法王派か皇帝派か
第4章
息子を守りたい一心でやってきた法王庁で、思った以上の歓待を受け、とまどうエレノア。フィリップも頼もしい青年に成長し、そのフィリップの根回しなのか、法王にお目通しの際も、非難されるどころか、ぜひ永遠の都を見て回りなさいと、とのお言葉をいただきます。緊張してローマ入りしただけに、一気に心が軽くなったエレノアは、フィリップのすすめで、しばらくローマに滞在することにしました。
フィリップに法王庁内を案内されるうちに、エレノアは、ふとデジャブに襲われます。
「昔、ここに来たことがある気がする。とおい昔、とても小さい頃。」
そんな母エレノアの言葉に、考え込むフィリップ。
「内密に調べてみましょう。母上の出生に秘密が、何かわかるかもしれません。」
フィリップが調べてまわると、歴代の法王や枢機卿などの私生児とされる人が何人かいるという話しがいくつも出てきました。そういう子どもたちは、密かに人手に託されたり、女性の場合は、幼いうちにどこかの修道院に預けられたり、というのがあるのだと。
そういう聖職者がいないことはないことは知っていたフィリップでしたが、記録のない噂話の域を出ない情報ばかりで、はっきりとエレノアの父親が誰なのかという核心の情報はつかめません。ただ、ある司教から聞いた話として、「高位の僧職者が、自分の子どもを産んだ女性をローマ近郊の村で匿っている例も多い。地道に探せば、もしかしたら母親は見つかるかもしれない」
という話を聞き、エレノアに一緒に探そうと持ちかけました。
そこへ、フランソワから「ジャンカルロの婚礼のため、急ぎ帰れ」との督促の手紙が。約束の不履行を恐れ、皇帝が結婚を急がせているようでした。
しかし、いまや自分の出生の秘密を知ったエレノアは、苦しい立場にありました。
「もしかしたらジャンカルロの母親は法王の子ということになる!それでいいの?ばれてしまったとき、ジャンカルロはどうなるの!」
そのことを書いた手紙を急使に託したエレノアに、フランソワからの返事にはこうありました。
「その秘密を知ってしまった人間を殺せ」。
フィリップを殺せというの!
いまや自分の存在そのものが、フランソワには障害となると悟ったエレノアは、フランソワからの追求を逃れるため、ヴァティカンを退去し、身を隠すことにします。
エレノアはフィリップに相談し、どこか隠れる家を探して欲しいと頼みました。ヴァティカン内にいる限り自分は安全だと主張するフィリップでしたが、エレノアがどうしても、と懇願するので、ヴァティカン内で唯一信頼する老司教に相談しました。その老司教はよくあるヴァティカン内の派閥争いからは中立な立場をとり、フィリップがヴァティカンに来てすぐのころから目をかけてくれて、とても親切にしてくれていたので、フィリップも心から信用していたのです。
フィリップからの頼みに、老司教はすぐ知り合いの婦人が住んでいるローマ郊外の家を紹介してくれました。
エレノアは、紹介された家に行く前に、フィリップに頼みました。
「フィリップ、この手紙をエドモンに届けて頂戴。必ずあなたが届けて。ここには、フランソワの仕打ち、その理由である自分の出生の疑惑も書きました。」
「いえ、まだ詳しいことはわかっていません、母上。憶測でエドモン殿にお話してよろしいのでしょうか?。」
しぶるフィリップにエレノアは思わず言ってしまう。
「わかっていたでしょう? あなたの本当のお父様は、エドモンなのよ。」
フィリップがエドモンのところに到着したころ、エドモンはフランソワからの手紙を受け取りました。
「エレノアとフィリップがローマで失踪した。探し出して、つれて帰ってきてほしい。」
フランソワの手紙を、罠ではないかと思うエドモン。しかし
「私の本当の父はあなただったのですね」
