リッカルドの手紙
第16章
重症のエドモンは、ヴァティカンまでは遠く、連れ帰るのは体が持ちそうにありませんでした。かといって、至急安全な場所にかくまって、治療をしないと生命が危険な状態です。
ヴァティカンへの急使が走ると同時に、パドヴァ近郊に住むエドモンの妻マリアにも報せが飛びました。そして、マリアは報せを受け取るとすぐに、ヴェネツイアによる救助の部隊を遣わし、同時に、リッカルドに報せを出したのでした。
遠征軍の総司令官が倒れるとの報に、ヴァティカンまでの道程にある諸国がざわめきだしたのは言うまでもありません。ヴァティカンからの救援の援軍は途中で、嫌がらせを受けてなかなか辿りつけず、ヴェネツィアからの救援隊のほうが、よほど早くエドモンの身柄を確保し、パドヴァの近郊の邸宅に運びこんだのでした。
カルロスとマリアエレナ、エレノアやジャンカルロらは、しばらくエドモン負傷のことを知りませんでした。すべてリッカルドからの情報で知ったのです。
「すぐにエドモンのところに行かせて!」
と叫ぶエレノアに、ジャンカルロは諭します。
「母上、エドモンは今、自分の家で、自分の妻に介護されているのですよ。それにお心はどうであれ、母上はフランソワの奥方です。まずは、お国に戻られて、私とともに領主の葬儀を執り行わなければなりません。それから、エドモンのところにお連れすると約束します。」
もちろんジャンカルロもエドモンの負傷がどの程度のものか心配でしたが、フランソワの後継者としてエレノアを支える責任と、体調が回復しつつも身重のソフィーを連れていく心配と、いまやすべての重圧が自分にかかってきたのを感じていました。いままではエドモンやカルロスの庇護の下に、いかに気楽に暮らしていたのかと、気がついたのです。
「これからは、すべて自分の責任だ。故国に領主として戻らねばならない時がきたのだ。しかも政治的に細心の配慮をしなければ。母エレノアをめぐる愛憎が事件の底辺にあろうとも、皇帝派の領主が、教会軍総司令官に宣戦布告も、大儀名分もなく切りかかったのだ。この事件を、法王がどう利用してくるかもわからないし、皇帝が介入してくるとも限らない。」
ジャンカルロはいきなり難しい立場に立たされてしまったのでした。
一方フィリップが事件を知ったのも、リッカルドからでした。すぐ法王に報せなければというフィリップを制止して、リッカルドは打ち明けました。
「いや、ヴェネツィア経由の情報が早いと知ったら、法王もいい気はしないだろう。いずれにせよ遠征軍からの連絡が2,3日中には入るから、それまでは待っていたほうがいい。エドモンのもとには、すぐ治療と看護の人間を送った。君は気に入らないかもしれないが、マリアンヌだ。彼女以上の治療を出来るものはいないだろう。」
「すまない、リッカルド。まさか、こんなことになるとは。今は君の情報が唯一のよりどころだ。」
「フィリップ、君に信用してもらえるのも、明後日までなのだ。実は、本国への帰還命令が出た。こんなときに申し訳ないが。明日、後任の人間が到着する。」
「何だって! 帰ってしまうのか?」
「幸い、今エドモンが滞在している邸宅は、私の別荘のすぐ近くだ。私自身が様子を見て、君に出来るだけ早く連絡する。」
「リッカルド。国に戻って、今度は何をするんだ?」
「それは言えないよ。国家秘密さ、枢機卿殿。それに。」
「それに?」
「私自身のことで解決しなくてはならないこともある。ヴァティカン赴任をいいことに、ここ数年、ずっと放置していた問題を。」
リッカルドはヴェネチィアに帰国後1週間とたたないうちに、フィリップへの手紙をしたためました。
【フィリップ、さぞやこの手紙を待ったことと思う。十二人委員会への報告が最優先だったので、エドモン殿のところに伺ったのは、帰還して4日後となってしまった。一言でいえば、一命はとりとめたところ、いまだ重篤な状態だ。マリアンヌとマリア殿が交代でエドモンを看病している。たまに、うわ言でエレノアの名を呼ぶので、マリア殿が気づいて、一体誰のことなのかと、私に尋ねてきた。フィリップ、悩んだが、何度も真剣な表情で聞かれるので、マリアに今までの事情を、私が君から聞いた限りのことを話した。今から話すことに驚かないでくれ。そして君が、これから話すことを秘密にしてくれると信じている。だから、君にはきちんと理由を説明しようと思う。私が彼女に話したのは、マリアは、彼女はエドモンとエレノアの関係を理解し、決して口外しないと確心しているからだ。
