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焦燥と迂闊

第33章

 フィリップが行方不明になった当時、ジャンカルロもカルロスもマリアエレナも、皆動揺していました。皇帝軍の指揮官の一人でもあったカルロスもジャンカルロは、いち早くフィリップを見つけ出して匿おうと考えていたのですが、見つけ出すことができなかったのです。神聖ローマ帝国内の状況に精通していたリッカルドだけは、宰相の腹心である駐ヴァティカン大使のカルロスが先に手を回して、身柄を確保したのではないかと踏んでいましたがが、証拠もなく、十二人委員会のメンバーとして国外に出ることができない状態でした。


 そして、ローマでの強奪の大混乱が収まったころ、テヴェレ川からフィリップの金の指輪と首飾りをつけた死体が見つかったのです。数箇所刺された瀕死の状態で川に投げ込まれたとみられ、腐敗が進んでおり、ジャンカルロが立ち会ったものの本人の判別はできない状態でした。そして多くの死体とともに大急ぎで埋葬されたのでした。


 ジャンカルロはじめカルロスもマリアエレナもリッカルドも、あの腐乱死体がフィリップのものかどうか怪しいと考えていました。暴徒達が金属の装飾品を略奪せずに川に投げ入れることはあり得ないと思っていたからです。あえてフィリップの身元がバレるような小細工は、彼の身柄を隠したい何者かの仕業に違いないと。

 最初はリッカルドが中心となり、その情報網を駆使して探索していたのですが、リッカルドがヴェネツィア政府の十二人委員会のメンバーに再度選出されてからは、表だって行動できず、探索は難航、フィリップの消息をつかみことが出来ないままだったのです。


 拉致されて以降、外界と隔絶され、そんな事情は全く知らずにいたフィリップにとって、情報源は今や、この第2のカルロスのみ。カルロス・フォーフェンバッハという人物だけが自分の安否を気遣ってくれているという思いから、すぐに心を許してしまったのです。


 「カルロス殿、いま偽造とおっしゃいましたか? あのときの管理責任者は私です。しかしあれはヴァティカンの金庫に厳重に保管されているはず」

 「秘書官長殿、もちろんあなたの責任を問うているわけではございません。あの混乱のさなか、略奪、破壊行為が行われ、あの混乱状態については、宰相殿も皇帝軍の責任とお考えです。しかし、印璽を印した証書など、財宝目当ての狼藉者どもは一顧だにしないものでしょう。それが紛失しています。どこにどのように保管され、その価値を知り、それを持ち出せることができた人物が誰であったのか、それを調べたいのです。まだ皇帝陛下殿のお耳に入らないうちに。それには、あなたのお力が必要なのです。」

 「私の?」

 「ええ、宰相殿はあなたを全面的に信頼しておいでです。あなたは裏表のない、真摯なお方だと。法王宮の中で、唯一信用できるお方だと申しておいでです。どうぞお力をお貸しください。」


 「そこまで私を? 印璽の偽造となれば、法王の信頼問題に係わります。私にも責任の一端はございます。まずは調査のために、ヴァティカンに戻らないと。」

 「ええ、まもなくコンクラーベも始まることですし。そのことについては、私があなたをここに軟禁した傭兵隊長と交渉いたします。彼を雇っっているのはとある辺境伯で、皇帝とすこし難しい関係にある領主ですが、宰相のご命令を無視することはできますまい。しかし、慎重に事を進めざるを得ませんので、もうしばらくご辛抱を。フィリップ殿。」


 この来訪で、軟禁の身もあとひと月と経たないうちに解放されるだろうとフィリップは予測していたのですが、夏を迎える頃になっても、なんの音沙汰もありません。期待が大きかっただけにフィリップの失望と焦りも以前より増して大きなものになっていたところに、またカルロス・フォーフェンバッハが現れました。急き立てるように首尾を尋ねるフィリップに、フォーフェンバッハは、探りを入れることにしました。

