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戦闘前夜

第53章

 副官の休んでいる部屋の前には衛兵がいましたが、パオロの顔を覚えていてくれたのか、すぐにドアを開けて入らせてくれました。

 部屋の中では、ジェローム王がジュリオと親しげに話をしている最中でした。マルクにも増して血で汚れた服のまま、ジュリオは、血で汚れた包帯を替えたり、術後の発熱で辛そうな副官に水を飲むのを手伝ったり処置を続けながら、

 「傷口が塞がったら、マリアンヌ殿のクリームを毎日何度か塗ってください。あれがこちらの手元にあるのは幸いでした。」

 「ああ、彼女のクリームは長年私も愛用してきた。効果はわかっているよ、ジュリオ。」


 -ジェローム王はジュリオに対しては呼び捨てにするほど親しい間柄なのか。-

 ちょっと驚いた表情をしているパオロに気づいたジェロームは、微かに微笑むとこう切り出しました。

 「パオロ殿、奥方は充分回復されるまで好きなだけ王宮に滞在されて構わない。今、改めて左腕に確認したが、もう刺客の類いは副官らが一掃しているから、安心して欲しい。ところで、我々にはあまり時間がないようだ。ジュリオ殿のおかげで副官の体調も落ち着いたところで、パオロ殿も含めこの4人で今後の対処の意思疎通をしておきたいのだが。」

 「何か大きなトラブルが起きているのでしょうか?」

 「ああ、ジュリオ、残念だがやっかいな状況になっている。先ほどまでパオロ殿とヴェネツィア海軍総督と相談をしてきた。スルタンの本隊の一部がこちらに向かっている。ただし今回の襲撃事件は、斥候部隊の仕業ではなく、先走った愚か者が犯した拙速な事故だ。それでも戦いの口火が開いてしまったことは確かだ。私はとりあえずこの島を守るために防衛しなければならないので、サンマルコ共和国と手を結ぶことにした。」

 「え?スルタンの本隊と戦うというのですか? あなたが何故?」

 「いや、スルタン自身はキプロスの状況視察が目的だったはずだが、一部の側近が勇み足をしてしまったというところだろう。とりあえず対抗手段をとらなければ、ただ一方的に襲撃されてしまう。そこで、先ほど提督殿に一割ほどのヴェネツィア軍兵士に王宮防衛の兵力として下船してもらい、陽の明るいうちに軍船はすべてヴェネツィア専用港から島の裏手の港に移動して欲しいと依頼した。」

 「私は軍事的なことは全く知識がなく、一体どういうことでしょう?」

 「2つの目的からだ。まずは偽装工作。ヴェネツィア海軍の船が多数キプロスに停泊していることは知られてしまっている。だからイスラム側が示威行為を示す動機を与えてしまっている状態だから、はっきりとヴェネツィア海軍には戦闘意思はないことを示すために、港から撤退するという行動をすれば、そういう報告が必ず敵側に伝わる。多少でも油断してもらえれば成功だ。

 もう一つは、島の反対側にある別の港に軍船を移動することだ。この港には王宮へと続く秘密の抜け道がある。船への物資の運搬と王宮の防衛をより確実にするためだ。外海に出たら海上で待機してもらい、夜になったら闇に紛れて島の反対側の港に入港してもらう。私は立場としてスルタンの命を受けた軍に対しては表向き刃を向けることはできない。攻撃を受けてもただ耐えるしかない。防戦はヴェネツィア軍に任せるしかない。」


 「まるでこうなる事態を予測していたようなシナリオですね。」

 話を聞いて驚くジュリオ。それに対しては何も答えずジェロームは続けました。

 「これから王宮側は籠城戦にそなえての物資も準備と島内の安全のための防衛準備に入る。外国商船は安全のためにできるだけ早く出航するように働きかけるつもりだ。貴国の商館も、パオロ、防衛準備と整えたほうがいよいと話したが、カテリーナ殿のこともあるし、状況によっては、王宮に貴国の関係者を避難させてもらって構わない。しかし、できるだけ戦闘が始まってしまう前に脱出させたほうが良いだろう。」

 ここでパオロもジュリオに向かって付け加えました。

 「ジュリオ殿、我が国はヴェネツィア海軍だけでなく、ヴェネツィア船籍なら商船も挙国一致して軍事活動に従事させる方針です。ここで暮らすヴェネツィア人がいる限り商館は維持させるつもりですが、一行の皆さんご一緒にできるだけ早く外国船で脱出された方がよい。」