というフィリップの姿に、命をかけて、エレノアとフィリップを救おうと決心します。とりあえずフィリップとともにローマに赴き、そこから時間稼ぎのためにフランソワに
「エレノアとフィリップは、ヴァティカン内のどこかにかくまわれたらしい。何か陰謀があったようだ。サンタンジェロ城内だとすると、なかなか手出しはできないが、しばらく時間をくれないか」
という手紙を出すエドモン。それに対するフランソワの返事は
「時間切れだよ、エドモン。私はエレノアの出生のことはとっくに知っていた。そもそもエレノアとの婚約の際、先代の父王が、調べさせていたからね。エレノアがローマに行けば、遅かれ早かれ気がつくと思っていた。私とエレノアの離婚許可書を法王にとりつけてくれ。私生児との結婚はそもそも成立しないのだから、簡単なことだろう。」
何かひっかかるものがあると感じるエドモン。あの頃、父王がそんなことをしていただろうか?もしそれが本当なら、フランソワ戦死連絡のあとで、エレノアとの婚礼に際し、私にも遺言として知らせたはずだ。エレノアの出生の秘密は、誰がフランソワに知らせたのだろうか? もしかして。
エドモンは、フランソワの情報源はフィリップだろうと、ほぼ予想していたのですが、フィリップがフランソワと通じているのか、それともフィリップは単に利用されただけだったのか、判断がつかず、しばらく気がつかない振りをしておくことにしました。
とりあえず、離婚許可書の件で、法王庁と交渉したところ、フランソワの離婚許可書を出すかわりに、向こう5年間法王の教会軍の総司令官として傭兵を率いて戦うことを条件とされるエドモン。エレノアに状況を知らせようと、ヴァティカンから彼女がかくまわれている家に向かうと、エレノアはフィリップと出かけたまま、まだ帰ってこないとの返事が。
なぜか胸騒ぎを感じたエドモンでしたが、エレノアの母の家で、二人に帰りを待ちながら、当座の自分の身の処し方について一人悩みます。
「もし、教会軍の総司令官となれば、養女であり、皇帝の親族の一員であるカルロスの妻となったマリアエレナの立場は苦しいものになるだろう。自分も皇帝の後見を受けた領土を手放さなくてはならない。いかに自分の武勲を法王が評価していたとしても、皇帝派と目され、養女を皇帝の親族と結婚させた人間に、教会軍を任せることは、ありえないとも思える。この条件は、時間稼ぎのためか、自分を試すための法王のハッタリかもしれない。しかし、ここ最近、皇帝軍がナポリの王位継承権を主張して南下してくるとの噂が消えない。法王が動揺し、盾を欲しがっていることも推測できる。」
ひとつだけ明らかなことは、フランソワは、明らかに皇帝側に寝返ろうとしていることでした。現法王の健康問題が、ここ1年話題となっていたのです。法王は存命中の権力は絶大ですが、通常は短命で、もちろん、自分の親族に位を譲ることも難しいものです。フランソワも、そこに危うさを感じたのだろうとエドモンは思いました。兄フランソワは父王の路線を継承して法王派であっただけで、今彼は方向転換の舵を大きくきろうとしているのだろう、と。
エドモンは考えます。どちらか一方に全面的に組みするのは、今の情勢では危険だ。表では法王と手を結び、裏では皇帝と通じる。エドモンは危うい綱渡りをすることを考えます。まず法王庁内に法王が交代しても続く信頼をおける権力者とつながっておきたい。そこで、教会軍の総司令官となるかわりにフィリップを枢機卿にしてもらう。一方マリアエレナの夫カルロスと密約を交わし、教会軍との戦闘は、お互いある程度のところで和平交渉を行うことにする。そのかわり、カルロスから皇帝を説得し、皇帝軍がイタリアを南下する全面的な戦闘は、ここ5年間は控えてほしい。カルロスへの見返りは、エドモンも現在の領土。皇帝への見返りは、ヴァティカン内の情報。
