審問
第55章
戦闘はスルタンの船から王宮に向けた砲撃から始まり、その直後、提督らの予想通り歩兵たちが一斉に上陸を開始しました。半数くらいの兵が上陸したかと思われたタイミングで別の港に隠れていたヴェネツィアの船団が背後から接近し、一斉に火のついた弓矢を飛ばしたのです。そして海上も王宮も、一気に白兵戦の戦場と化したのでした。
王宮内に乱入したスルタンの歩兵はヴェネツィア兵、そしてキプロス王配下の兵士達にも襲いかかってきたので、結局敵味方入り乱れての戦いとなってしまったのです。
パオロとともに執務室に待機していたキプロス王でしたが、王宮内の奥にもスルタンの兵が入り込み、自分の配下の兵士たちも襲われていると聞いて、ついに自ら剣をとり、部屋を飛び出そうとしました。
「ジェローム王、何をなさるおつもりですか!? ヴェネツィア側はまだ兵力に余力がございます! 戦後処理の問題もございます! こちらで待機していてください!」
「自分の部下を守れなくて、一人安全なところにいて何が王だ。私がいなくても副官が事後処理はしてくれる。」
「しかし! スルタンの兵に刃を向けたら、あなたは反逆者となってしまいます!」
そのパオロの問いかけに、ジェロームは微笑み、パオロの目をじっと見つめて、こう言ったのです。
「パオロ殿、戦いの中で散りたいと思うのは、少し感傷的すぎるかな。」
「え?」
「パオロ、私にとって『神』は、この世を生き抜く方便に過ぎなかった。まして『神』ではない世俗の権力者を信じていたわけではない。だから死ぬときは自分が信じる『義』に従って死にたいだけだ。」
その瞬間、スルタンの兵数名が、血の匂いをまき散らせながら執務室になだれ込んできました。
*****
スルタンの側近とヴェネツィア海軍提督との間で交わされた停戦交渉は事実上、キプロス島はサンマルコ共和国の領有という内容になりました。
戦闘が始まって2日目、スルタン軍側が劣勢となったことで、急遽状況報告と援軍要請のためにトルコ側の将軍が戦線を離脱したせいでさらに総崩れとなり、将軍帰還前にスルタンの側近は命乞いをし、圧倒的不利な条件で、停戦条約を結ばざるを得なくなったのです。
停戦となったとはいえ、ジュリオは大量の怪我人の処置で、開戦後はほとんど寝ずの大車輪の活躍をしていました。そこへ海軍提督がやってきました。
「ジュリオ殿、兵士らの遺体はどちらに? 大変残念だが、国まで持ち帰ることは不可能だ。海葬するか、もしくはキプロス島内に埋葬するしかないのだが。」
「提督殿、出来るため腐敗が進まないように地下倉庫を遺体安置所としております。若干のトルコ側の兵士も含まれています。処置はお任せいたします。私は怪我人たちの対応で手一杯ですので。」
「それで、パオロ殿のご様態は? まだ危ない状況なのでしょうか?」
「お若いので、まだ頑張っておられますが、かなり傷が深く酷く発熱もしております。ここ1日2日が勝負でしょう。」
「そうですか。何とか持ちこたえていただきたいのですが。軍医の手が空き次第、明日にでもこちらに協力するよう派遣させましょう。」
「ありがとうございます。私も正直、そろそろ限界かもしれません。」
「少しはお休みください。側近がスルタンの船団とともに帰国を確認しておりますし、先ほどヴェネツィアに向けて快速船を出したので、本国政府がここでの状況を把握したらすぐに対処に乗り出します。スルタンが援軍を送ってこなかった事実からして、当面キプロス島のヴェネツィア領有を静観するつもりでしょう。もう安心してもよろしいかと。」
それから10日ほどして早速ヴェネツィア本国から政府派遣の一団がキプロスに到着しました。パオロは危機を脱し、1日数時間なら何とか起き上がれるまでに回復していたのです。
あちこち破壊された王宮にはまだジュリオが残っていて、怪我人の看病と処置を続けていました。政府派遣の一団はそこを通り一遍に視察した後、商館にやってきて海軍提督とパオロに対して、個別に経緯報告という名の審問を行ったのです。
「それで、商館長殿、キプロス王と共闘されたとのことですが、そもそも共闘することを必要だと判断された明確な理由は?」
「あの時点では、スルタンの側近とキプロス王との関係は微妙なものでしたが、一致団結されたところにスルタンの部隊がやってきたら、おそらくこちらに勝ち筋はありませんでした。スルタンの側近が潜り込ませていたイエニチェリが、王の左腕と呼ぶ腹心の副官に大けがを負わせた時、王自ら明確に我が国との共闘を申し入れられました。そこにこちらを欺す意図はないと判断しました。」
「海軍提督から聞いた情報だが、すでにスルタンが派遣する船団が出ていて2,3日以内やってくるという緊迫した状態で、貴殿は自分の奥方を逃がすために海軍の船を提供するように言ってきたそうだな。」
「それは、もともとそういうお約束をいただいておりました。もちろん我が妻だけではなく帰国を希望する女性や子女たちを戦闘が始まる前に脱出させなくてはなりません。それも重要な商館長としての務めかと。」
「戦闘内容に関しては、すでに海軍提督から詳細を聞いたから省く。キプロス王配下のものが基本的に攻撃には参加しないという取り決めだったそうだが、実際はどうだったのだ。」
「私と王の執務室に待機しておりました。彼を信用しておりましたが、裏切るような行動を部下に命じることがないように、監視の意味もありました。結局それは杞憂でしたが。彼の副官はまだイエニチェリによって受けた傷が酷く、ジュリオ殿のいる医務室におりました。」
「そなたが受けた傷は、ジェローム王によるものではなかったのか?」
「違います。乱入してきたスルタンの兵らに襲撃されました。」
「ほう。キプロス王は刀を手にしていたというではないか。そなたが機に乗じて始末しようと争ったものとばかり。いやそうであったなら、まさにバルバリーゴ家の名誉の負傷とたたえられるだろうに。」
パオロは唇をかみ、絞り出すような声で証言をしたのです。
「ジェロ-ム王は乱入した兵数名と戦い、私をかばって亡くなられました。」