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手紙と会見

第37章

 ーーマリアンヌ殿、あなたに心よりのお願いがあって、この手紙をしたためました。この心からの依頼をぜひあなた様にご受託いただきたく、亡き母とあなた様の友情に縋って切望いたしております。

姉のマリアエレナの様子を診察していただけないでしょうか?もちろん旅費、治療に関する費用は全額前金でご用意いたします。治療中の滞在につきましては、カルロス殿の了解を得ております。ぜひ貴方様のおからだのご都合のつき次第、カルロス殿の城に赴いていただきたく、雌伏してあなたのご厚意を賜りたく・・・


 マリアンヌは尼僧に化けてヴァティカン潜入の準備を進めた矢先、ジャンカルロから、突然手紙を受け取ったのです。マリアエレナが第3子を出産後、産後の肥立ちが悪く、病に伏せっていると。大変な難産のあと、床を離れるのが難しく、体力消耗が激しいうえ、肩の古傷が痛んでいるとのことでした。ただでさえ、そんな状態のとき、行方不明のフィリップの身を心配し続け、やっと消息を確認できたかと思った矢先、彼からの冷たい対応に、すっかり精神的にも参ってしまっている、と。本来なら、カルロスから依頼すべきことではあるかもしれないが、カルロスが、突然皇帝から神聖ローマ帝国の臨時全権大使の大役を仰せつかり、ヴァティカンに赴任することが急きょ決まって出発してしまったため、弟である自分からお願いした次第とのことでした。


 すぐにでもヴァティカンに潜入したかったマリアンヌでしたが、妙な胸騒ぎがして、ヴァティカンに向かう前にマリアエレナのところに立ち寄ることにしたのです。


 すでに一度、マリアンヌの治療を受けていたマリアエレナは、ジャンカルロからの依頼で治療に参りましたというマリアンヌを、心から歓待しました。しかし、マリアンヌの予想以上に、マリアエレナの体は衰弱していたのです。心身ともに深いダメージを受けていたのでした。


 「前に治療させていただきましたときに、雨の日やお寒いときなど、傷が疼くとおっしゃっておられましたが、今もそうでしょうか?」

 「ええ、あの頃以上に痛むのです。あの、噂に聞いたのですが、カサンドラ様に処方された、よい薬があるとか。」

 「もちろん持って参りました。ラベンダーの特製のクリームでございます。傷口によいだけでなく、お気持ちもリラックスできると存じます。お気に召すとよろしいのですが。」

「ありがとう。本当に。あなた様には母のこともお世話になりましたし、どんなに感謝してもしすぎることはありません。なんとお礼すればよろしいのかしら。」


 マッサージをしていた手をふと止めて、マリアンヌは、あることを思いつきました。

 「もし、お許しくださるならば」

 「何でもおっしゃって」

 「これから申し上げることは、カルロス殿にも内密にしていただけますか?」

 「カルロスに?なぜ?」

 「カルロス殿は、今、ヴァティカン駐在の大使というご身分と伺いました。ジャンカルロ殿から」

 「ええ、大使という立場上、フィリップと顔を合わせる機会があるというのに、あからさまに無視されているようです。一体、フィリップは、どうしてしまったのかしら?」


 あの古傷のあとを優しくマッサージしながら、マリアンヌは続けました。

 「実は、リッカルド殿の要請で、わたくし、これからヴァティカンに向かう予定にしております。あくまで、サンマルコ共和国からの密命ですので、カルロス殿には、ヴァティカン行きを明かすことができませんが、もしかしたら、フィリップ殿にお会いできる機会があるやもしれません。そのとき、あなた様からのお手紙をお渡しするか、何かメッセージをお伝えすることができるかもしれません。」

 「それは、うれしいけれど、それではわたしからあなたへのお礼にならないわ。」

 「いいえ、わたくしは、フィリップ殿あてにリッカルド殿からの私信を授かっておりますが、その手紙をそのままお渡ししても、目を通してはくださらないかもしれません。しかし、マリアエレナ様、貴方様からのお手紙と一緒に同封すれば、フィリップ殿はきっと開封して読んでくださるはずです。」

 「それは、どうでしょうか?フィリップがヴァティカンに戻ったと聞いてから送った手紙はひとつとして返事が来ておりません。読まずに捨ててしまっているようです。」

 「わたくしが機会を見つけて、必ず直接手渡しいたします。そのときに、あなた様の嘘いつわりのない病状をお伝えしますわ。本来お心のお優しいフィリップ殿のこと、無視できるはずはございません。」

