の外出ができない立場のため、取り急ぎマリアエレナへ消息伺いの手紙を送っていました。そこへ、マリアンヌからの訃報を受け取り、動揺します。


 フィリップもこのとき、かなり精神的に参っていたのでした。長年のヴァティカン内での駆け引きや調停などは、そもそも純粋な精神の持ち主のフィリップには苦行でしかなかったのです。若い頃は、リッカルドという個人的な相談役がいましたが、リッカルドも本国で元首となり、秘書官長という公的な立場になった自分が、おいそれと内密に相談できる立場でもなくなり、カルロスやジャンカルロにも、悩みを打ち明けるわけにはいきません。

 フィリップも何年もかけて少しづつ疲弊が重なっていったのでした。そこへマリアエレアの突然の訃報に、フィリップの心の中で、何かが壊れてしまったのでしょう、ヴァティカンでの地位を捨てて、一介の修道士に戻ると宣言し、ヴァティカン宮から去ってしまったのです。そしてそのまま、諸国を巡る放浪の旅へと出て行ってしまったのでした。


 マリアエレナの葬儀が終わり、マリアンヌは憔悴しきった様子のカルロスが心配ではありましたが、国に戻ることを告げました。

 マリアンヌの帰国の意思に、カルロスは柄にもなく、彼女に甘えて頼み込みました。

 「もう帰るのか? しばらくここにいてくれないか?マリアンヌ。 乳母がいるとはいえ、双子もまだ赤ん坊だ。私一人ではどうしていいのか、わからない。」

 「しっかりして、カルロス、双子の父親はあなたしかいないのよ。あなたから頼みにくいようなら、私からソフィー殿に手紙を書くわ。彼女なら、アランや双子たちの面倒をみてくれるでしょう。」

 「君ではダメなのか?」

 「カルロス、私は、これからある国に出かけなくてはならないの。」

 「どこへ行くつもりなのか?」

 「それは、今は言えないわ。無事戻ってきたら、話してあげる。私はいままでの人生で後悔したことはないわ。でもね、ひとつだけ、けりをつけなきゃいけないことがあるの。すぐに来てほしいと頼まれているのよ。今行けば、おそらくふた月くらいで戻ってこれると思うわ。」

 「けりをつけるって、何を?お願いだ、ここにいてくれないか?私一人では、どうしていいかわからない。双子はもちろん、フィリップも精神的にかなりダメージを受けている。当然かもしれないが、マリアエレナ葬儀に参列もできなかった。今どこにいるのかもわからない。いま私が頼れるのはマリアンヌ、君だけなんだ。」

 「ごめんなさい、カルロス、今は私が後見人となっている人を、救いに行かなくてはならないの。それこそ私以外に救いだせる人間がいないのよ。今なら間に合うの。だから3カ月待ってちょうだい。。」

 「でも、このまま私は一人、どうすればいいのか」

 「カルロス、じゃあ、私と一緒に救出劇に参加する?」

 「どこへ行くんだ?」


 あまりに情けないカルロスの姿に、ついマリアンヌは行き先を教えました。

 「キプロスからジュリエット殿をヴェネツィアに連れ戻すだって!キプロス王が激怒するではないか。リッカルド、いや元首殿は知っているのか?それとも彼の策謀か?」

 「キプロス王の妻とはいえ、奴隷の身分でしかないのよ。いなくなっても面子は傷つかないわ。それに、今回はキプロス王からの依頼なの。内密にジュリエットを故郷に帰国させてあげたい、と。ついにトルコが動き出しそうなのよ。スルタンが地中海に点在するヴェネツィアの植民地を攻めるとなったら、キプロス王は従わざるを得ない。どんなにジェロームがジュリエットを大切も思っていても、忠誠の証として公開処刑しなければならなくなるかもしれない。」

 「ジェロームね。彼から、ずいぶんと信用されているんだな。」

 「こんな時、変な勘ぐりはよして。彼が改宗イスラム教徒だってこと、ご存じでしょ。元はジェノヴァの船乗りよ。昔、あなたとジェノヴァに商人夫婦に変装して潜入したことがあったでしょ。あのとき、彼と知り合ったの。」

 「やはり、そうだったのか。君があの男と法王宮から出てきたのを目撃した翌日、フィリップから聞いたよ。キプロス王ジェロームのことをね。やはりあのジェノヴァで知り合ったんだな。」


 マリアンヌは、わざと事の経緯を事細かにカルロスに説明しました。正確な事態を伝えて理解して欲しいということもありましたが、政治的な問題を話せばカルロスがマリアエレナを失った悲しみを、一瞬でも忘れることができるような気がしたからです。もちろんジュリエットの出生に関する秘密は話しませんでしたが。


 「ではジュリエットをリッカルドに推薦したのは、君だったのか。」

 「私にとっては、娘同然の存在ですもの。ジェロームは政治的な駆け引きとして受け入れたけど、ジュリエット本人を気に入るとわかっていたわ。実際、ジェロームはほかの妻を形式上おいていたけれど、ジュリエットを同盟国の養女として尊重し、大切に扱っていたの。そのジェロームから、できるだけ早くジュリエットを密かに国外に逃してほしいと頼まれたの。表向きはもちろん処刑したということになるから、リッカルドに相談しようかとも思ったけど、元首の立場上、知らないほうがいいと思って、実はまだ迷っているわ。」

 「キプロスから帰国できたとして、どこにかくまうつもりなんだ?そもそもジュリエットは元首の養女ではないか、父親に事情を黙っているつもりか? 」

 「そうね、いずれにせよ、政治上は亡骸を引き取るという形になるから、正式な使節を派遣するはずだわ。とりあえず、彼女が育ったヴェネツィアの修道院に匿おうと思ったのだけど。やはりリッカルドに事情を話すほかないわね。」

 「それより、どうだろう、私のこどもたちと一緒に過ごすというのは?」

 「え?でも、あなたにとって負担にならないかしら」

 「それどころか、大歓迎だ。母を失ったアランにとっても、双子にとっても。そしてジュリエットにとっても。家族が増えるのはいいことだよ。」

 「まさか、カルロス、ジュリエットのことを。彼はあなたの娘といっていい年頃よ」

 「何言っているんだ。まあ、双子の世話を手伝ってくれると助かるとは思ったが。それより、何よりも内密に彼女をかくまうことができる。私の城なら安全だ。」

 「それは、そうね。助かるわ。リッカルドに迷惑をかけたくないし。」

 「本当は、マリアンヌ、あのジェノヴァのときのように君と一緒にキプロスに行きたいところだが、さすがにそんなに長い間、城を留守にすることはできない。その代わり往復の警護役としてアランを遣わそう。アランもまもなく十七歳になる。いろいろな経験を積むのに、よい機会だ。ぜひキプロス王にお目もじいただきたければありがたい。」

 「そうね。私もさすがに一人で乗り込むのは無謀すぎるし、アランなら秘密を死守してくれるわね。」


 しばしの沈黙ののち、マリアンヌは改めて尋ねました。

 「で、カルロス、あなたは大丈夫なの?しばらくの間、話し相手となるアランもいなくなるのよ。」

 「それより心配なのは、フィリップじゃないか? ヴァティカンを出てから、諸国を遍歴し、今どこにいるかはわからないが、この間ジャンカルロのところに手紙がきて、近いうちに訪問すると書かれてあったそうだから、私も今後のことについて、話し合おうかと思っている。」


 いつものカルロスの口調となったので、マリアンヌは安心してキプロスへと旅立つことにしたのでした。



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