屋外での面会
第46章
「残念だったな、兄ちゃんたち。結構金払いのいい水夫の臨時募集があったんだけどな、あっという間に人が集まって、一昨日出航しちまったよ。」
「そうか、ちょっと遅かったか。」
河岸の近くで人夫を差配しているという男にやっと行き着いたと思ったら、どうもフォーフェンバッハはすでにジェノヴァを船で出立していたのです。
「ちなみに、その舟はどこへ向かう予定だったんだ?」
「キプロスさ。向こうはここんとこ、景気がいいんだよ。今のキプロス王ってのは、元ジェノヴァ人だって知っていたかい? おかげで商いのチャンスだって、結構舟が行き来するようになっているんだ。まあ、あんまり派手にやると、ヴェネツィアみたいに法王様から破門宣告されちゃうけどな。ま、ちょっと待ったらまたキプロス行きの舟が出るさ。今はちょうど向こう行きの貿易風の季節だしな。」
「できるだけ早くキプロス行きの舟に乗りたいんだが。」
ロバートたちの身なりをなめ回すように見ると、差配の男はにやりとして言いました。
「そもそもあんたたち、商人じゃないのかい? 1週間後でよかったら、キプロス行きの乗り合い商船が出るよ。船主を紹介してあげられないことはないぞ。まあ、それなりに紹介料はいただくが、どうする?」
ロバートがジェノヴァでキプロス行きの商船に乗り込んだころ、フォーフェンバッハは大使時代に甘い汁を吸わせていた既知の商船の元締めの一人を使って、キプロス王との面会を取り付けていました。
「ところで、キプロス王というのは、元ジェノヴァ人だというが、どういう男なんだ?」
会見を三日後に控えた夕餉の席で、フォーフェンバッハは既知の元締めに尋ねました。
「庶民の出だと聞いております。ただ、文字が書けるし、フランス語も堪能だったという噂でして。商売人のせがれだったのが、独立する前に父親が死んで後見人も元手もなく、それでその日稼ぎの人夫仕事をしていたとか。」
「それがどうしてキプロスの領主になったのか?」
「ムスリムの考えることはわかりませんな。おそらくサラセン人の海賊船に襲われて誘拐され、奴隷としてガレー船の漕ぎ手か何かにされたんでしょう。よくわかりませんが、イスラムに改宗したあと何か大きな功績を挙げて主人に引き立てられたのか、もしくは容貌が素晴らしいという噂ですから、主人のそういう相手の一人になったのか。その両方か。」
「ふむ。最近、キプロス王のもとにヴェネツィアの養女が輿入れしたな。」
「まあ、ムスリム相手だから結婚というよりハレムの住人の一人になったということでしょうな。なぜサンマルコ共和国が、あんな無意味なことをしたのか。まだ13歳の少女ですよ。王を悦ばせられるような存在になれるのかどうか。ご存じのように、イスラム教は一夫多妻制。さらに男色も公然と行われているようですし。」
「しかし、ジェノヴァ人とヴェネツィア人なら完璧に意思疎通できる。あのヴェネツィアが無駄なことをするとは思えん。今回の会談内容がヴェネツィア側に漏れるのだけは避けたいものだが。」
「13歳の娘が諜報活動ですか。まあ彼の国なら仕込みそうなことですな。その娘を始末することは、さすがに難しいと存じます。王宮内に刺客を送り込むことは不可能に等しいので。」
「ではどうするのだ?」
「キプロス王の弱みを握るしかないようですな。」
「あれか」
「ご安心ください。すでに見つけ出して軟禁状態にあります。」
約束の面会の日、王宮の門番に名前を告げると、フォーフェンバッハだけが中に入るようにとのことでした。
フォーフェンバッハはかすかな不安を感じつつも、ジェノヴァ商船の元締めに先に商館に戻るようにいい、自分はそのまま中庭に通され、そこで待つように言われます。
そこは太陽が降り注ぐ開放的な場所で、美しいブルーの陶器タイルで埋め尽くされた壁には、島では貴重なはずの新鮮な水が湧き続けている噴水があり、中央の花壇には余り見たことがない色とりどりの花が咲き乱れていました。
こういった密談の場は、人払いをした密室で行うことが当たり前と考えていたフォーフェンバッハは面食らい、落ち着きなくあたりを見渡したあと、花々の美しさにしばし見とれていたところ、急に背後から声をかけられました。
「美しいでしょう?チューリップという花です。私は白に赤の絞りの入ったものが特に好きですね。お気に召したようでしたら、すこしお分けしましょう。」
フォーフェンバッハが振り返ると、そこには陽光を背にした美丈夫のキプロス王がにこやか微笑んでいました。
その威光にやや圧倒されたフォーフェンバッハでしたが、こほんと咳払いをして落ち着きを取り戻し、こう返答しましした。
「早々に面会の機会をいただき、心より感謝しております。本日は帝国の宰相殿下の名代として参りました。長年にわたり両国間の懸念事項であった錫の取引につきまして、あらたにご提案したことがございまして、遠路はるばる伺った次第です。」
「なるほど、では早速、そちらの提案とやらを伺うとしよう」
「ところで、話し合いの場はここでよろしいので?」
「どうぞこちらへ、この噴水の前のソファにおかけください。ここでは聞き耳をたてようとも、水音で我々の会話は聞き取られることはありませんよ。」
一見友好的に始まったようにみえた面会でしたが、その日、フォーフェンバッハは王宮から出てくることはなかったのです。




