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マリー=ルイーズの回想その1

第89章


 心が動揺したとき、マリー=ルイーズがすること、それは己の感情を脇に置き、自分を客観視することでした。そうすると心が落ち着き、自分が何をそうすべきかが見えてくるからです。

マルセイユに戻る船の中で、ジュリオ・ベレッツァへのカテリーナ・フォスカリからの献辞の言葉を見てしまった彼女は、一人夜の船室で、自分のこれまでの半生を思い返していました。


―――*****―――


 私は小さい頃から、少し変わった子だったらしい。

 言葉を話し出すのもとても早く、何でも覚えてしまう子だったという。


 ある日、私を抱えながら家事をしていた母が「あら、一昨日いただいた林檎をどこにしまったかしら?」と呟いたとき、戸棚を指さして「りんご、あそこ」と言ったので、半信半疑で母が戸棚の中にあった大きなボウルを見たら、そこに3個林檎が入っていたのだという。


 それ以来、母は私を気味悪がったようだった。


 私が2歳のとき私の弟が生まれると、母は私の育児を放棄し始めた。

確かに男の赤ちゃんは手がかかるというが、弟にかかりきりになり、乳母にもよくなついておとなしく、ほとんど手のかからないいた私を、抱くことも話しかけることもしなくなった。

もちろん、私は寂しかったし、悲しかった。何でも話す子どもだったが、なぜだか自分の感情だけは話すことはしたくなかった。


 そしてある日私は突然倒れ、高熱を出してしまった。気持ちを抑え込んできた限界がきたのかもしれない。しかしそんな私を、母は乳母に知らせず、一日中放置した。

たまたまその日は早く外出先から戻ってきた父が、熱にうなされている私を見つけた。

父は母の、私に対する仕打ちに衝撃を受けたようだったが、婿入りの形で、母の家に入った立場だったので、母と離縁することは許されなかった。それに母は、跡継ぎとなる二番目の男の子を産み、溺愛していた。


 4歳のとき,私はトゥールーズの親戚の家に預けられた。母の姉夫婦には子どもが出来ず、姉夫婦は将来的には養子として引き取ることも前提に考えていたようだった。


 伯父はとても優しい人で、大学の教授だった。伯母は陽気で明るく、とても社交的な人だった。伯父の家にはしょっちゅう大学の学者仲間や、教え子の学生が集まり、さまざまな国の人達も出入りしていた。

私が記憶力に秀でていることにすぐ気がついた彼らは、面白がって私に話かけ、いろんなことを教えてくれた。貴重な本を見せて説明してくれる人までいた。彼らとの交流で私はいろいろな国の言葉や歴史、文化を学んでいった。


 8歳になる前に私は自分が周りの人とはちょっと違うことに気づいていた。


 私は一度見聞きしたことは決して忘れない、いや忘れることが出来ないのだった。


 だから、楽しいこと、面白いこと、関心のあることに触れることは何より幸せだったが、悲しいこと、痛ましいこと、恐ろしいことを目にしたり聞いたりすると、その詳細を忘れることができず、いつまでのいつまでもその時の感情に苦しめられることになった。

悲しい、つらい、恐ろしい、苦しい・・・そういう負の感情に振り回されないよう、私は心を落ち着かせたいときは好きな本を読むようになっていた。


 9歳の誕生日を迎える少し前に、私は伯父に連れられてマルセイユの生家に戻った。

伯父には何も聞かなかったし、「久しぶりにご両親に会いに行こう」と言っただけだったが、私はおそらく、養子の件を実父と実母に相談するためだろうと分かっていた。

家が近づくにつれ、母に疎まれた記憶が鮮明に甦ってきて私は顔面蒼白になっていたらしい。ところが実家では、母は両手を拡げて私を歓迎し、ハグをしてきたのだった。


 混乱した私が何も言えずに蒼い顔のまま黙っていると、母は「娘の体調が悪いようだが、どういうことだ」と伯父をひどく責め立てた。

 もともと伯父に預けられた事情を忘れたかのような態度に伯父もつい言い返してしまったので、母は激昂して伯父に罵詈雑言を浴びせかけた。

この様子を目の前で見聞きした私は、感情が爆発したのか、その場で昏倒して倒れてしまった。


 次に気がついた時は寝台に寝かされ、そばには実父だけがいた。

 「お母様はどうなってしまったの」

と父に尋ねると、悲しそうな顔をしながら少しずつ事情を話してくれた。


 私が伯父の家に行った後、弟のイヤイヤ期が始まった。赤ん坊なら当たり前のことだが、なまじっか私が全く手のかからない、聞き分けのよい子だったために、母は混乱したそうだ。そして言うことの聞かない我が子に手を出すようになってしまった。

 弟のイヤイヤ期はなかなかおさまらず、ついに母は弟も放置し、私を取り戻すと言い出したのだそうだ。

 それ以来母は、弟のことは乳母に任せっきりで、私の時と同じように触ろうとも、話しかけようともしなくなってしまった、と。


 私の父母と、伯父伯母の間では、私が養女になる前提となっていたのが、母の突然の心変わりのため、父は私が伯父伯母と過ごした年月のほうが長くなる前に、養子の件を話し合うべきだと考え、私が9歳になる前に呼び寄せたのだという。父の本音としては、私を養子に出す前提を崩すことは考えておらず、伯父伯母になついている私の姿を見たら、母が諦めると考えていたらしい。


 「おまえはどうしたい? おまえの意思を尊重しよう」と父は私に、まるで大人に対するような問いかけをして、私の希望を聞いてくれた。

父から、一人前の大人として扱ってもらえたことに感謝と喜びを感じた私は、「私はお父様のことを愛しています。でも私は伯父様のところにまいります。その方がみな幸せだと思います。」と答えた。


 その返答の内容よりも、大人びた口調に父は少し面食らったような表情をしたが、すぐに微笑んで「私もそう思うよ。」と答え、両家の間で、私が16歳になったら正式に伯父伯母の養子になると決まった。


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