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エレノアの最後の望み

第28章

 教会軍総司令官の任を解かれて領地の城に戻ったカルロスにもとに、やっとマリアエレナとアランも“人質”の身から解放されて合流して半年が過ぎていました。

 マリアエレナが第2子を妊娠したかもしれないと感じ始め、神聖ローマ帝国皇帝が軍備増強の噂が流れ始め、雪解けとともに何等かの軍事行動の命令が皇帝から下るかと噂が流れはじめたころ、マリアとリッカルドは正式に婚礼を挙げたのでした。元妻、姉の喪が明けてまもなくということもあり、身内のみのささやかな祝宴が行われたのですが、フィリップ、マリアエレナはもちろん、カルロスもジャンカルロもソフィーも招待されず、列席できたのはエレノアとマリアンヌだけでした。後にリッカルドからの手紙で、エレノアとマリアンヌがそろって婚礼ミサに参列したことを知った彼らは、一様に驚いたものの、「マリアの看病が和解のきっかけになったようです」というリッカルドの説明を受け入れ祝福の贈り物を届けたのでした。


 フィリップだけ、心からこの結婚を喜べずにいました。マリアが本当はリッカルドだけを敬愛し、信用していることも、自分は結婚という世俗的な喜びを与えられない身であることもわかっていながら、気持ちを整理することができないでいたのです。


 フィリップは複雑な気持ちのまま、ひとり相変わらずヴァティカン内の枢機卿団で孤立した状態のままでしたが、ジェノヴァが仕組んだ宰相暗殺未遂事件の影響で、ジェノヴァは身動きができない状態にあり、ナポリも牽制のためこれといった具体的な動きができず、表向きは法王宮内は不気味な無風状態でした。そのため、ヴァティカン内の各勢力がお互いの動きを牽制しあっていたせいで、皇帝軍南下の噂が広まっているにもかかわらず、教会軍の総司令官が空席のままだったのです。どの枢機卿も下手に動いて皇帝を刺激するようなことはできないと、身をすくめて日和見主義になっていました。


 そのまま春が過ぎ、夏が近くなってきたころ、皇帝軍は南下するなどとんでもない事態が起こったのです。ローマで、ペストによる死者が出たのでした。それもテヴェレ川近くで。

 ちょうどそのころ、ローマのフィリップのもとに、エレノアが滞在していました。リッカルドとマリアの婚礼の様子を知らせるためと、そのリッカルドからフィリップへの伝言を預かっていたのです。


 「では、母上は、とうとうマリアンヌに会われたというわけですね。」

 「あなたを訪ねて、はじめてここローマに滞在していた頃の私だったら、とても彼女の顔を見ることなどできなかったでしょう。でもね、今は、彼女に対してかすかな友情すら感じることもあるのよ。」

 「それは言いすぎでしょう?母上。マリアンヌと母上は、性格も、生き方も、価値観も全く違う。分かり合えることなど、あるとは思えません。」

 「ふふ、そうかもしれないわね。でもね、フィリップ、女同士でしか分かち合えない感情もあるのよ。男同士しか持ち得ない友情があるようにね。」

 穏やかな口調と裏腹に、エレノアはマリアの子のことをフィリップに話すべきかどうか、思い悩んでいました。マリアンヌの提案が、最善の策だということはわかっている。けれど、本当の父親が知らないままでよいのか。子どもも成長してから真実を知るべきだ。しかしフィリップが知ったところでどうなるのか。彼の性格から、聖職を辞してまで引き取ると言い出すだろう。それでリッカルドとマリアの幸せな結婚も、リッカルドとフィリップも友情も、遅かれ早かれ破綻がくるだろう。そう、やっぱり、マリアンヌの考えを押し通したほうがいいわ。


 「母上、どうかしたのですか?」

 「いいえ、久しぶりの長旅で、ちょっと疲れただけよ。ここに来る前に、ヴェネツィアに寄ってきたのよ。そうそう、リッカルド殿からの伝言よ。ジェノヴァに雇われている教会軍総司令官からの食事の招待には気をつけるように、と。何でも、カルロスとマリアンヌが、ジェノヴァで危ない目に会ったそうよ。詳しいことはよくわからないのだけど。」