 これに対してジュリオは驚くほど明るい声でこう答えました。

 「もちろん私はここに残りますよ。マルク達はすぐ脱出させましょう。」

 顔を見合わせるジェロームとパオロ。

 「ジュリオ、悪いことは言わない。すぐに出国準備をした方が良い。いつスルタンの部隊が現れるかという状況だ。この王宮は戦闘の前線基地になってしまうかもしれないんだ。」

 「だからこそ、です。戦いが起きたとき、怪我人の手当は誰がするのですか? 医者、特に外科医が必要でしょう? 王宮の侍医は逃亡してしてまっていると聞きました。」

 「しかし・・・」

 「副官殿もまだ手術後の経過観察と治療が必要ですし。ヴァネツィア海軍の侍医は、船の中での乗務で動けないでしょう。何より私はジェローム王がいらっしゃる限り、王宮は安全と信じております。」

 「信頼に感謝する。私はできるだけ無用な戦いが起きないようできる限りの対策はとるつもりだ。いずれにせよ帰国を希望する者に対しては、パオロ殿と相談して、速やかに準備して欲しい。」

 

 副官と二人きりで話したいので、とキプロス王に言われて、ジュリオとパオロは連れだってその場を後にしました。

 「パオロ殿、本当に申し訳ない。キプロスが今これほど緊迫した状況下にあるとは知らず、薬草園の視察などという目的のためにのこのことやってきてしまった。」

 「いえ、ジュリオ殿、謝らないでください。私も突然こんな事態になるとは予想していませんでした。あなたをこんな危険な事態に巻き込んでしまうことになってしまって・・・。それで、マルク殿たちを乗せる帰国のための船ですが、何とか私のほうでヴェネツィア海軍の船を1隻回してもらえないか、改めて提督を説得してみます。」

 「私もほかの外国商船を当たってみますよ。ジェノヴァやナポリ、シチリアなどの船も停泊しているでしょう。同じキリスト教徒ですから、相乗りさせてもらえるかもしれません。」


  二人がカテリーナの休んでいる部屋に向かって廊下を歩きながら、そんな話をしている向こうからマルクが急ぎ足でやってきました。

 「どうしたんだ? マルク」

 「パオロ殿、ちょっとよろしいですか?」

 「妻の容態に何かあったのですか?」

 「ええ、先ほど目を覚まされたのですが、熱っぽくてご気分が悪いようで。すぐにでもパオロ殿にお会いしたいそうで、こうして呼びにきました。」

 

 ジュリオとマルクは遠慮して部屋の中に入らず、パオロだけが入ると、先ほどまで気持ちよさそうに眠っていたはずのカテリーナは、蒼白い顔をしてベッドから半身を起こしていました。

 「あなた、教えてください。副官殿は? 何か大変なことがあったのですね?」

 ベッドに座り優しくカテリーナをハグするパオロ。そして簡単な事の経緯と、すぐにこの島を脱出して安全なところに逃げて欲しい、と告げたのでした。

 「いやです! 私はあなたの妻です。ここであなたと一緒に最後まで残ります。」

 「お願いだ。今すぐこの島から逃げるんだ。戦闘が始まってしまったら、どんなに備えていても、どうなるのかわからないのだよ。」

 「パオロ、私はあなたと最後までここに残ります。」

 「これは夫としての命令だ。必ず迎えにいくから。」

 「いや、離れたくない!パオロ、あなたの子がこのお腹にいるのよ!」

 驚き、そして微笑むパオロ

 「それなら、なおさらここから逃げてもらわないと。この子の命を守らなくては。元気な子を産んでくれるよね。大丈夫、ジュリオ殿の仲間が一緒について行ってくれる。」

 その瞬間、カテリーナはザルツブルグでステファンと引き離され、一緒に逃亡したところで、コンスタンツァを思い出したのです。


 何も言えず黙ってしまったカテリーナを見て納得したと思ったパオロは、部屋の外にいるマルクを大声で呼んで、カテリーナの不調は妊娠の初期症状ではないかと思うと告げ、少しでも楽になるような処置を頼みました。

 そして部屋の外に待機しているジュリオのところに行き、頭を下げたのです。妻をキプロスから逃すための船を必ず探して欲しいと。

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