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再会前夜

第50章

 「パドヴァ大学併設の病院建設のために、ジュリオ・ベレッツァ殿が来週、キプロス王宮の薬草園に視察にくるのだそうだ。しばらくキプロスに滞在することになっている。もちろん大学のほかの関係者と数名でいらっしゃるとのことだ。本来なら客人としてこの館の客間に泊まっていただくのが筋なのだが、カテリーナ、君が気になるようなら、商館のほうに部屋を用意して滞在していただくこともできるのだが・・・。」


 パオロの言葉に、一瞬はっとして動揺したカテリーナでしたが、すぐ冷静を装って答えました。

 「大丈夫です。お客人としてきちんとお迎えいたしますわ。よろしければ私も薬草園をご案内するのに同行もいたしましょうか? 」

 「そうしてもらえるのなら、助かるよ。私はしばらくの間、湾岸の補修工事の現場で指揮をとらなくてはならないので。ただ、本当にいいのかい?」

 「ええ、私は商館長の妻として、きちんと接待役をこなさなければいけない立場ですもの。あなたの渉外活動のお手伝いが少しでも出来れば本望ですわ。」

 「それは頼もしいな。ただかなり学術的な実地調査だそうだから、一通り案内したら、先に帰ったほうが良いかもしれない。彼らの活動の邪魔になってはかえって迷惑だろうし。」

 「わかりました。」


 つとめて冷静を保とうとしているものの、あきらかに指先が震えているカテリーナの様子を見て、パオロは突然それまで感じたことのない嫉妬心が湧き上がってきました。カテリーナと結婚したことは、あくまで国家の利益という目的の手段であり、カテリーナに対しては『大切な駒として丁重に扱わなくては』と思っていました。けれど、一緒にキプロスで過ごすうちに、幼い頃からは想像できなかった彼女の大人の女性としての色香もちろん、生来の明るさと快活さ、自分を信頼し尽くしてくれる態度に愛情が芽生えないわけはありません。

 もちろんパオロはジュリオの存在と彼女との関係は知っていましたが、あくまで状況把握のための情報として知らされただけで、そこにパオロの個人的な感情はありませんでした。それがいまは『ジュリオとカテリーナが一緒にいる時間を少しでも短くしたい』と思うようになってしまったのです。


 一方、パオロから意外な打診を受けたカテリーナは、動揺のせいか、つい妊娠の可能性について打ち明けるきっかけを失ってしまいました。ジュリオの名前をパオロの口から聞いて、ひどく動揺してしまった自分自身に驚いてしまったのです。


 その晩、珍しく強引にカテリーナを抱こうとしたパオロに、「熱っぽく体調がだるいので」と初めて夫婦の営みを拒否してしまったカテリーナ。

 「気候のせいかな。知らないうちに疲れが溜まってしまったのかもしれないね。明日、私の侍医に診てもらえるように頼んでおくよ。」

 そういつものように優しい言葉をカテリーナにかけつつも、パオロは猛烈な嫉妬心に耐えていました。

 結局、ジュリオたち一行の滞在先はパオロの館ではなく商館内の客室となり、パオロの意向でカテリーナはジュリオ一行とは王宮で落ち合ってジェローム王に挨拶し、薬草園に案内する、という手筈になったのです。


****


 すっかりマルクと相棒のような間柄になったジュリオは、キプロス行きの船の中でジェローム王についての話で盛り上がっていました。


 「改宗イスラム教徒とは聞いていたけれど、ジェノヴァの出身なのか。」

 ジェローム王と知己の間柄と聞き、マルクはジュリオの話に興味津々でした。


 「ああ、船乗りとして乗っていた船をムスリムに襲われて、奴隷の身となってから、たまたま海上事故で主人に命を救って取り立てられたとはいえ、幸運だけではない才能があったに違いないな。」

 「そうだね。キプロス王として何十年もの間、善政を維持しつつ、外国との商取引もスルタンとも良好な関係を維持するなんて、知識と教養がないと出来ることじゃないよ。ジェノヴァで結構大きな商いをしていた家の出だとか。いや、その場合なら奴隷として捉えられても、身代金を払って解放されるのが普通だよな。」

 「そうだね。その辺のことまではさすがにわからないが。ただ、ジュリエット様の情報によると、どうもマリアンヌ様とも深い繋がりがあるらしい。」

 「ん? あの初代薬師院院長の? そもそもなぜヴァイツァー家の奥方が関係しているんだ?」

 「これは、もう時効といっていいのかな。ただ公式発表とは異なる事実だから、口外しないほうが身のためだと思って聞くだけにしてくれ。ジュリエット様は昔、サンマルコ共和国の養女というお立場で、キプロス王のもとにお輿入れしたんだ。」

 「え!? 何だって? イスラム教徒と結婚なんて教会は認めないだろう? サンマルコ共和国の養女って何だ? どういう政略結婚なんだ? いやそもそも正式の婚姻って言えるのか?」

 「私も当時の事情まで理解しているわけではないんだが、とてもお若い頃、形式的に。ジュリエット様は高位のヴェネツィア貴族のご落胤だったらしい。まあ政治的に利用されたんだろうな。ただ、幼い頃からジュリエット様の後見人のようなお立場で、母親のように教え導いていたのが、マリアンヌ様だったのだとか。」

 「いろいろツッコミどころが一杯だが・・・つまりヴァイツァー家の奥方は、初代院長のような薬草の知識をお持ちだったのか。」

 「これから視察する薬草園は、ジュリエット様のために、当時の夫であるキプロス王がわざわざ用意させたものが始まりなんだよ。彼は異国の地からやってきた幼妻に、ある意味深い愛情を持っていたということだな。」

 「そうか。だからヴァイツァー家の奥方からの手紙ひとつで、ヴェネツィア政府が迅速に視察の準備を整えてくれたということか。」

 「ジュリエット様がどういう事情でキプロスから戻ってきたのかは知らないが、その後もヴェネツィア政府はキプロス王国と良好な関係が維持されてきたから、何らかの合意があったんだろうな。まあイスラム教徒との婚姻は教会に認められたものではないから、解消になって改めてヴァイツァー家に嫁入りということになったのだと思う。」

 「なるほどね。で、マリアンヌ院長とは、どういうつながりなんだ?」

 「キプロス王がまだイスラム教に改宗する前の若い頃からの知り合いらしい。大けがをしてしまったときに治療をしてもらったそうなんだ。命の恩人だと言っていた。」

 「え? マリアンヌ院長は医者じゃなかったよな。薬草学の知識だけで治療できたのか?」

 「手術するような怪我でないが、大量出血するような大きな切り傷だったんじゃないかな。これは単なる憶測なんだが、お二人は・・・」

 「ん?」

 「いや、やめておこう。いずれにせよ、ジュリエット様のおかげで、我々は薬草園をじっくり見ることができるわけだ。ジュリエット様がいなくなってからもきちんと管理してくださっていたとはね。」

 「パドヴァとは気候が違うとは思うが、効率的な育成や管理の方法なども詳しく聞ければありがたいな。」

 「薬草園で薬草を調達できるようになれば、この間のような疫病で港を閉鎖するようなことになっても、ある程度の期間は治療を継続することができるようになる。この試みが上手くいけば、きっとナポリやモンペリエのほか、各地で研究と施術治療と投薬を兼ね備えた施設が増えるだろう。我々が試金石となって、絶対に成し遂げなければ。」


 そう熱く語るジュリオの姿を見て、マルクは「きっと彼女のことはもう吹っ切れたのだな」と思ったのでした。

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