 「本当に?本当にフィリップ本人に直接渡して、手紙を読んでもらえるかしら?」

 「最善を尽くしますわ。それに、私は個人的にフィリップ殿に貸しがございます。エレノア様のことで。」

 「そう、そうでした。わかりました。さっそくフィリップに手紙を書きますわ。」

 マリアンヌが同封しようとしていたのは、もちろんリッカルドの私信ではなく、ジェロームから預かった手紙だったのです。


 マリアエレナのもとに8日間ほど滞在した後、マリアンヌは、ヴェネツィアの修道院の尼僧ということで、法王宮にやってきました。リッカルドから指令を受けたヴェネツィア大使の手引きのもと、フィリップと面会したのです。さすがに驚いた様子のフィリップでしたが、大使は当たり障りのない外交辞令とあいさつをし、そばに控えている尼僧姿のマリアンヌとその助手という従者を紹介し、「今ヴェネツィアで大変評判のよいもので」クリームを扱う薬局の開業許可を、ただ型どおりにお願いしただけの会見だったのです。肩すかしを食った形のフィリップでしたが、こちらから問いただすこともできず、型どおりに許可を与え、部屋を辞する二人をただ見送ったのでした。


 しかし、一度法王の私室に出入りしていたマリアンヌは、勝手知ったる法王宮の中に隠れ、ちょうどフィリップが一日の執務を終え、自室で寛ぐ時間になって、従者とともにフィリップの前に現れたのです。慌てる下僕を下がらせて、フィリップは二人を自室に招き入れたのです。


 「あなたが私に何も言わずに立ち去るとは思っていませんでしたよ、マリアンヌ殿。それに、母のことで、あなたには一生かかっても返せない恩がありますから。」

 「フィリップ殿、あまり時間がございませんので、すぐに本題を申し上げますわ。」


 いつものマリアンヌらしからぬ切迫した様子と真剣なまなざしに、フィリップは面喰いますが、冷たく返します。

 「リッカルド殿から何か伝言でもあるのでしょう。しかし私からは何も話すことはありませんが。」

 「いいえ、あなたのご親族からのお手紙を言付かっています。」


 一瞬動揺したフィリップですが、彼に返事をさせずにマリアンヌはたたみかけるように続けました。

 「マリアエレナ殿のご病状が、大変思わしくないのです。ここに来る直前まで、私はずっと治療をしておりましたが、あの肩の古傷が原因と思われます。フィリップ殿からのお返事がこないことを、気に病んでおいでです。どうぞこのお手紙だけは目を通していただけますか?」

 「しかし、マリアエレナもジャンカルロも私がとらわれの身になっていたとき、何もしてくれなかった。私のことなど、どうでもよいのだろう?」

 「そう、おっしゃると思っておりましたわ。その点につきましては、どんなに身内の者が申し開きをしても、お信じにならないでしょう? でもわたくしへの恩を少しでもお感じなられているのであれば、エレノア様の遺言と思って、このマリアエレナ様からのお手紙だけはお読みになってください。今、ここで、私の目の前で。」


 フィリップが手紙に目を通す間、マリアエレナはフィリップを見つめたまま、じっと様子をうかがっていました。そして2通目の同封したジェロームからの手紙に、困惑の表情が広がるのを眺めながら、静かに語りだしました。

 「2通目の手紙は、わたくしが直接預かってきたものです。少し込み入った事情があり、実はリッカルド殿も、このことは知りません。」

 「これは一体、どういうことです?マリアンヌ殿。キプロス王が私に内密に会いたいとは。」

 「サンマルコ共和国の養女が、キプロス王と婚約したことは、ご存じですね。実は、私は彼女の後見人だったのです。お信じにならないかもしれませんが、わたくし、まだキリスト教徒だったころのキプロス王と、ジェノヴァで知り合いだったのです。彼は信頼できる人間だとわたくしが保証いたします。」

 「しかし、会見の目的がよくわからない。」

 「それは、この者の口から説明させましょう。」

 マリアンヌがそう言い終わらないうちに、そばに控えていた従者がそっとかぶっていたケープを取りました。するとケープの下には、王侯貴族が身につけるような立派な宝飾品に飾られた上着が現れたのです。


 あっと驚くフィリップに、マリアンヌは言いました。

「ご紹介しますわ。キプロス王ジェローム殿です。」



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