食堂での打ち明け話
第65章
いつのまにか回廊に夕陽が差し込んでいました。ジュリオは風を肌寒く感じ、ふと少し考える時間が欲しいなと思ったのです。
「ジェローム殿、私はあなたに会ったらパオロに報告するとすでに約束してしまったんだが。ただ、今はまだ私の中で考えがまとまっていない。パオロに話す前に、あなたのことをもう少し理解したいと思っている。少し時間をくれないか?」
「もちろんです。ジュリオ様は私の命の恩人ですから、ベレッツァ家にお仕えするのは恩返しとお考えください。パオロ殿だけに留まるのであれば、私ことをお話してくださって構いません。むしろパオロ殿にとって有益な情報かと存じます。」
「今晩はどこにお泊まりに? よろしければ一緒に大学にいらっしゃいませんか? 食堂のようなものですが夕食も提供されますし、宿泊施設もあります。私も今日はそこに泊まる予定です。お一人くらい急に増えても大丈夫です。もちろん贅沢なものではありませんが、食事はなかなか美味しいですし、宿泊所はとても清潔で快適ですよ。」
このジュリオの提案に、元副官ジェロームは、ぱっと顔が明るくなり、会ったときのニコニコ顔以上に嬉しそうな表情をして「ええ、喜んで」と答え、二人は連れだって大学に向かい歩き出しました。
その晩、一緒に食堂で向かい合って話しながら、ジュリオはやはりこのジェロ-ムという男が嘘をついているようにも、腹に一物があるようにはどうしても思えなかったのです。
お互い用意された寝室に向かう前に、ジェロームは、まるでやんちゃな少年のような瞳で打ち明けたのです。
「最後に、フェデリコ様や今のヴェネツィア政府上層部はもちろん、リッカルド様も知らなかったことをお話しましょうか?」
「そんな秘密を私に打ち明けてくれてよいのでしょうか?」
「ジュリオ様への信頼の証として聞いていただければ・・。あの用心深いジェローム王が、私を“左腕”と称するまで信頼してくださったこと、不思議に思われませんでしたか?」
「まあ確かに・・・。改宗イスラム教徒である彼は、後ろ盾の前王を失ってからは、周り全員が敵で、裏切られるかもしれないと疑心暗鬼になっても仕方が無い状況だったとは思う。どんなに優秀で誠実な部下でも、なかなか全面的に信頼するのは難しかっただろうな。」
「ふふ。そうですよね。実は私はキプロスに送り込まれる前から、すでにジェローム王と顔見知りだったんですよ。」
「え? 何だって? いつ頃の話ですか?」
「彼が奴隷身分から引き上げられ当時のキプロス王に仕えはじめた20代半ばころの話です。そのころ孤児だった私は、引き取られた修道会の神父の助手として所用で船で出かけたときにムスリムの海賊船に誘拐され、人質となってしまいました。本来なら身代金が届くまで人質として地下牢に幽閉されてしまうところ、若き日のジェロームさまが仕えていた当時のキプロス王にかけあって、私を特別に彼の私的な召使いとして救い出してくださったのです。10歳頃のことです。」
「・・・・」
あまりの話の展開に、ジュリオは言葉を失ってしまいましたが、ジェロームは打ち明け話しをするのが楽しそうに話しを続けました。
「そればかりか読み書きや計算、礼儀作法など様々なことを教育してくださいました。特に言葉は直接教えていただきました。同じイタリア語を母語にしていたこと、それに偶然ですが同じ『ジェローム』という名前だという縁からか、幼い子どもだったからか、捨て置けなかったのかもしれません。あの4年間がなかったら、その後バルバリーゴ家で雇われるようなレベルの知識や教養は身につかず、せいぜいガレー船の漕ぎ手にしかなれなかったでしょう。
一方、修道会の神父様は私に対してとても責任を感じられたのか、なんと4年もの間奔走し、身代金をなんとか工面してくださったので、私は14のときに解放されました。でもその神父様は心労と無理がたたったのか、解放直後に亡くなられてしまったのです。修道会は私の帰国の船を用意してくれなかったので、ジェロ-ム様が面識あるヴェネツィア商船の船長にかけあってくださったので、何とかイタリアまで戻ることができたのですが、修道会に失望した私はそこには戻らず、そのままその船の船長に通訳として雇ってもらうことにしました。それから1、2年たったとき、たまたま船長に指示されて、リッカルド様とお話する機会があったのです。当時、バルバリーゴ家から依頼された船荷のことでトラブルが発生し、その説明と弁明のためバルバリーゴ家に数回伺いました。結局、このトラブルのよる補償金を払うことが難しい状況だった船長は、『この若者をうちの使用人として引き渡してくれるのであれば、補償金を免除しよう。』というリッカルド様の提案に諾と返事したのです。一見すると人身売買のようですが、後でリッカルド様から、『補償金より、素晴らしい能力を持つ君という人材がどうしても欲しかったんだ』と言われて、私も嬉しかったのを覚えています。
それからバルバリーゴ家の家令のような立場で、主に通辞として商談や重要な会議などにリッカルド様に同行するようになり、その後キプロスに密命を帯びて潜入させられた、というわけです。」
「キプロスに潜入したとき、ジェローム王は『昔、保護してあげた少年だ』と気づかれていたということか。」
「表面的には何もおっしゃいませんでした。少年の頃の面影が残っていたどうかはわかりませんが。仕事上ではイタリア語で話したことはありません。気づいていて、あえて何も問いたださなかったのだと思います。
ジェローム王がふと「イタリア語がある程度話せる人間探している」と当時のヴェネツィア商館長に話したことがあったことから『一時通訳として雇っていたキプロス生まれのよい少年がいる』という商館長の推薦で王宮勤めに入りましたから、私がヴェネツィアとつながっていると承知の上で、私を信頼してくれたのだと思います。ヴェネツィア政府とは通商上よい関係を維持したいし信頼関係を構築したいから、というお考えだったのでしょう。」
「あなたは、これまでの人生で、とても素晴らしい上司二人に仕えてきたというわけですね。私はそこまでの人間かどうかわかりませんよ。たいしたことないと失望するかもしれない。」
「確かに、自分より年若い主人に仕えるのは初めてのことになりますが、今日お話しさせていただいて、改めて確信しました。今までのお二人に対して同じ感情を抱いていること。」
「同じ感情?」
「はい、『この方をお支えしたい』という気持ちです。」