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交渉成立

第95章

 「な、何しているのですか!? マルガリータ叔母様、え? マリー=ルイーズ様?どうしたのですか? 何かあったのですか!?」

 中庭で号泣しているマリー=ルイーズをあやすように抱きかかえているマルガリータの姿に、ジュリオは面食らってしまいました。

 

 「あなたを待っていたのよ、ジュリオ。さ、私は一足早く戻って、昼食準備の指示をしなくては。マリー=ルイーズ嬢のことはあなたに任せたわ。よろしくね。」


 *****


 私は親に見捨てられた子という意識がずっとあって、どうしても自分に自信が持てなかった。伯父伯母からどんなに褒められても、どうしても自分に価値を感じることができなかった。

 両親のもとに戻ってからは、できるだけ父から評価され、母から認めてもらおうと、家業を手伝うようになった。それは強制でも義務でもなく、私の意思だったし、家族の役に立っていると自覚できることは、私の喜びだった。離れて育った弟も、何故かとても気が合って、彼とのおしゃべりはとても楽しかった。性格の全く違う弟は、私が持ちたくても持てない、私にない利点をたくさんもっていることにすぐ気がついたし、引っ込み思案で内にこもりがちな私をさりげなく気遣ってくれて、とても嬉しかった。

 それでも、私は、誰かに大切にされる、愛されるということを想像できなかった。ましてや、親族でもない殿方から、そんな好意を得られる可能性など。このまま適齢期を過ぎても、私は私が役立てる場所さえあればいい、と思っていた。


 そんなある日、母が突然二十歳を過ぎた娘に気づいて、大騒ぎを始めてからは、とても居心地に悪い状態になってしまった。

母は何度も私に向かって、

 「決してあなたをこの家から追い出したいのではないのよ。マリー=ルイーズ、あなたには幸せな家庭を築いて欲しいの。あなたには幸せになる権利があるし、良家の奥方になるだけの素養があるのよ。」

と何度も口にした。母は幼い頃に私を自分の実姉に押しつけた事を気にしていたのだろうか。私はこのままでいいのに、と心の中で呟いていたが、母は「デュボア家の名誉にかけて良縁を探さないと」と息巻いていた。父も母と一緒にシャルルに婿捜し頼み込み、条件だの何だと話している姿を見て、『そうか、どこかの家に嫁入りすることも、父母を喜ばせることなのか』と納得した。


 そうして出会ったのが、ジュリオ様だった。なぜ彼にこんなに惹かれたのか、分からない。確かに彼の上梓した専門書を読んで、その博識さに興味を持ったことは確かだった。彼に聞きたいと思うことがいろいろ浮かんできたけれど、そこに恋愛的要素は無かったと思う。

実際お会いして、弟セルジュに似た陽気さ、オープンな雰囲気にほっとしたことは覚えている。初対面のときから、とても話がしやすかった。私が興味を持ちそうな話しを実に面白く展開して、思わず私も引き込まれてしまった。そんな態度を示してくれる殿方は初めてだった。


 それが恋愛感情というものなのかどうか判別できなかったけれど、せっかく知り合った彼との関係切りたくなかった。できれば友人として、いえ単なる取引相手としてでもいい、彼とこれからも交流する機会を失いたくなかった。


 彼から、またすぐにお会いしたいという手紙を受け取ったとき、彼も私と同じように感じているんだと確信が持てた。そう、あのとき、恋に落ちたのかもしれない。


*****


 「マルガリータ、ジュリオの奴はどうしたんだ? 大学からマリー=ルイーズ様をお連れしてくることになっていたんじゃないか?」

昼食のテーブルで、すでに席についているマリー=ルイーズの父ピエールに申し訳なくなって、サルヴァトーレは妻マルガリータに尋ねました。

 「そうね、久しぶりの再会で、きっと若い二人は時間も忘れて話しに夢中になっているのじゃないかしら? ピエール殿がよろしければ、私たちだけで先に昼食をいただくことにしましょうよ、あなた。あとでシルヴェストロに大学付近まで探しに行かせてくだされば、問題ないでしょう?」

