キプロス島
第48章
ロバートが友人二人とキプロスに到着したのは、フォーフェンバッハが王宮でキプロス王と面談した5日後のことでした。
もちろんここでも商人のふりをしての上陸でしたが、キプロス島には神聖ローマ帝国の大使館も商館もなく、どうやってフォーフェンバッハを見つけるのか、これといった手立てもルートもなくので、とりあえず街の様子を見に行くことにしました。
「これは、予想しなかったな」
「ええ、こんなに栄えているとは。」
イスラム教もキリスト教徒も自由に取引している活気のある市場や、街中を女性が一人歩きし、小さな子どもたちだけで走り回っている治安の良さに、ロバートたち一行は驚きました。
「キプロス王は素晴らしい領主のようだ。島内の領地は決して広大とはいえないが、通商の要衝地という利点を生かして、栄えている。元ジェノヴァ人のムスリムだからこその手腕なのだろうな。」
ロバートは、フォーフェンバッハを探すという目的はありながらも、こんな見事な治世を行っているキプロス王と話をしたい気持ちがわき上がってきたのです。
そこで同行してきた友人たちに相談したのでした。
「なあ、どうだろう、ここは正面突破で、キプロス王に面会を取り付けるというのは?」
「どうやって申し込むのでしょうか?」
「あえて身分を明かして、会見を申し入れようと思う。実は私は以前、キプロス王とローマでお会いしたことがあるんだ。」
「そ、それは難しいかと。どういう名目でお会いになるつもりですか? 会見というのは、表敬訪問なのでしょうか?」
「フォーフェンバッハが何の目的で自らキプロスまで乗り込んできたのかと考えたんだ。彼は父から何らかの密命を受けて国を出たはずだ。キプロスといえば、錫の取引のことしか考えられない。ここ数年なかなか交渉が進んでいないことは私も知っている。何らかの新しい取引条件で交渉しにきたのだと思う。」
「もしそうならば、なぜ宰相殿はあなたに交渉を任せなかったのでしょう? 他の者を派遣するにも、あなたに内容を話すのではないですか?」
「父が私にその内容を言わないのは、父の考えではなく、フォーフェンバッハの考えだから、もしも上手くいかなかった時は、彼をそのまま見捨てるつもりだと思う。父は、そうやって宰相の地位を維持し続けた人だからね。」
「フォーフェンバッハの目的が、ロバート殿の予想通り、錫の取引のことでしたら、すでにキプロス王とフォーフェンバッハがすでに面会し、交渉を始めているはずです。そこにあなたが割って入ってしまっては、話がやっかいなことになりますよ。そもそも我々がここまで奴を追ってきた目的は、錫の取引は関係ないでしょう。」
友人に冷静にとめられ、まずはフォーフェンバッハを探し出すことが先決と説得されたロバートは、明日から手分けして街を捜索することにしました。
「我が国から来たと思われる人間はほとんど見かけないな。フォーフェンバッハはジェノヴァ大使だった時期がながく、おそらく旧知のジェノヴァ人の船でここに上陸しただろうから、そのあたりから探ってみよう」
キプロス島内は予想したとおり、ヴェネツィア商人、ジェノヴァ商人と思われる人間が多数行き交っており、そうした者向けの宿や食堂が何軒もあり繁盛していました。まずここをしらみつぶしに巡ってみることにしたのです。
捜索を開始して2日目の晩に、ロバートに同行していた一人でイタリア語に堪能な友人が、早速有力な情報を得ました。
「おそらくですが、フォーフェンバッハは王宮に留め置かれているようです。」
「やはりキプロス王と交渉をしに来ていたのだな。交渉が長引いているのだろうか?」
「そうかもしれませんが、どうも滞在というよりは拘束されたのではないかと」
「なぜそう思う?」
「この情報を得たのは、よくジェノヴァ商人たちがよく利用する大きな宿の1階にある食堂です。ジェノヴァ共和国はサンマルコ共和国と違い、まだ商館を置いていませんから、ジェノヴァ商人同士の情報交換のたまり場になったいるところです。
そこで近くの席にいた男達の会話に耳を澄ませていたら、大使殿が戻ってこなくてもう1週間になるが、どうするか、というような話をしていました。大使、とは呼び慣れていた言い方だったのでしょう。
王宮の衛兵には賄賂がきかないとか、下手に抗議して商売に差し障りが出たら困るとか話していました。」
「なるほど。」
「その男達の頭らしい男が、こんなことになるなら、仲介をしなければ良かった、と悔しそうに言っていましたから、おそらくキプロス王との面会は、彼が申し入れたのでしょう。」
「やはりジェノヴァ商人の力を借りていたのだな。」
「おかしな話ですよね。そりゃキプロス王も警戒しますよ。神聖ローマ帝国からの特使が、なんでジェノヴァの一商人の仲介を必要としていたのかと」
「フォーフェンバッハは何か焦っていたのか。それともジェノヴァを絡ませないといけない事情でもあったのか?」
「明らかにジェノヴァに借りを作ることになりますよね。宰相どのがそんなことをお許しになるはずはないかと」
「もしかして、キプロス王というのは、一商人の面会も受け入れてくれるのか?」
「ええ、それは私も意外でした。どうやら我々のような国の価値観とはかなり異なるようです。商売にかかわることでも、重要だと判断したら、王自身が直接面会することがよくあるそうです。実際、その食堂で行われていた会話のほとんどが、どうやったら王との面会を取り付けやすくなるのか、といった内容でした。」
「王がフォーフェンバッハとすでに錫の取引交渉をして、その条件でもめたとしても、特使と認めていたら拘束などしないでただ返すだろう。交渉内容の折り合いがつかないまま、滞在している可能性は低い気がする。拘束されているということは、特使だと認めていないか、フォーフェンバッハが何かキプロス王の逆鱗に触れることをしたか。私はキプロス王に顔を知られてしまっている。おまえ達がフォーフェンバッハの同国人として身柄を引き取ることはできなだろうか。」
「しかしお父上の宰相殿は、フォーフェンバッハが交渉失敗したら、そのままそんな特使など派遣していないといって切り捨てるおつもりだと。身柄を引き取っては事がややこしくなるだけでは?」
人生経験も外交交渉の経験の浅いロバートは頭が混乱してきてしましました。しかも今回は父である宰相には秘密の行動。下手に動いては国際問題になります。そのまま友人と議論するも、よい解決策が見つからず、翌日また考え直すことにしました。
翌朝、妙案が思いつかないロバートは、ちゃんとした計画もなく感情のおもむくまま街を歩き回っていました。彼は打開案が思いつかず、今更ながらキプロスまで勢いで来てしまったことを後悔しはじめていました。
ザルツブルグの事故現場は優秀で機転の利く友人二人に任せてきたので、まだしばらくは国に戻らなくても大丈夫だろうとは思っていましたが、フォーフェンバッハに復讐したいという私怨でここまで追ってきたところで、国際問題を引き起こすことなってしまったら。今更ながら、復讐を辞めるように諭したジャンカルロの言葉を思い出していたのでした。
そんなことを考えながら王宮近くの広場を歩いていたとき、声をかけられたのです。
それはヴェネツィア商館に勤める役人だと身分を明かし、ロバートをヴェネツィア商館に招待したのでした。