 「ジェノヴァに雇われている教会軍総司令官? いえ、まだカルロスの後任が決まっていないのですが。。。って、カルロスとマリアンヌが?二人でジェノヴァに行ったのですか?」

 「そうみたいね。私、なんとなく、あの二人は、昔から知り合いだったような気がするわ。」

 「ええ、確かそのはずです。確か、マリアエレナの怪我の治療のときも。。」

 「単なる知り合い以上じゃないかしら? 幼馴染とか。」

 「え? なぜそんな話を、母上」

 「なんとなく。そう思っただけよ。あとマリアからあなたあてのお手紙を預かってきたわ。結婚式でのマリアは、本当に幸せそうだったわ。」


 マリアの名を聞いて、緊張したフィリップの顔をみて、エレノアは、やはり言うのは止めようと決心したのでした。


 このとき、フィリップは、何かひっかかることを感じていたのですが、そのままにしてしまいました。教会軍の総司令官の席は、このとき空席だったのに、リッカルドは何故そんな伝言を頼んだのかと一瞬思ったのですが、マリアからの手紙に動揺し、気をとられてしまい、そのまま忘れてしまったのです。実はエレノアの勘違いで、ジャノヴァから転任したばかりの神聖ローマ帝国大使のことだったのです。たまたま名前が「カルロス」大使であったため、エレノアが、リッカルドからの伝言を聞いていたときに、教会軍総司令官だったカルロスと同じ名前だと思っていたため、つい勘違いしてフィリップに話してしまったのでした。この、もう一人の「カルロス」は実は宰相の右腕とも懐刀とも噂されていた腹心中の腹心で、あとでフィリップの運命に大きく係わることになるのですが。


 エレノアから受け取ったマリアからの手紙を、フィリップはその晩、就寝前になってやっと開封したのでした。マリアからの手紙というより、それはリッカルドからの手紙といっていいような内容で、フィリップは安堵と同時に何ともいえない嫉妬の感情に胸が痛みました。しかし結婚の報告に続いて、背筋が冷たくなる情報が書かれていたのです。ついに、皇帝が行軍開始を決定した、皇帝がローマでの滞在は平和裏に行うと宣言しても、実際は金品の略奪を目的に、兵士たちが暴走するのは確実だ、身の安全のために避難する先を確保しておくことを強く勧める、と。


 この会話から一週間たっても、エレノア疲れが取れず、そのまま床に寝付いてしまいました。感染を心配したフィリップは、あの、エレノアの母が暮らしていた郊外の家にエレノアを移ってはどうか、と打診したのです。エレノアの母は少し前にその家で亡くなっているところを発見されていたのですが、その訃報を聞いたエレノアがあの家に行って、母が埋葬された近くの墓地に行きたい、と強く希望していたので、心の慰めにもなるかもしれないと考えたのでした。エレノアはすぐにでも行きたいと答えたので、フィリップは信用できる身の回りの世話をする召使いと下僕をつけて送り出しました。

 

 その後しばらくしてエレノアが重篤だというフィリップからの知らせに動揺したのは、マリアエレナもジャンカルロも、勿論でしたが、リッカルドも同様でした。そしてエレノア自身も「ひとこと、どうしてもリッカルド殿に話しておきたいことがあります」というのです。

 「母上、彼は今、共和国政府の役目で、どうしても国外に出ることができない身の上なのだそうです。私が伝言を取り次ぎましょう。」と見舞いに訪れたフィリップがどんなに言っても、聞く耳を持ちません。

 「マリアなら、彼女なら伝言でもよいわ。そう、最後のお願いよ。マリアを呼んで」

フィリップとマリアは、お互い顔を合わせたくないことは、エレノアもわかっていました。しかし、マリアの子どもと同じような境遇に生まれついたエレノアは、どうしても、その子の将来を、リッカルドに託したかったのです。保証してもらいたかったのです。リッカルドにとっては衝撃になることでしょうが、それがエレノアの最後の望みでした。


 2週間後、やってきたのはマリアではなく、マリアンヌでした。感染を恐れもあり、マリアは来られなかったのです。それに最後の看護という点では、マリアンヌほど適任な人物もいませんでした。マリアンヌの登場に、フィリップは内心ほっとしましたが、実は彼女はエレノアに衝撃を与える事実をリッカルドからエレノアに伝えるようにと、言付かってきたのでした。


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