”左腕”の副官
第59章
「今回のことは、そなたにとっては好都合だったな。」
「どうでしょう。」
「キプロス王はそなたをかばったと聞いたが。本当にそう証言したのか?」
「事実ですから。王のおかげで私は今もこうして生きています。」
「そういう関係だったのか?」
「いいえ」
「3対1だぞ」
「そうですね。私は剣を所持していませんでしたから。」
「異教徒であるそなたを守るために、同胞に刃を向けたと。」
「はい」
「なぜ?」
「分かりません。彼にとっては異教徒よりも倒すべき敵だったのでは?」
「まあ、あの国の内部抗争も熾烈だからな。」
「おそらく。」
十二人委員会からの尋問のあと、パオロはそのまま伯父でもあるフェデリコ・バルバリーゴと二人だけ残って話しを続けていたのでした。
「フォスカリの娘は?」
「スルタン船団入港の直前にシチリアに脱出しました。彼女は私の子を孕んでいます。」
「そういったことも抜かりないな」
「指示に従ったまでです。それにもかかわらず突然の予定変更の理由は何でしょうか?」
「予定変更?」
「2点あります。まず、私の妻を脱出させるための船を提供しなかったこと。」
「スルタン側の動きが想定外だったのた。キプロスへの侵攻は10月半ばと考えていた。単に船を差し向けるのが間に合わなかっただけだ。」
「ジュリオ・ベレッツァが船を調達できていなかったら、ほかの帰国希望者たちの命も危険に晒すところでした。」
「その際は、一緒に籠城させるしかない。戦争だ。想定外は常に起こり得る。」
「もう1つ」
「何だ」
「なぜ私をキプロスから引き戻したのですか? 総督となるべく派遣したはずです。」
「それは政治的な理由だ」
「私は命をかけてキプロスを守ったのですよ。理由くらい聞かせていただけませんか?」
「国家機密だ。ここで今おまえに答える義務はない。それより本題に入る。わざわざ残ってもらったのは確認したいことがあるからだ。」
「・・・・・・」
本当はフェデリコに恨みをぶつけたい衝動をパオロは何とか抑えました。
「王の副官は、本当に服毒自殺したのか? スルタン側に寝返って逃亡した可能性はないか? 王の遺体は薬草園内で発見されたが、副官の遺体は見つかっていない。」
「え? ジュリオ・ベレッツァから、先に埋葬された王の亡骸の隣に埋葬する予定だと聞いておりました。王の『左腕』という通称を持っていましたから、王の左側に埋葬されたのでは。」
「確かに左側の土を掘り返した跡はあったが、何もなかった。右だけでなく周囲も捜索したが。おまえは埋葬の場に立ち会ったのか?」
「いえ、そのときはまだ戦闘時の怪我が酷く、私は寝台から立ち上がることもできない状態でした。ジュリオ・ベレッツァが嘘をつく理由もありませんし、彼自身もまだ負傷者の治療でほとんど休めない状態だったと思われます。すでに派遣団の面々が本国から到着して現地視察と事情聴衆をしていた時期ですから、彼らのうち誰かが立ち会ったのではないですか?」
その質問には答えず、フェデリコは続けました。
「ジュリオ・ベレッツァは副官の死因を何だと言っていた?」
「確か、ジギタリスを過剰摂取したようだと。強壮剤を作る薬草として薬草園で育てていたそうですが、薬草園のジギタリスのそばに倒れていたそうです。」
「副官がジギタリスを摂取した姿を見た者はいなかったのだな。」
「・・・本気ですか? あの副官が王宮から逃亡し、生き延びてどこかにいると?」
「場所は王宮内だ。副官の部下が周りにたくさんいたのだろう? 偽造工作でも何でもできたはずだ。」
「彼も戦闘が始める直前に、イエニチェリに襲われて大怪我を負ったのですよ。」
「それも周りを欺くための演出の1つかもしれない。」
「それは・・・副官がスルタン側と通じていたということですか? 彼は長年ジェローム王を支えて、王の信頼を得ていたのですよ。」
「本来なら副官が現場指揮に当たる立場ではないか。それが都合よく病室で前線に出られない状況になっていた。スルタン側の攻撃開始も我々の把握していた情報より1ヶ月以上早く、万全の準備が整えられなかった。こちらの状況が、スルタン側に筒抜けだったのではないか?」
「副官はキプロス内に長年潜伏していた刺客だと・・・。」
「まだわからん。ただ、十二人委員会内でも議論は分かれている。ただ、おまえがジェローム王と必要以上に親交が深かったとみている者も多い。とやかく詮索する者もいる。言動は慎重にておいたほうが身のためだ。それと、おまえが帰国したことで、ファビオ・フォスカリが娘をこちらに戻るように手配するそうだが、妻にも余計なことは言わないほうが良い。彼女がやっかいなことに巻き込まれる危険性があるからな。」
「・・・留意します。」
部屋から出て行くフェデリコを見送りながら、パオロはマリアンヌからの忠告の言葉を思い出していました。
『巻き込んだ人間を後悔させるようなことだけはして欲しくない。結局はあなた自身が自責の念に苦しむから。』