コンソルベたちの修道会
第74章
ジュリオがパオロに会うために、ブレンダ運河沿いの別荘に行ってみると、パオロは不在でした。留守を預かる召使いに尋ねると、ローマに行っているという話でした。
ここでジュリオがパオロを別荘に尋ねたひと月ほど前に時を戻りましょう。
マルクの訪問以降、体力は回復したもののパオロは外出もせず、人と会うこともなく自分の殻に閉じこもるような毎日を過ごしていました。身内で最も親しかった兄のサンドロが心配して手紙を送ったのですが、それにも返事を出さなかったのです。
そんなある日、いつものように中庭に面したサロンで読書をしていたパオロに、召使いが手紙を持ってきて渡しました。
それは、あのサンマルコ広場で出会った若き修道士マテオからの手紙だったのです。フォスカリ家からバルバリーゴ家を経由して届いたせいもあり、質素な紙の手紙は、少しくたびれて汚れてしまっていました。
しかしその外見とは正反対に手紙には、叙階を受けた後ヴァティカンに戻り、ローマ法王と謁見して無事、新しい修道会創設の裁可を賜ることができ、修道会の本部をローマ市内に置いたこと。そしてこれからの自分たちの布教活動について関心を示してくださった若きポルトガル王に謁見するために、来月中頃には修道会の仲間と一緒にリスボンに向けて出発することになったという消息が、希望に満ちた生き生きとした文体で綴られていました。
-ポルトガル王か…エンリケ航海王子の時代から、新世界への探検行には積極的に支援するお国柄だ。現王もスペインと競争するように、修道会による布教活動と一緒に貿易の利権を得るために積極的だと聞いている。古いしがらみや因習に縛られることなく、前例や立場も関係なく、周りへの忖度など気にしないで、未知の世界で、自分の裁量で自由に活動できることが出来るなら・・・。-
キプロスから帰国してから無気力に陥っていたパオロは、このとき、これから自分がどのように生きていくかという道筋が、光明のように閃いたのです。
そもそもパオロは、あのキプロス王宮での激闘で、自分をかばって目の前で戦死したジェローム王の生き様に、半ば魂を支配されてしまっていました。そして戦後処理の過程で、現在のヴェネツィア政府に失望してしまっていたのです。
帰国の船内でジュリオに「味方にだまし討ちにあったような気分」と言ったのは心からの本心でした。
亡き母の教えで、バルバリーゴ家のためにヴェネツィア政府のための命をかけて尽くしてきた自分に対して、多少でも労をねぎらう言葉もなく、ともすれば疑いの目でみるような態度。そして自分のこと以上に憤慨したことは、ジュリオから報告を受けた、リッカルド伯父の密命を受けてキプロスに潜伏していた副官ジェロームへの、現在のバルバリーゴ本家がとってきた扱いに対してだったのです。
それは自分が感じていた強烈な違和感、不信感を裏付けるものでした。
-今のバルバリーゴ家はおかしい。リッカルド伯父がご存命だったら、絶対にあんな対応はしなかったはずだ。-
その晩、パオロはローマのマテオあてに長い手紙を書きました。翌朝、召使いにその手紙を速達ですぐに届けることと、しばらくの間、家を留守にするので、旅支度の準備をするように命じたのです。今まで無気力な様子の主人を見て心を痛めていた召使い頭は、思わず
「何か良いことがあったのですか?」
とパオロに尋ねました。
「ああ、次にやるべきことが見えてきたんだ。その準備のためにローマまで出かけてくる。まだ不確実なところもあるから、バルバリーゴ家やフォスカリ家の方々には内緒にしておいてくれないか。そうだね、出発前には事情を説明する手紙を兄サンドロあてと妻カテリーナあてに書いておくから、自分が出かけたら両家に届けてくれればいい。」
実家のゴタゴタが片付いたジュリオがブレンド運河沿いの屋敷を訪れたのは、パオロがロ-マへと旅立ってからすでに一週間以上たっていたのです。
*****
明後日にはリスボンに向けて仲間と出発するというときに、マテオはパオロからの手紙を受け取りました。そこに書かれている彼からの提案に驚いたマテオでしたが、早速その日の夕べの祈りのあと、修道会の仲間全員に手紙の内容を共有したのです。
若い仲間が集まって設立したばかりの小さな修道会だったので、『今はどんな協力もありがたい。ポルトガルから戻ったら、ぜひお話を前向きに伺おう』ということになり、近くローマに来るといってきたマテオは本部の留守役の修道士見習いに、パオロあての言付けの手紙を残したのです。
大きな、歴史のある修道会であったら、こんなにすぐ事が運ぶことは決してなかったでしょう。
ところで、マテオ達が立ち上げた修道会は、実はもともと親や一族がユダヤ教徒だったコンソルベと呼ばれる改宗キリスト教徒のスペイン人が中心でした。14世紀ごろのヨーロッパでは各地でユダヤ人迫害があったのですが、特にスペインではそれが苛烈を極め、少なくない人々が迫害を逃れてキリスト教に改宗したのですが、改宗者は『マラーノ』(豚)と呼ばれて、侮蔑を受けたりしていたのです。
マテオ達自身は、自分たちのことを『ビスカイヤ人』と呼んでいましたが、その出自から何かと差別を感じるヨーロッパではなく、遠くアジアでの布教活動を目指していました。すでにポルトガルやスペインでは、東方のアジアや新大陸に向けて領土を拡張しようと国を挙げて活動をしており、地中海世界内での交易の覇権を握っていたサンマルコ共和国とは異なった志向を持っていたのです。
マテオ達の修道会が早々に法王から認められたのも、負荷が高く命の危険の大きい東方のアジアや新大陸での布教活動を彼らに任せる意図があり、若きポルトガル王が興味を示して呼び出したのも、彼らを利用して交易などの利権獲得目的が裏にあったからでした。
こういった事情をパオロは熟知していました。その上で、マテオの活動に同行して、自分は商人としてアジアに行こうと決心し、そのことをマテオあての手紙にしたためていたのです。
マテオたちの、若くて希望に溢れ自分の信じる道を貫こうとするエネルギーを目の当たりにし、自分も古い因習やしがらみのある旧態依然なヴェネツィアを捨てて、未知の世界で自分の力を試そうと思ったのです。
ローマに到着してすぐマテオの修道会の本部を訪ねたパオロは、留守番の修道士見習いからの言付けの書き置きを渡され、事情を聞きました。
このままローマでマテオを達がリスボンから戻るのを待つか、それとも彼らを追ってリスボンに向かうか、それとも・・・、と迷っているとそこへ、壮年の、それなりの地位があるとおぼしき人物が修道会の本部の部屋に入ってきたのです。
見習い修道士はすでに面識があるらしく、
「少しお待ちください。」
とパオロに断ってから、入ってきた男性としばらく話していました。すると、急にパオロのほうに顔を向け、
「こちらが、マテオ修道士に協力提案をされたパオロ・バルバリーゴ殿です。」
と突然、紹介されたのです。壮年の男性は
「ここで早速お会いできるとは思いませんでした。アラン・デ・アルブルケと申します。ポルトガル王の使いでこちらに参っております。なにとぞお見知りおきを。」
といいながら、上品な態度でパオロに手を差し出しました。