予想外の出会い
第84章
「あなたに会わせたいお嬢様はね、マルセイユ伯の遠縁の血筋に当たるお嬢さんなの。うちと取引のあるリシャール&デュボア商会、あなたも知っているでしょ、そこのご当主の姪御さんよ。読書がお好きで、何カ国語も操る才能をお持ちだったので、つい伯父の商会で重宝がられてお手伝いをしていたから、20歳を過ぎてしまったそうで…。でも控えめで穏やかな性格で、とても良いお嬢さんなの。」
ジュリオがナポリのドゥッティ家に落ち着くと、早速マリガリータ叔母がジュリオにお見合い相手について話をしてきました。
「へぇ、才能豊かな方なんですね。」
「もちろん見た目もとても可愛らしい方よ。あなたも気に入ると思うわ。読書がお好きってお聞きしたから、あなたのことを知っておいて欲しくて、ヴェネツィアで出した本を彼女にお貸ししたのだけれど…。」
「え!? あの解剖学の指導書を!? 叔母様、あの本には普通のお嬢様が見たら卒倒しそうなグロテスクな図版とかが入っているんですよ! よりにもよって、何であんな本を!」
「え、そうなの!? でもとても立派な装丁の本だったから、私、あなたが素晴らしい医学者だと彼女にアピールしたくて…。もしかして引いてしまったかしら? でも彼女からのお礼のお手紙には、“とても興味深く拝見しました”って書かれてあったわよ。」
「内容も専門書だからなぁ…。」
「きっと知的好奇心のある、とても利発なお嬢様なんじゃないかしら? で、来週末に先方の商会の主とサルヴァトーレとの商談に、彼女も同行してこちらの商会にいらっしゃることになっているの。」
「わかりました。もう逃げも隠れもしませんよ。えっと、そのお嬢様にお会いすれば良いんですね。」
「ちゃんとお名前を覚えておいてね、マリー=ルイーズ・デュボア様よ」
「マリー=ルイーズ?…その名前は…」
「え? ジュリオ どうしたの?」
「あ。いや別に…。 来週末は母校へ恩師に会いに行こうと思っていたから、そのマリー=ルイーズ嬢を大学まで案内がてらデートしますよ。」
どこかで聞き覚えのある名前だと感じたものの、そのときは思い出せなかったジュリオでしたが、学生の頃に居候させてもらっていた自室に戻り、本棚を整理しようと雑然でしまっていた宝剣に関する自分のメモの束を見てハッとなりました。
-そうか! あのヴァティカンの隠し部屋、ご先祖のアルフォンソ神父が亡くなられた隠し部屋の床に掘られていた名前がマリー=ルイーズだった! なんか凄い偶然だな。まあかなり時代が違うし、偶然の一致だろうけど…。
もしその知的好奇心があると思われるマリー=ルイーズ嬢が、面白がって聞きたそうだったら、話のネタくらいにはなるかもな。何しろあの解剖学指導書を“興味深く拝見した”という感想を返してくるくらいのお嬢様なら、ちょっとくらい怖い話でも大丈夫かもしれない。-
そんなことを考えながら、ジュリオは商会と大学と二足草鞋の生活を組み立てて行くための準備を始めたのでした。
*****
ナポリに戻って最初の一週間は、商会の状況や人間関係、仕事上の課題などを把握するのに精一杯であっという間に過ぎ、ジュリオはマリガリータ叔母から「明日はリシャール&デュボア商会のご一行が到着されるから、よろしくね」と念押しされるまで、ジュリオはすっかりマリー=ルイーズ嬢とのことを忘れていました。
「ああ、叔父上から聞いているよ。午前中に商談、そのあと一緒に昼食だったね」
「ええ、昼食後、午後はマリー=ルイーズ嬢のお相手をお願いね。二人で街歩きするんでしょう?。」
「そういえば、商談の場にマリー=ルイーズ嬢も同席されるのかな。」
「ええ、もちろんよ。各地への商談にしょっちゅう同行されていたと言ったでしょ。今回もそうなるわ。」
