ソフィーの思い
第18章
男たちが4人で相談しているとき、女たち、つまりエレノア、マリアエレナ、ソフィーは、マリアエレナが持ってきた、エレノアあての手紙について話していました。それはマリアからの手紙でした。
「母上、どんな内容ですの?」
エレノアは、エドモンの妻からの手紙と聞いて、はじめ生理的に読むのを躊躇したのですが、エドモンの具合を知りたいという気持ちが抑えられず、読み始めたのです。
「そう、とても暖かな優しいお手紙だわ。まだお若い方なのに、とても心遣いのこまやかな方のようだわ。でも、どういうことなのかしら? 私を招待してくださっているのよ。エドモンと二人きりで会ってほしいと。」
「お母様とエドモンの関係をご存知なの? エドモンが話したとは思えないわ。カルロスがそんなことするはずもないし。」
エレノアと同様、マリアエレナも当惑を感じていました。
「でも、こんな風に書いてあるの。“私もエドモン殿と同じような立場に苦しみました。愛してはいけない人を、愛し続けずにはいられなかったのです。”彼女には、秘密の恋人がいたようね。」
「エドモンと同じような立場、ということは、自分の姉妹の結婚相手を愛してしまったのかしら。何しろ、彼女には姉上が4人もいたのだから。」
そういうマリアエレナの言葉に、ソフィーは、ふと昔を思い出してしまいました。彼女は被害者の立場でしたが、似たような事件に巻き込まれたことがあったのです。
ソフィーには一つ歳の離れた妹と三つ歳の違う妹がいました。ソフィーはおっとりした性格でしたが、妹二人は、どちらかといえば、気がつよく、小さい頃からお互いをライバル視し合うようなところがありました。姉妹の父は若くして戦争で夭折していたため、女だけの家庭で育ったためか、母アナスタシアは娘を愛してくれていたけれど、行動を厳しく諌める父親という存在がいませんでした。皇帝は、早くに夫を亡くした姪のために、姪の娘たちのことを気にかけ、長女のソフィーが、まず婚約が整いました。ジャンカルロと結婚する4年前のことでした。ある名門貴族の青年で、もちろん、ある意味、政略結婚だったのですが、その青年が、ソフィーとの婚約披露の席で、一番下の妹と出会い、恋仲になってしまったのです。二人の仲はひそかに続き、ソフィーが知ったのは、婚約者本人から直接打ち明けられたときでした。
「あなたを大切に思っているが、本当に愛しているのは、マレーネ殿です」
とはっきり告げられてしまったのです。ソフィーは驚きもし、傷つきましたが、妹マレーネのために身をひくことにしました。穏やかな性格のソフィーも、さすがに元婚約者と妹の結婚式に出るような太い神経はなく、心の傷を癒せるようにと、母が、マレーネの結婚式が済むまで、湖沿いの、静かな古城で暮らせるように手配してくれたので、そこで心の傷を癒すために、しばらくの間、数人の召使とともに静かに暮らすことにしました。
しかし、いつまでたっても、その青年貴族と妹マレーネが結婚したという話が伝わってきません。そのまま半年以上たったある日、やっと結婚式が執り行われたという連絡が届きました。ところがソフィーが驚いたことに、相手は末の妹のマレーネではなく、すぐ下の妹のカサンドラだったのです。ソフィーが身を引いたあと、カサンドラが、マレーネへのライバル心から横恋慕したらしいのです。そのまま二人の争いが続き、母の話では、最後はマレーネが癇癪を起こして、自ら別れを告げたというのが事の顛末でした。ソフィーは、そんな優柔不断な男性と結婚しなくてよかったと、かえって気が晴れましたが、すっかり自暴自棄になっていたマレーネに、静かな古城生活を明け渡すことになりました。さすがにおっとりしたソフィーも、そんな状態のマレーネと暮らすのは避けたかったので。
2年ぶりに母のもとに帰ったソフィーは、母から妹たちの騒動を聞いて、自分は恋愛には向かないとつくづく思ったのでした。それから1年もたたないうちに、マレーネは、18歳も年上の皇帝の宰相の後妻として、嫁いでいきました。それも、ソフィーあてにきた縁談だったのを、たまたまマレーネのもとへ様子を見に行った母から聞き出して、頼み込んだとのこと。婚礼の場で「カサンドラより1日でも早く子を生んで見返してやるわ」と息巻いていた姿に、ソフィーはすっかり圧倒されてしまったのです。
妹たちに結婚話を妨害されてばかりでも、くよくよするような性格でなかったソフィーは、三人姉妹のなかで、もっとも皇帝にもかわいがられていたので、ふたたび、その皇帝から、ある青年との結婚を打診されました。2つ年下と聞かされて、ソフィーはかえっていいかもしれないと思ったのです。姉のように優しく夫に接して、あたたかい家庭ができれば、それで幸せだと思っていました。そして、実際、ジャンカルロは、素晴らしい夫でした。誠実で優しい上に、自分に敬意をもって接してくれるのです。ソフィーは心から、彼を大切にすることができたし、姉妹のなかで、結局自分が一番よい相手を引き当てることができたのだと思うこともありました。妹二人の、その後の消息を聞いても、何かと不満をいい、あまり幸せそうな様子ではなかったのです。