 「そうだな、すぐシルヴェストロを呼んでくれ。ピエール殿、大切なご息女を歩き回らせてしまったようで申し訳ない。」

 「いえ、若い頃から商用旅行にでかけてきた娘は、私よりしっかり者ですよ。それにジュリオ殿と一緒なら安心です。」

 「それにしても、さまざまな知識も素養もあり、礼儀作法や所作も洗練されていらっしゃる、素晴らしいお嬢様ですね。」

 「幼い頃、事情により妻の姉夫婦の家庭で育てられたのですが、義姉の夫がトゥールーズ大学で教えておりまして、そのときの環境が娘によい影響を与えたのだと思います。」


 マリー=ルイーズがジュリオに自分の心の奥底にしまい込んできた感情を、幼い頃からのわだかまりをすべて打ち明けていたとき、ドゥッティ家の食堂では、デュボア家の主人とドゥッティ家の主人は、今後生まれるであろう深い両家の絆を確信しながら会話をしていたのでした。


*****


 「そうか、アンドレ殿からいろいろ聞いたんだね。」

 まだジュリオとマリー=ルイーズの二人は大学の中庭のベンチに座っていました。マリー=ルイーズの長い告白話は、アンドレの手紙が最後にひと押しとなり、マリー=ルイーズがナポリに来たというところでやっと一区切りついたところだったのです。


 ジュリオは、長い告白を終えてほっとした表情のマリー=ルイーズに微笑みながら、今度は彼が意を決して、アンドレの手紙の内容を説明するように話し始めました。


 「それにしても、とても興味深い偶然だと思わないかい?前に先祖伝来の宝剣の話をしたときは、ちょっと気味悪いと思われるかもしれないと黙っていたんだけど、なぜか床に『マリー=ルイーズ』と彫られていたのを見つけたんだ。あの隠し部屋はとても不思議な空間だったんだけれど、何かご先祖様に導かれたような気がしたよ。あの解剖学の指導書を出版するためにヴェネツィアに向かう途中で思いついて、立ち寄ったのだけど、幸いにも公開していなかった昔の秘書館長殿の手記を見せてもらえたことも偶然だったけれど。そうだ、今度ヴァティカンの図書館に一緒に行くのはどうだろう? ここの大学の図書館もアラビアのものとか珍しい蔵書がたくさん収蔵されているけれど、ヴァティカンの図書館もきっとあなたの興味をひく書物がいっぱいあると思うよ。」

 「一緒に?」

 「そう、一緒に。」

 「それって、その、どういう意味で…」

 「そういう意味だけど。どうかな? これからも一緒に君といろんな話をしていきたい。マリー=ルイーズ、君とだったら豊かな人生を送れる気がする。君と一緒なら、お互い満足できるような家庭を築ける気がするんだ。どうだろう?」


 真っ赤になって下を向いて黙ってしまったマリー=ルイーズのしぐさがあまりにも可愛らしくて、ジュリオはついからかってしまったのでした。

 「一方的にこちらの要望だけを申し上げて、申し訳ない。そちらの条件が何かあるのでしたらおっしゃっていただければ、今すぐここで検討して即座に回答いたしますよ。あれ?いつも交渉の場では明解なマリー=ルイーズ様なのに、どうされましたか?」


 しばらくそのまま黙っていたマリー=ルイーズでしたが、意を決したように顔を上げると、ジュリオの瞳をみつめて言いました。

 「条件…ひとつだけ正直に教えてください。カテリーナ様とカテリーナ様のご主人パオロ様と何があったのか。」

 「わかりました。正直にお話しましょう。それで交渉成立ですね。ただ、とても長い話になるので、とりあえず我が家に戻りませんか? すっかり遅くなってしまったけれど、昼食をいただいて落ち着いてから、納得いただけるようにきちんとお話したいと思います。」


 そのときはじめてマリー=ルイーズは、自分が気力も体力を使い尽くし、そしてお腹も空っぽな状態になってしまっていることに気づいたのでした。


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