商会の応接室での初対面で、伯父であるリシャール&デュボア商会の主の斜め後ろに控えているマリー=ルイーズ嬢を見た時、その目立たぬようにしている姿に、逆にジュリオはとても興味を引かれたのでした。
親戚の商売の現場に通訳という立場で同行しているということは、商売にも精通していないと出来ることではないはず。それだけの才能と、信頼と実績を誇っていいところなのに、主人の邪魔にならないように控えめに、でもにこやかな微笑みをたたえながらたたずんでいる姿に、ジュリオの心の中にマリー=ルイーズ嬢に対する静かな尊敬の気持ちがわき上がってきたのです。
あまりイタリア語が流暢ではない主人の代理として、要所要所で通訳をする彼女はとても落ち着いていて、さらに商談が進むにつれ、取引の条件についての的確な補足情報を提供し、見落としがちな論点の確認をする彼女の優秀さに、ジュリオはすっかり感服してしまいました。
さらに、
「承知いたしました。それでは本日の会談で取り決めましたことを、後ほど書面にまとめましてお渡しいたします。取引締結の証文取り交わしの際は、そちらの公証人のかたが同席されるかと存じますので、それまでにご用意いたします。」
そういう彼女の明朗な声を聞きながらジュリオは
-彼女は通訳だけでなく、公証人が納得するレベルの契約条項を記した文章を書けるのか! それは商会の主人が、彼女を各地の商談に連れ回すのも当然だな。-
と妙に納得してしまったのでした。
続く昼食の席では、マルガリータが中心になって会話を盛り上げよう意気込む前に、ジュリオと同様に商談の席でマリー=ルイーズの手腕に感嘆したサルヴァトーレが、彼女を褒め称え始めたのです。
「いやあ、シャルル殿の姪のマリー=ルイーズ様は、シャルル殿の素晴らしい右腕でいらっしゃいますね。率直に申しまして、本当に驚きました。ここにいる甥のジュリオは医者としては優秀で実績も持っておりますが、商売の場ではまだ勉強中の身なので、マリー=ルイーズ様にいろいろと学ばせていただかないと。それにポルトガルやスペイン語にもご堪能とは。いや、私も教えを請いたいくらいですよ。」
「リシャール家の当主としては、ずっと手伝ってもらいたいのですが、いや、さすがにデュボア家の当主の妻であるマリー=ルイーズの母親から、いい加減、娘を解放しろと怒られまして。今までの感謝の印に、良縁を探せとせっつかれております。」
自分を褒める会話の前に、当のマリー=ルイーズは先ほどの交渉の現場とはうってかわって、少し居心地が悪そうに黙って、下を向いてしまったままでした。
その姿にジュリオは気を遣って、声をかけたのです。
「ところでマリー=ルイーズ様、私の本をお読みくださったとマルガリータ叔母から伺いしました。医学書でも特殊な分野でしたし、内容に少し驚かれたでしょう? 不快に思われたようでしたら、お詫び申し上げます。」
そうジュリオに話しかけられたマリー=ルイーズは、ぱっと顔を輝かせて
「いえ、とても勉強になりました。今まで知らなかった専門用語もたくさん学ぶことができましたし。いくつか理解が難しいところもありましたので、よろしければ教えていただければ嬉しいです。」
「そのようにいつも勉強熱心でいらっしゃるのですね。よろしかったら、今日の午後、一緒に私の母校にいらっしゃいませんか? 恩師のところに挨拶に伺うのですが、ついでにナポリも街をご案内しますよ。」
「フェデリーコⅡ世大学にいらっしゃるのですか? ぜひご一緒させてください。図書館には珍しいアラビアの本も多数所蔵されていると聞いています。一度訪問してみたかったのです。」
-あら、この様子だと私の出番はないみたいね…。-
マルガリータは楽しそうに会話するジュリオとマリー=ルイーズを見て、夫であるサルヴァトーレに『上手くいきそうね』と目配せをしたのでした。




