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パオロの挫折

第52章

 「そ、その血はどうしたんだ!?」 動揺するパオロ。

 「王宮で何かあったのか教えてくれ」 落ち着いて問うジェローム。

 会談中のパオロとジェロームのもとに通されたマルクの姿を見て、二人がほぼ同時にマルクに言うと、息を切らせながらマルクは次にように報告しました。


 薬草園でジュリオ一行が管理人と30分ほど話したあと、カテリーナが先に暇を告げると、管理人は出口にカテリーナに挨拶するように近づいた途端、手に持っていて鋭い鎌で彼女人質にとったこと。

 マルク達が大声を上げたことで異変に気づいた副官が駆けつけてきたが、薬草園内に隠れていていたらしい数名の武装兵士が飛び出してきて、副官と数名の護衛の間で小競り合いとなり、副官は拉致されそうになるカテリーナを助けようとして切りつけられて大怪我を負ったこと。

 慌ててジュリオとマルクでその場で副官の怪我の応急処置を行ったこと。副官は怪我を負いながらも部下に指示を出し続け、何とか管理人以下の謀反人を始末し、王宮内の安全が確認できてから、副官を王宮内の医務室に運び入れ、ジュリオが手術を行い、副官は一命をとりとめたこと。


 「この血は手術を手伝ったときの返り血ですので私のことはご心配なく。医務室の侍医のかたは所在不明です。そのほか数名の人間が騒ぎに乗じて王宮から逃亡したようです。手術後、副官殿の意識が無事戻りましたので、商館長に事態をお知らせしようと走ってきました。まさか閣下までこちらにいらっしゃるとは知らず・・・。副官殿の側にはまだジュリオについております。」

 「そうか、マルク殿、すまなかった。そちらのご一行は全員無事か?」

 さすが人生の艱難辛苦を乗り越えてきたジェローム、パオロに代わり、冷静にマルクに確認しました。

 「はい、我々一行を副官殿達が必死にかばってくださいましたので。ただ、カテリーナ様が、目の前で管理人が切り捨てられたことにショックを受けてしまいまして、お怪我はございませんが、気を失ってしまいまして。彼女もいま王宮の寝室にて休んでいただいております。」

 横で真っ青な顔をして言葉を失っているパオロにジェローム王は落ち着いた声で話しかけました。

 「パオロ殿。こういう事態だ。しばらくは共同戦線を張るしかなさそうだな。」


*****


 『イスラム側から先制攻撃が開始されたなら、すぐにでもジェローム王の身柄を確保し、安全な場所に幽閉した上で、ヴェネツィア海軍が応戦せよ。キプロス島防衛を死守し、敵の撤退を確認したら、できるだけ早くサンマルコ共和国の自治領をしてキプロス王から委譲を受けたという協定を調印せよ。キプロス王が調印を拒否する場合は処刑もやむなし。』

 このようなヴェネツィア政府からの密命を受けているパオロと海軍提督でしたが、ジェローム王からの共闘申し入れを受け入れたのでした。


 というのも、スルタンの側近が謀った王宮内での襲撃は、表だった明確な軍事行動とは言えない上に、スルタンの本隊規模が不明で、キプロス王側の協力を得ないとヴェネツィア海軍単独での勝機が見えなかったこと。そしてジェロームから直接

 「今回の王宮の襲撃は、スルタンの意図とは反した、先走った行動と思われる。私はあの側近と共倒れするつもりはない。」

と宣言されたからです。

 急遽王宮でジェローム王、ヴェネツィア海軍提督、商館長パオロの三人で情報共有と善後策を話し合うことになりましたが、主に海軍提督とジェローム王の間で話し合いが進められていきました。


 「明らかに、今回の襲撃はスルタンの側近が勝手に計画したこと。私に警告する意味で襲撃させたのでしょう。あわよくば、近い将来自分が私の後釜としてキプロス王の位置に座るという目論見もあるのだろうが、スルタン自身は現段階で下手に貴国を刺激する事態にすることは望んでいない。現スルタンは理想主義者で自分の理想を躊躇なく実行に移すだけの権力は持っているが、同じ過ちを犯すほど愚かではない。準備不足のウィーン包囲失敗と同じ轍を踏むつもりはないはずだ。今回は現状視察ということで側近を派遣してきただけだ。」