私は彼女が幼いころからマリアの家族とは家同士の付き合いだったので、実の妹のようによく相談にのっていたのだ。マリアには4人の姉上たちがいるが、どの姉たちよりも心優しく、人を貶めたり、裏切ったりしない純粋な心も持ち主であることは私が保証する。マリアの二番目の姉上と私の婚約が決まった後すぐにヴェネツイア大使として各国を歴任したため、会う機会がほとんどなくなってしまったが、手紙のやりとりは続けていた。ほかの姉上たちの奔放な生活と違い、彼女しばらく修道院へ入っていた。そこへ今回のエドモンとの結婚話がふって湧いた。私は、この結婚話を、君の枢機卿任命式よりもずっと前に、マリアからの手紙で知っていたのだ。彼女は結婚を拒否することはできない。せめてどういう人なのか教えて欲しいと手紙には書かれていた。私が信用できる人なら、マリアはこの結婚を進んで承諾できる、と。私はなるべくエドモンを知ろうと思った。そしてエドモンと親しくなるにつれ、信頼に足る、素晴らしい男性だとわかった。それからマリアを安心させるために、彼の人となりを保証した。
長い手紙になってすまない。マリアは、今、隣でエレノア殿宛の手紙を書いている。私の話を聞いて、心からエレノア殿と、エドモン殿と再会させたいと願っている。フランソワの葬儀が終わったら、エレノア殿に、ここを訪問していただいて、エドモン殿と二人で過ごして欲しいと。エドモンの時間がどのくらい残っているのかわからないが、マリアの招待は心からのものだ。できれば君からジャンカルロに説明してあげて、エレノア殿をここに連れてきて欲しい。】
リッカルドが、この手紙を書き終えようとしたとき、召使の一人が部屋に入ってきて、
「エドモンの部下という人間が面会を求めております。ジャンマリアと名乗っておりますが、ご面識はございますでしょうか。」
と告げました。驚きを表情に出さずに、リッカルドは答えました。
「わかった。隣の部屋にお通ししてくれ。マリア、すまないが、手紙を書き終わったら、あなたにも彼をご紹介したい。エドモン殿の忠実な部下の一人だ。」
「あまり時間がない。皇帝が動き出しそうな気配なのだ。すぐ本題に入らせてくれ。」
開口一番、こう切り出したジャンマリアことカルロスは、マリアへの初対面の挨拶もそこそこに話し始めました。
「変装までしてここまできた理由は2つ。1つは、マリアエレナがどうしてもエドモンに会いたがっている。アランを見せて、抱いてほしいのだそうだ。もう1つは、我々とフィリップと3人で情報交換がしたい。今度の事件で、法王、皇帝、そしてヴェネツィア政府がどう出るのか、至急検討しなくては。おろかな侵略戦争を避けるために、何とかしたい。」
「3人ではなく、4人でしょう。」とリッカルド。
「いや、エドモンは話し合えるような状態ではないだろう?」
「エドモン殿ではありません。ジャンカルロ殿です。今や彼は一番難しい立場にいます。下手な行動をとって命とりになる前に、相談しなくては。」
「しかし、4人もの人間が疑われずに集まれる機会など。。。」
「フランソワの葬儀への参列ではどうでしょう? ジャンカルロ殿の主宰で、あなたは義理の父上の葬儀、フィリップも父上の葬儀への出席は当然です。」
「しかし、あなたは? リッカルド」
「お忘れでしょうか? 私は元首の娘婿という立場でもあるのです。ヴェネチィア元首の名代ということで、参列いたします。」
ジャンマリアに変装したカルロスが辞してから、リッカルドはフィリップあての書きかけの手紙を仕上げようと読み直しました。ほとんど書き終わっていた手紙だったが、リッカルドははじめから書き直すことにしたのです。マリアの恋人が自分であったということを匂わせるようなことは、今でも自分がマリアを愛していると疑われるようなことは、やはりフィリップには伏せておきたかったのです。
リッカルドが本国に戻って2週間後、リッカルドからフィリップあてに、そして、マリアからエレノアあてに手紙を書いていたのでした。