「愛してはいけない人を愛したとはいっても、エドモン殿の奥方のマリアという方は、マレーネやカサンドラのような敵愾心からくるあからさまな事はしていらっしゃらない気がする。すぐ感情をあらわにするような妹たちとはまったく違う人格をお持ちのようだわ。」
ソフィーが一人もの思いに沈んでいるうちに、エレノアとマリアエレナの会話は、もういつ行くかという話題に移っていました。
「お母様、私も、一緒に、よろしいでしょう? アランに会わせたいの。そうすれば、きっとお養父様は、元気を取り戻してくださるわ。カルロスが連れて行ってくださるわよ。」
「いえ、それよりジャンカルロにも会いたがるのではないかしら。それにソフィーにも。ね、ソフィー、あなたはどう思う?」
急に声をかけられて、我にかえったソフィーは、とっさに何と答えてよいかわからなかったのですが、ふとマリアの気持ちを思い、こう答えました。
「私、この方にお会いしたことはございませんけれど、長い間つらい思いを一人で立派に耐えてこられた方なのでしょう。だからお義母様のお気持ちを察することもできる、細やかな神経をお持ちの方だと思います。その方ところに、あまり大人数で押しかけるのも、ましてや病人の看護に身も心もお疲れでしょうし。」
「そうね、ソフィー。あなたのおっしゃる通りだわ。この手紙では母しか招待していないし。ああ、でもどうしても、お養父様に会いたいの。」
誰が行くのか結論が出ないうちに、別室の男性たちが女性たちのいる居間に戻ってきました。そして、リッカルドの意見で、エレノアをエドモンにもとに連れて行くのはジャンカルロの役目ということになったのです。
「ジャンカルロ、私も連れていってくれないかしら。どうしても父に一目、アランに会わせたいの。」
「そうだね。マリアエレナ。君には会う権利がある。そのかわり、その前に1つだけしてもらうことがあるよ。」
「もちろん、何でもするわ。」
「では私と一緒に、皇帝のところに謁見に伺おう。ただし別々に、まったく正反対のお願いをしにね。」
要するに、事は、おおむねリッカルドの想定どおりに進みました。多少予想外の出来事、たとえばマリアンヌが報酬の前払いを要求したり、皇帝がエドモンの様子を自ら見舞うことはできるのかと言い出したりしたのですが、フランソワの葬儀から2週間後には、カルロスが就任式のためにヴァティカンに出発することになったのです。
そしてジャンカルロには、予想通り、マリアエレナとアランを宮廷に送るようにとの命令が下りました。「カルロス不在の無聊を慰めるための招待」が表向きの理由ではありましたが。ジャンカルロは、皇帝に内緒で、その前に、エレノアとマリアエレナとアランを連れて、エドモンのところに立ち寄ることにしました。
マリアエレナとアランが、ジャンカルロとエレノアのもとに到着し、ついに明日、マリアの招待を受けて、パドヴァへ向かうというとき、ソフィーの母アナスタシアが、エレノアのもとに非公式の弔問に伺いたいとの連絡が入りました。同じ未亡人の身となったエレノアを慰めたいとのことでした。
しかも、連絡が入った午後には、アナスタシアは到着したのです。弔問を知らせる手紙が、何かの事情で遅れたのでしょう。ちょうど、エレノアと一緒に、エドモンからもらった手紙を、しみじみと読み返していたマリアエレナは、召使の到着の口上に驚いて、あわてて隣室に逃げ込みました。姿を見られたら、アナスタシアに、宮廷までご一緒しましょう、と言われてしまいます。
「そうなったら母とアランと一緒にエドモンのところに立ち寄ることができなくなってしまうわ。」
優雅な足取りで、皇帝の姪アナスタシアは部屋に入ってきました。
「本来は葬儀に参加すべきだったのに、伺うのが遅れてごめんなさいね。でもかえって二人でゆっくりお話ができて、よかったかもしれないわ。」
皇帝の姪でありながら、気取るということのないアナスタシアは、すぐエレノアに親しげにはなしかけてきます。
「いえ、私とは違って、あなた様は、いろいろ難しいお立場でいらっしゃることは理解しております。わざわざここまでお越しいただくなんて、なんて光栄なことでしょう。本当に感謝いたしますわ。」
「せっかくフランソワさんとやり直すってことになって、ほら、前に娘ところでお会いしたときに、皆様の前で宣言されたでしょう? よく覚えていますわ。私ね、内心、いっそのことあなたがエドモンさんと一緒に暮らしてしまえばよいのに、なんて思ってしまったこともありましたの。あのとき。でも正々堂々とフランソワさんが、あなたを迎えにいらして、これできっと、また幸せになれるのね、って感動いたしました。それが、こんなことになって。でも、あなたは残りの人生、自分のお心の命ずるまま、進まれてよろしいと思うわ。」
アナスタシアの慰めの言葉は、明らかに政治的配慮は全くなく、同じ女性としての同情から出たものだったので、かえってエレノアは気持ちが崩れそうになってしまいました。
そこへ、ジャンカルロが身重のソフィーを連れて入ってきたので、エレノアは少し外の空気にあたって心を落ち着けようと、出て行きました。隣室で様子をうかがっていたマリアエレナは、母が心配になり、母の後を追ってテラスに向かいました。