 「しかし、スルタンの本隊が向かってきているという確実な情報もある。」

 「本隊のほんの一部だろう。スルタンは部下の誰か一人だけに何かを任せたり、一人だけを全面的に信じるような人間ではない。つねに部下同士をお互い監視・牽制させるような人事をする。あの側近はほとんど兵力を伴ってきてはいないのは、勝手な軍事行動に走らないよう、スルタンが許さなかったと推察する。帝国内部も決して一枚岩ではないことは、貴国もご理解されているでしょう。」

 「我々と共闘ということは、あなたは、イスラム教徒なのに、スルタンの軍と戦えるのですか?」

 「戦闘が始まっても、静観するという意味だ。もちろん後方支援は約束しよう。島民を危険に晒す軍隊など、どこのものだろうと、いち早く追い出したいだけだ。」

 「なるほど。物資の補給を期待してよいというわけですね。」

 「籠城戦になったら、お互い根比べになるが、制圧に時間がかかりそうだとなると、スルタンはある程度で軍を引き上げるとみている。追加支援部隊は送らないだろう。とりあえず王宮で籠城の準備は整えておく。」

 「分かりました。王宮周辺の警備については、どのような状況でしょうか。場合によってはこちらの手の者を一部常駐することも可能ですが。」

 海軍提督とジェローム王は同じ実務家肌同士だからなのか、初対面でも気があったようで、話は円滑に進みました。


 王宮での三人の密談が終わると、ジェロームはすぐ副官が寝かされている部屋に早足に去ってしまったので、パオロは提督に「少しご相談が」とささやきました。

 「何でしょうか? すぐにでも臨戦態勢をひかないと。」

 「時間が切迫していることは承知しております。だからこそ、すぐにでも妻をヴェネツィアに脱出させる船を用意していただきたいのですが・・。」

 この要求に、パオロの父ほどの年齢の提督はすこし呆れた顔をして答えました。

 「商館長殿、どういう非常事態なのかおわかりか。まもなく敵の戦団がやってくるのですよ。今は我が国の船であれば、商船もすべて補給艦として戦闘体制に組み入れなければならない状況です。ましてや貴重な軍船を戦線から離脱させるなど、出来るわけありません。ではこれで、準備がありますので。」


 明確な態度でパオロの要求を拒否した提督に言い返すことも懇願することも出来ず、パオロは自分の無力さに打ちひしがれたまま、カテリーナが休んでいるという王宮内の部屋へ向かいました。部屋に入ると、まだ血だらけの服のままカテリーナの脈をとっていたマルクが、驚いた顔をしてパオロに声をかけました。

 「商館長殿、どうなされました。お顔が真っ青です。奥様はもう大丈夫ですよ。今はお疲れからか、眠っておられるだけですので、ご安心ください。」

 「マルク殿、本当に感謝している。こんなことになるなんて・・・」

 「いえ、どこであろうと誰であろうと、怪我人や病人がいたら我々は全力を尽くすまでですよ。」

 「あなたとジュリオ殿がいらっしゃらなかったら、副官殿が助からなかったら、キプロス王との関係も破綻していたかもしれない。」

 「礼なら、私ではなくジュリオにお願いします。彼の外科医としての技量は卓越している。見事な処置でした。今もまだ副官殿につききりで、様子を見ていますよ。」


 すやすやと眠っているカテリーナの頬を起こさないように優しく撫でたあと、パオロは力のない足取りで、副官の休んでいる部屋へと向かいながら、パオロは大きな挫折感に苛まれていたのでした。

 -このまま戦闘が始まったら、どれだけフォスカリ家のご家族は心配されるだろう? フェデリコ伯父も十二人委員会の連中も、いざというときはカテリーナを脱出させると約束してくれたじゃないか。ああ、戦を経験したことのない自分は、修羅場を何度もくぐり抜けてきたジェローム王や提督に比べれば、こんなときにはなんて無力なんだ。大切な人も守れず、ジュリオやマルクのように、負傷者を助けることもできない。私のここでの存在意義は何なのだろう・・・。-


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