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パオロの本心

第78章

 カテリーナは結局フォスカリ家には戻ることなく、そのまま医療施設に滞在し、無事、元気な男の子を産みました。パオロは産まれてきた男の子に「アダム」と名付け、演奏会から一週間後に母子を連れてフォスカリ家に戻りました。


 見事世継ぎの男の子を出産したことで、ファビオもマリアグラツィアも大喜びし、その喜びのあまり、パオロがポルトガル王との契約し、市場の新規開拓のために東方に3年ほど出かけるという予定を話したときも、ファビオはあまり難色を示さず、了承したのです。


 ところがカテリーナは、なかなか納得しません。というのも、パオロがカテリーナには、さらに先の島国にまで行く予定があることを話してしまったために、不安を隠せなくなってしまったのでした。

 「カテリーナ、少なくとも三年は帰れない。その島国は今、内乱状態らしく状況次第では十年以上戻ってこれないかもしれない。最悪の場合…もし、私の身に何かあったとしたら、そのときは…」

 「待って、パオロ、そんな、二人の子どもが生まれたばかりなのよ。そんな不吉なこと、言わないで。」

 「ああ、ごめん、最悪の場合の話だよ。その島国は黄金が採掘されるそうだ。私は商売をしに行くのだし、修道会も布教活動のために行くんだ。その島国は何人もの領主たちが争っているようだけれど、幸いイエスの教えに理解のある領主もいるそうだ。ポルトガル王もその島国の領主たちと戦って領土を奪うつもりはない、あくまで友好的に交易をしようとしているんだよ。」


***


 「いや、さすがにカテリーナが引き留めるのも当然じゃないかな?パオロ。」

 「どうしてだ? キプロスに赴任するのと変わらないよ。」

 「いやいや、それは違うだろう?」


 なかなか首をたてにふらないカテリーナを説得するために、ジュリオに協力してもらえないかとパオロは、パドヴァ大学までやってきたのです。しかしさすがのジュリオもすぐ協力するとは言えなかったのでした。


 「今まさに地域豪族たちによる勢力争いなどしてしている国に行って、何が売れるというんだ?パオロ。」

 「需要と供給だよ。相手が欲するものを売るのが商売の基本だろう?」

 「パオロ、内乱状態にある国が欲しがるものといえば、武器しかないじゃないか。」

 「ああ、特に鉄砲だな。」

 「ポルトガル王は、キリストの教えを広めながら武器を売ってこいというのか?」

 「ポルトガル王の目標は小さな島国などではない。できるだけ早く一人のリーダーに国内を統一させるのに協力し、安定した補給地として友好的な関係を築きたいと考えている。」

 「補給地?」

 「王の本当の狙いは大陸の大帝国、明だよ。帝国とはいえ、皇帝の求心力は弱まり、国内は乱れているようだ。そこを狙っているがさすがにポルトガルから遠く、戦いを起こしても兵力や物資をすぐ補給はできない。そこで、まずその大陸の近くにある島国を補給基地としておさえてから、あの帝国を叩く、そういう戦略だ。」

  「そこまで・・」

 「私の役割は、あの島国を一人のリーダーが統一できるように協力し、その人物と信頼関係を築くまでだよ。すでに、何人かの豪族の頭領たちが、カトリックに入信しているのだそうだ。カトリック教徒のリーダーが治める国になれば、ポルトガル王として東方での拠点ができる。イスラムの教えが入り込む前に、何としても布教活動を進めなければ、というわけだ。」

 「カテリーナは、知らない遠いところに行ってしまう君の身を案じてしまうのは当然だよ。」

 「私が布教活動には関心がないし、私の領分ではない。ただ、新天地で、自分の好きなように活動できればそれでいい。ヴェネツィアだろうがキプロスだろうが東の果ての島国だろうが、どこでも危険はあるだろう?」


 キプロスからの帰還後のパオロから、すっかり前向きな態度に様変わりした理由がまだわからず、ジュリオは話しを続けました。

 「ジュリオ、君がすっかり元気になって、新しい目標に邁進する姿を見るのは嬉しいよ。嬉しいけれど、勝手知ったる地中海ではなく、宗教だけでなく、風俗も習慣も、ある意味全く知らない社会だろう?」

 「未開の地ではないよ。ちゃんとした長い歴史をもつ文明国だそうだよ。」

 「しかし、内乱の真っ最中だろう?」

 「だから、ビジネスチャンスでもあるんだ。実際すでに、スペインや新興国オランダも乗り出している。今動かないと、世界情勢からは乗り遅れてしまうんだよ。」

 「パオロ、君の熱意は良くわかったよ。でももう少し先でもいいんじゃないか? 子どもが生まれたばかりじゃないか。今はまだカテリーナも身体がしんどい時だろうし、せめて子どもが2,3歳になるまで待てないのか?」

 「出発のタイミングについては、私は決められる立場じゃないんだ。マテオたち修道会のほうで準備が整ったら、出発に同行しないと。」

 「その修道会の者たちは若い人間が多いと聞いたが、東方での布教を先駆けて切り込んでいく勇気があるのだな。」

 「ああ、彼らの結束力と、あえて困難に立ち向かおうという信仰心が、ほかのどの修道会より強いと思う。若い修道士が多いということ以上に、やはりコンベルソの者が中心だからだと思う。地中海世界の古い軋轢から離れて、新世界で自由に布教活動を行えることに使命を感じているんだよ。他の修道院がやりたがらないような危険をともなう布教活動を。」

 「君は? パオロ、君はそんな強い信仰心や使命感があるわけではないよね。なのにどうして?」


 ジュリオをじっと見つめたあと、意を決した表情をしてパオロは熱く語ったのです。

 「私は…君に分かってもらえるかどうかわからないけれど、君にだけ本当の気持ちを言うよ。私も新天地で人生をやり直したいんだ。もう今までのくびきからは解放されたい。ジュリオ、キプロスでのこと、そのあとの扱いについて、本国政府に、バルバリーゴ家に本当に失望したんだ。命がけで故国に尽くしても、裏切られるような思いをするのは二度といやなんだ。これからは立場とか序列とか忖度とかではなく、自分が信じる“義”に従って生きたいんだ。」

 「そんなにひどい思いをしたのか?」

 「ああ、それに今のヴェネツィア政府の分析力、対応力は、どんどん落ちていっていると思う。新世界に乗り出している他の国々の後塵を拝しているとは思えないか?」


 パオロの話を聞きながら、ふとジュリオは副官ジェロ-ムが準備中の植物園で『ヴェネツィア政府の情報収集能力と分析能力はここ10年で著しく低下しています』という言葉を思い出したのです。


 「リッカルド殿の時代とは違ってきてしまったということか。あの副官もそう話していた。」

 「ああ、彼ならよく分かると思います。そしてもしジェローム王がご存命だったら、同じことをおっしゃられていただろうと思います。だから、私は、ジェローム王のように生きて、死にたいのです。」

 「ジェローム王のように?」

 「“死ぬときは自分が信じる『義』に従って死にたい”――あのキプロスの戦闘中、反逆者となる危険性も厭わず、乱入したトルコ兵から身を挺して私を守る直前に、そのようにおっしゃった。私も彼のように生きて、彼のように死にたいんだ…。自分の心を偽って、後悔したくない…。」


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