疑惑と追跡
第45章
『まずいな。このままでは私の身が危うい。』
フォーフェンバッハは焦っていました……。
長年仕えてきた宰相も老齢となり、最近は子息のロバートに自分の名代としての立場を任せるようになってきた。
宰相の従者となってすぐ、いずれ彼の権力を引き継ぐべく、ライバルだったヨハネを始末し、都合のよいことに息子ロバートも心神虚弱な子どもだったため、後継者となるべく地盤を固めてきたつもりだったのだが、キプロスとの錫取引交渉が暗礁に乗り上げてしまってから、宰相から私への信任が薄くなってきているのがわかる。
しかも、取りに足らないと軽視してきたロバートは、ヴェネツィア女の治療師とやらの看で急速に気力体力を取り戻し、今や父宰相の希望となっている。
ロバート。イヤな青年に育ったものだ。
ザルツブルグでのヨハネ暗殺の詳細は覚えていないだろう。あのとき当地にいたとしても幼子だったロバートはあの現場は見ていない。結局、殺し損ねたドロテアは幽閉状態のまま、あの世に逝った。その間ロバートとはコンタクトがとれていないはず。そもそもロバートは幼いころに母は亡くなったと教えられたはずだ。
あのヴェネツィア女の治療師、余計なことをしてくれたものだ。やはりあのとき脅して追い出してしまえば良かった。こちら側に引き込もうとしても、するりとかわされ、色仕掛けも通じなかった。絶対ヴェネツィアからの差し金だと思ったが、さすがに宰相の後妻の大のお気に入りとなっていては、下手に手出しできなかった。
いずれロバートも始末しないと、こちらの身が危うくなるかもしれぬ。最近は私に対する態度がやけによそよそしい。どうも私の身の回りを探られているようだ。
ヨハン暗殺、ドロテア幽閉の悪事の証拠はないはずだが、今はまず、宰相に対して何かしらの功績を挙げないとまずい。さて、どうするか。
宰相殿の私への信頼は落ちてしまった原因は、あの偽造印璽捜索が難航し、未だ見つからないことが大きい。あれほど探させているのに未だに見つからないということは、やはりヴァティカン内の騒乱で破壊されてしまったのだろう。ということは、別の方法で手柄を上げなければ。
それもよほど大きな手柄を。
大量の大砲鋳造が宰相の、そもそも皇帝陛下の悲願だ。
そのための材料の錫の輸入が何よりの功績なのだから、直接取引は諦め、ジェノヴァ経由での取引にすれば打開の余地があるのではないか?
ジェノヴァなら昔のツテで、自由に動かせる海運業者に心当たりがある。
ジェノヴァに何らかの借りを作ってしまうが、ザルツブルグの岩塩を有利な条件で取引させるということにすれば可能性があるはず……。
ロバートの真意を探るために会食を持ちかけたが断られた晩、フォーフェンバッハは一人で夕餉をとったあと、次の作戦を考えたのでした。そして、翌日、「私がみずから内密にキプロスへ錫の交渉に向かうので、ジェノヴァ経由での取引で妥結できないか」と宰相に提案したのです。
ここのところ体調の優れない宰相は、判断力が落ちていたのかフォーフェンバッハの提案に安易にすがり、内密の交渉の責任者としてキプロスに派遣することにしたのでした。
『怪しいな。何か企んでいるようだ。』
ロバートはすぐ察知していたのです……。
フォーフェンバッハがどこかへ出立した。どうも父の密命を帯びて国を出たのは確かなようだ。
どこへ行った?何をしに?
父が私に何も説明しないということは、誰かを陥れる騒乱の火種か、何かしら表に出せないことの後始末か。いずれにせよ、フォーフェンバッハが父に提案した内容の裏には、別も目的があるはずだ。今、やつから目を離すと何をしでかすかわからない。
まず怪しいのはザルツブルグにあるフォーフェンバッハの屋敷だな。従者仲間だったヨハネを殺したこと、母を幽閉していた証拠の隠滅をしようとしているのかもしれない。
フォーファンバッハが旅立ってすぐ、ロバートは宰相である父に、ザルツブルグに視察に行きたいと申し出たのでした。ちょうどその頃、岩塩採掘の現場で岩盤崩落事故が発生したとの連絡がきていたのです。
何もおまえが見に行かなくても、部下に命じればいいのではないかという父に、
「いえ、現場を視察し、混乱しているであろう前線での指揮をとることは、将来のリーダーとして必要な経験かと思うからなのです」
というロバートの言葉にすっかり上機嫌になった宰相は、すぐに承諾し、優秀な部下数名を彼につけてあげようとしました。
ロバートはフォーフェンバッハの居所を探すという別の目的を迅速に遂行するために父の子飼いの部下ではなく、彼自身が信用する友人四名と行動を共にするために「いつまでも父上を頼ってばかりではいられません」と断ったのですが、その力強い言葉に年取った宰相は感激し、有り余る金銭的援助を与えてやったのでした。
ロバートはフォーフェンバッハに遅れること1週間で大急ぎで出発、まずは父との約束通り岩盤崩落事故現場に早馬で向かいました。あの母ドロテアやフィリップを幽閉した古城にフォーフェンバッハが証拠隠滅のために行ったと考えたからです。仲間と協力しながらの事故処理と同時並行して、フォーフェンバッハの屋敷での捜索を行いますが、屋敷内はもぬけのからでした。当時の使用人たちもほとんど職を解かれていたのです。屋敷の管理人兼庭師として残っていた老夫婦に聞いたところ、3日滞在しただけで、ジェノヴァ向けて出発していったとのこと。
そこでロバートは、岩盤崩落事故現場の後処理は信頼する友人二人に任せて、残りの二人の友人とともにジェノヴァに向かったのです。おそらく駐在ジェノヴァ大使だった縁故からジェノヴァの古い知り合いにかくまわれているに違いない、と。
宰相である父からどのような密命を受けたかはわからないが、彼も自分と同じように、何らかの真意を宰相に隠したまま国を脱出したに違いない、と確信していたのでした。
ロバートがジェノヴァに到着してすぐしたことは、身分を隠し商人に化けることでした。 「本来ザルツブルグにいるはずの自分がジェノヴァにいることが父上の知るところとなったら申し開きが面倒だし、ここはジェノヴァ。フォーフェンバッハが永く大使として赴任していた場所だから、彼の配下の者がいてもおかしくはない。私の顔を知った内偵が潜んでいるかもしれない。」
そう言って、ここまでついてきてくれた友人に頼んで、三人とも変装したのでした。
「ロバート、どうやって彼を探すんだ? 単なる一介の商人が簡単にお偉いさんの屋敷や、大使館の奥に出入りできないじゃないか?」
友人の一人がとりあえず泊まることにした旅籠の1階の食堂で、空腹を満たしながら聞いてきました。
「うん、そうだね。彼を直接探し出すことは難しいと思う。だから、見つけるんじゃなく、彼の方からこちらに近づいてくるのを待とう。」
「え? どういうことだ?」
「あれだけ短い滞在でザルツブルグを後にしたということは、フォーフェンバッハはもともとジェノヴァに用事があったに違いない。わざわざ自らジェノヴァに出向くということは、昔の知り合いに依頼して舟を調達して、重要な荷物か、もしくは自分自身をどこかに運んでもらおうとしているんだろう。
「現ジェノヴァ大使に依頼せずに?」
「ああ、おそらく公式な仕事ではないのだろう。内密にしようとしているのなら、旧知の船主に人足を集めさせるはずだ。おそらくそういう募集がかかっていないか、これから街に行って聞いてまわってみよう。」