そこまで考えたところで、気を失ったエレノアを抱きかかえたフィリップが飛び込んできました。エレノアが暴徒に襲われ、あやうく強奪されるところだったと。もしやフランソワの差し金ではないかと思うエドモン。エレノアと離婚しようとするだけでなく、自分の保身のためにエレノアを亡き者としようとするフランソワの身勝手さに、エドモンは、ここではじめて心からフランソワを憎いと感じたのです。そして、
「やはり、フィリップはフランソワに利用されていただけなのだ」と。
エレノアの身をどうするかという問題だけが、未解決でしたが、
「法王庁内なら、私の権限で、エレノアの身の安全を守れます」
というフィリップの言葉に、とりあえず、法王庁に戻るエレノアとエドモン。そして法王庁内でさきほどの計画を実行するために、その晩、フィリップに計画を打ち明けたのでした。ただし、皇帝との裏取引は伏せたままで。案の定フィリップはかつての恋人であり双子の妹マリアエレナの身の安全を危惧し、動揺します。
「カルロスは信用できない。あいつは裏で何を考えているかわからない不気味な奴だ」と。エドモンは、フィリップの、いつにない物言いに驚きつつも、ジャンカルロがついているし、あくまでマリアエレナの正式の父であるフランソワは、皇帝側につこうとしていると説得したのでした。
そして、エドモンはフランソワあてに返事を書き始めました。
「エレノアが見つかった。彼女は自分の出生の疑惑を明らかにするつもりはない。彼女は自分の親族や子どもを危うい立場にするようなことは望んではいない。これでも離婚許可書は必要か? 世間はまだ彼女の出生の秘密は知らない。あなたは秘密が世間に知られて、息子ジャンカルロの婚礼をあきらめるのか?」
ジャンカルロの婚礼を、皇帝派に属す絶好のチャンスとみなしているフランソワが、エレノアを迎え入れることをエドモンは確信していました。エドモン個人の感情は、どんなに彼女を手放したくなくても。
一方でエドモンは法王に、教会軍の総指令官となる見返りを、フィリップの枢機卿任命に変更させる話し合いを持ちかけます。指令官となるからには、自分の領土は没収されてしまうだろう。そこまでの犠牲を払うなら、それなりの見返りがほしい。もちろん法王は最初、申し出を拒絶しました。
「別にあなただけが総指令官にふさわしいわけでない」と。
そこでエドモンは切り札を出します。
「さらにいえば、教会軍の総指令官任命の公表を半年ほど待ってほしい。いままで皇帝派である自分は、養女を皇帝の親族の一人に嫁がせているほど皇帝の信任は厚い。彼女の身の安全を確信できた時点で、教会に寝返るし、それまでの間、皇帝の南下政策の真意を探って、法王あなたに伝えることもできる。」と。
今も昔も、宗教人である前に、政治家であらねばならなかった法王ですから、これには承諾の意を表したのです。
明日はフランソワの下に戻るエレノアに、エドモンは頼みます。
「あなたを解放する条件として、私は5年間教会軍の指揮をとらなくてはならない。今は密約の状態だが、やがて世間に明らかになり、領地は没収されてしまうだろう。ただ、その領地がマリアエレナのものとなるのであれば、私は一向に構わない。どうか、マリアエレナの夫であるカルロスに、ジャンカルロの婚礼のあとすぐに私と会うよう説得してくれないか? 確かにカルロスは、ジャンカルロが病気のとき、不穏な行動をした。だが、今交渉できる相手は彼しかいない。あのときの恨みは忘れて、何とか彼を説得してくれ。私が教会軍の総司令官だと世間に公表される前に。」
いまや、自分の最愛の人はエドモンと確信しているエレノアは、あなたのためなら何でもします。それが私のあなたへの愛の証明です、と固く約束する姿に、はじめて彼女に嘘をついてしまったことが、エドモンの心にとげのようにつきささったのでした。