 「フィリップ殿。傭兵隊長とは、報酬額の件で歩み寄ることができましたが、正直なところ、あなたのヴァティカンへの帰還について、少してこずっております。何か解決の糸口をいただけませんか?」

 「と、申しますと?」

 「大変失礼な質問となりますが、ご親族に何かご迷惑をかけたことはございませんか?もしくは秘密にされていたこととか。私からフィリップ殿が見つかった、ご健勝と拝察したとジャンカルロ殿に明かしたところ、皆さん、大変驚き、しかし同時に、何か、あなた様に複雑な感情を抱いていらっしゃるようにお見受けしました。」

 「どういうことですか?」

 「前回の訪問後すぐに、宰相殿に相談したところ、親族の皆は大層心配されていると思うから、ご親族のジャンカルロ殿とカルロス殿にだけは生存を伝えなさいとのお言葉でした。私は早速ジャンカルロ殿のお屋敷に伺い、お人払いをして打ち明けたのですが、あなた様をヴァティカンに戻すのは望まない、このまま彼の屋敷に引き取りたいと。」


 このとき、カルロス・フォーフェンバッハも宰相も、フィリップとマリアの関係や、その娘の存在など全く知りませんでした。これからフィリップの感情を操るために、彼の弱みを握っておきたかったため、情報を引き出そうとしていたのです。外交手腕のないフィリップは、終わりの見えない軟禁生活への焦りと不安から、簡単に宰相たちの策略に引っかかってしまいます。


 最悪なことに、フィリップは、マリアとの関係が皆に露呈してしまったのだと思い込んでしまったのでした。おそらくジャンカルロもカルロスもマリアエレナも自分を軽蔑しているだろう。命は助けてくれても、私のしたことを許しはしてくれないのだろうと。そしておそらくリッカルにも二人の関係が知られてしまった。もう彼の助けを頼むことはできない。そう思ったフィリップは、親族と親しい間柄にある、ある既婚のご婦人と関係を持ったことで、皆の失望を買ったからだとカルロス・フォーフェンバッハに打ち明けてしまったのでした。


 「それは、確かに貴殿のお立場から、咎められることとは申せ、ご親族に対し、あまりにむごい仕打ちではございませんか? 誰にでも過ちはございますし、人は生まれながらの罪びとであると、キリストも申されているではありませんか。もちろん、その、表沙汰にはいたしませんが、そういった問題をお持ちの司教や枢機卿も、その、あなたが初めてというわけでもございませんし。なぜこんな永きに渡り、あなた様をこのような状態に置かれるのです?手紙ひとつ誰も出さないとは、私には解せません。」

 「それだけ、皆の失望と怒りが大きいのでしょう」

 「詳しい事情はわかりませんが、もう一度ジャンカルロ殿を説得いたしましょう。印璽の件は、宰相殿から内密にするようにと厳命されておりますので、申せませんが。あなた様が深く反省されていると。」

 「いえ、無理でしょう。あれから三月も過ぎているのに、私に誰一人手紙すらよこさないのですから。」


 しばらく二人ともそれぞれ考え込み、しばらく沈黙が続いた後、カルロスが再び話を切り出しました。

 「秘書官長殿。ひとつこういう案はいかがでしょうか? あなた様の性格からお気に召すかどうかわかりませんが。そのご婦人との関係の記憶を失っている、というのは。」

 「記憶を?」

 「ええ、あのローマでの大混乱で、暴徒に殴られ、その前後の記憶を失っていると。そのご夫人との関係は、いつごろにさかのぼるお話で?」

 「いえ、皆に嘘をつくなど、突き通すことなど私にはできません。マリアとのことも結局、皆にばれてしまった。」


 このとき、フィリップは思わずマリアの名を口に出してしまったのですが、カルロス・フォーフェンバッハは気づかぬ振りをし、続けました。

 「感銘いたしました。フィリップ殿。その誠実さを宰相殿も高く評価されていらっしゃるのだと思います。何としてでもあなた様をここから解放し、無事ヴァティカンにお戻りいただけるよう、各方面に働きかけましょう。」


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