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戦闘前夜その2

第54章

 副官としばらく話をしたあと、陽が落ちる頃にジェローム王はスルタン側近が滞在するモスク横の迎賓館を再び訪れました。本来なら今夜は王宮でご滞在いただくところだが、本日賊が侵入し、少々中が荒れてしまっている。申し訳ないが、こちらの迎賓館にて快適にご滞在いただけるようにいたしますので、ご了承ください、と申し入れたのでした。

 ヴェネツィア軍船がすべて港を出港したという報告を受けていた側近は「脅しが効いたようだな」と心の中でほくそ笑み、少しは鷹揚なところは見せないとな、と上機嫌でキプロス王の提案を了承しました。


 一方のジュリオは、翌朝早くから、ヴェネツィア専用港では無く、ジェノヴァやナポリなどの外国船が利用する港に赴き、国を問わず停泊中の船の船長にヴェネツィアまで数名を乗せて欲しいと声をかけるも、みな数日中には戒厳令が敷かれるという情報に事態の変化に気づきはじめた様子で、そんな余裕はないと断られてしまいました。


 10隻以上断られ、どうしたものかを港をうろついていたところ、検疫所の近くで大急ぎで荷揚げを指示している見覚えのある顔を見つけたのです。それはナポリにいた頃に世話になったドゥッティ家の家令でした。

 ものすごい勢いで近づいてくるジュリオに、家令も気がつき「もしや、ジュリオ様ですか?」と向こう声をかけてくれました。

 「やっぱりそうだ!ドゥッティ家のシルベストロだな! サルヴァトーレ叔父の用事でキプロスに来ているのか?」

 「はい、ジュリオ様、お久しぶりです。昨日入港したところで。ジュリオ様こそなぜまたこんなところに? パドヴァにいらっしゃるのではなかったのですか?」

 「神のご加護だ! シルベストロ、頼む、一生の願いを聞いてくれ!」


 こうして無事カテリーナはマルク達に付き添われ、ドゥッティ家所有のナポリの商船に乗り込み、翌日にはキプロスから脱出することができたのでした。マルクの助言で妊娠初期の不安定な体調を考え、ヴェネツィアに戻る前に、いったんシラクサにあるベレッツァ家の別荘でしばらくの間、静養することになったのです。

 シルベストロの気遣いで、狭いながらも個室を用意されたカテリーナは一人、ここ数日に起きたことを思い返していました。

 -夫パオロだけでなく、ジュリオもスルタン軍と対峙する前線に残るなんて。戦闘準備でまともにお別れもできなかった。ああ、ザルツブルグのあのときのコンスタンツァは、こんな気持ちだったのね-



 カテリーナが出発した翌日の昼過ぎ、沖合にスルタンの旗を掲げる船団が現れたのです。

 ついにスルタンの船がやってきた、との情報が入るとスルタンの側近は、その日中に王宮への入城を強行しようとキプロス王を呼び出しましたが、すぐに伝令が慌てた様子で戻り、こう告げたのです。

 「なぜか、王宮前にはヴェネツィアの兵士らが警備をしていて、入ることができませんでした。」

 「何だと! すでにヴェネツィア人どもが王宮を占拠しているのか!?」

 「分かりませんが、キプロス王の所在は不明のようです。王宮内で拘束、幽閉されたのではないかという噂も・・・。」

 「しかし王宮内には彼の部下も大勢いただろう!」

 「それがどうも、王の副官がイエニチェリに殺されたとか、それに乗じてヴェネツィア軍が乱入したとか、街ではいろいろな噂が飛び交っております。」

 側近は焦りました。

 -ヴェネツィア軍に王宮を占拠されてしまったことは確かにまずいが、兵力を持ってない状態では致し方ないとスルタンに申し開きできる。だが、キプロス王を危機に陥らせるような原因を自分が作ったとなると、イエニチェリを送り込んだのが自分だとスルタンにバレたら・・・いや、こうなったら到着した軍とともにヴェネツィア兵士らを追い払うしかない。たいした人数はいないだろう。奴らを始末したら、そのあとはどうとでも話を作ればいい。-


 その日の夕方には堂々とヴェネツィア専用港に入港してきたスルタンの船団は、側近が期待していたほどの数ではありませんでした。しかし小型とはいえいくつか大砲を備えていたので、王宮を攻めるのに充分な兵力だと判断した側近は、船団を率いてきた将軍に早速、王宮への攻撃を一方的に命令したのです。

 「それは、私がスルタンより受けております使命とは異なりますな。現状キプロスに常駐しているヴェネツィア軍の軍船の数を把握した上で、キプロス王と防衛体制を協議するようにとのことでしたが。あなたとキプロス王の間で事前協議くらい済んでいると思っておりましたよ。何より、ヴェネツィアへの牽制のために船団の大半はここに残して、私は協議結果と現状について報告するために戻らなければなりません。」

 「確かに事前協議はまだできていないが、この港を見ていただければわかるでしょう。ヴェネツィア船団は追い出しておきましたよ。それより王宮がヴェネツィア兵に占拠され、キプロス王が幽閉されてしまっている状況を打破しなければ、私はキプロス王と協議も出来ないではないか。」

 「それは、確かにそうですが。」

 「王宮内のヴェネツィア軍の兵力はたいしたことはないはずだ。こちらには砲もある。ここで一気に叩くべきではないか。」


 トルコ陣営では将軍と側近が言い争っていた同じ頃、王宮内では抜け道から王宮に潜り込んだヴェネツィア提督とジェローム王が作戦会議を行っていました。まだ怪我から回復していない王の副官と戦闘経験のないパオロはただ聞き役にまわっていました。

 「王宮がヴェネツィアに占拠されていると考えていることは確かでしょう。おそらく歩兵を上陸させ王宮を制圧してくるでしょう。陛下、ここはやはり籠城戦を覚悟してください。」

 「提督殿、繰り返しになるが、市街地および市民への被害は最小限に留めたい。攻撃の対象を王宮に集中させてくれ。砲撃を受けてもある程度耐えられるはずだ。ただできるだけ短期決戦でいきたい。ご存じではあろうが、籠城戦は時間がかかるほど籠城する方に不利になるからな。」

 「承知しております。歩兵の上陸が始まったタイミングで、半数の軍船が海上から背面攻撃をかけます。残り半分は王宮内部の支援にまわります。海上の指揮は私が、王宮内の指揮は私の直属の将官が行います。陛下の配下の方々は、戦闘行為は自衛の場合のみで結構です。武器の供給、怪我人の搬送などにご助力いただければ。」

 「二手に分かれて挟み撃ちという戦略か。戦闘の状況次第では、兵力を転回させる必要も出ると思うが、そのあたりの連絡伝令には、イタリア語が話せるこちらの通辞を使ってくれて構わない。」


 当然のようにイタリア語で流暢に提督と話すジェローム王を見ていると、パオロは少し不思議な感覚にとらわれました。彼は今、どんな想いでいるのか。同胞と戦うことになってしまって抵抗感はないのか。スルタンからの報復は怖くないのか。ジェノヴァ人として生まれながら、改宗イスラム教ととして奴隷の身から王まで上り詰めた男。難しい政治環境のなかでパオロの今までの人生の倍の期間を生き抜き、安定した治世を維持してきた男。マリアンヌから断片的な彼のエピソードを聞いていたものの、この危機的な状況にも冷静で自信のある態度を崩さない男に、パオロはある憧憬の想いを抱き始めていました。


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