弟と兄
第15章
エドモンもフィリップもリッカルドも、おそらくカルロスもひとまず満足できる法王選出になったと安心した矢先、フィリップとエドモンは、新法王の私室に呼ばれました。
「少し相談に乗っていただきたいそうでございます」
という伝言に、ヴァティカン内に味方の少ない外国人法王が、親戚という身内意識から、自分たちを仲間に引き入れておきたいということだろうと思った二人でしたが、実際の法王の“相談”内容は、二人の予想と全く違うものだったのです。
「さあ、ここではお互い名前で呼び合おうではないか。私たちは親戚同士なのだから。」
という法王呼びかけで始まった会話は、そのうちかなり「法王らしからぬ」打ち明け話へと進んでいきました。
要するに、今回のコンクラーベで、新法王は、かなりの負債をメディチに負ったこと。その返済のために、教皇領を拡大して、侵略によって財産を没収し、さらに獲得した領地での租税で収入を上げなければ、返済の目処がたたないこと。そのため、エドモンは早速、軍を率いて、後継者争いをしている法王派の領主国家に介入し、「紛争を平和裡に解決するために、時期領主が決まるまで法王直轄地とする」という取り決めを軍事行動で相手に公約させてしてくることを要求されたのです。
法王の話を聞きながら、フィリップは、だんだん心配になってきました。フランソワの後継者は、一応はジャンカルロではあったのですが、今は皇帝の領地内に住んでいるため、後継者不在といえば不在といえなくもありません。それに、つい最近まで法王派の領主国家でした。
「本当は、皇帝派の領地にも進出したいところだが、下手に皇帝を刺激して、南下させる口実を与えるわけにはいかないからな。安心しなさい、フィリップ。君のお父上の領地のことは、今のところ考えてない。」
しかし親戚だといいながら、借金の返済のためには、どんなことでもしかねない法王の言動に、エドモンもフィリップも言い知れぬ不安を感じ始めました。直接フランソワに警告したところで、聞こうとしないだろうし、領主が逃げ出すわけにはいかない。エレノアだけには伝えて、どこか安全なところに避難してほしいが、伝えたところで、彼女はどうすることもできず、心配させるだけ。そこで、二人はジャンカルロに手紙を出すことにしました。エレノアをそちらに招待してほしいと。ちょうど絶好の理由もあったのです。ソフィーが、第一子を妊娠したという知らせが届いたばかりでした。
「ソフィー殿が、産後の肥立ちがわるく、あまり体調が思わしくなく、ジャンカルロは心配していた。そのお見舞いとお祝いということであれば、フランソワも拒否はできないでしょう。もちろん何か不穏な動きがあれば、すぐにお知らせします。」
そう言うフィリップに、エドモンも安心し、出征準備に取り掛かることができたのでした。
カルロスにも状況連絡をしたいフィリップでしたが、いまや反法王党という感じのナポリや、前法王の甥などの手下が、エドモンやフィリップの一挙一動を見張っているかと思うと、証拠が残ってしまう手紙は、危険すぎました。いまや安全な情報伝達はリッカルドを通じて連絡するしか方法がなかったのです。真夜中、フィリップの居室にひそかにエドモンとリッカルドが集まりました。最初はなかなか計画を話し出せないエドモンにリッカルドは明言します。
「我々の国には領土欲というものは、ほとんどありません。我々が欲しいのは、市民の食料確保と、安全な航路だけです。そのために、どこの国であろうと治安維持を望んでいます。商売ができるとなれば、トルコとも付き合う私たちですよ。さあ、私にできることをおっしゃってください。」
三人の話合いは明け方近くまで続いたのでした。
出陣は来週の木曜日と決まりました。エドモンは、法王勅書という形で、事前に、後継者争いをしている領主たちに連絡し、恭順の意あらば、軍隊は城内に入れないことを宣言しました。不要な争いは、できるだけ避けたかったのです。3通出した勅書のうち、1通からは、領主となっていた傭兵隊長あがりの僭主を追い出した市民代表から、教皇領としての恭順の意を表してきました。
「実地検分しないとわからないが、ここはまず問題ないだろう。」
しかし残りの二都市からは、干渉無用との返事が届きました。エドモンは実戦の準備と覚悟をしなければなりません。傭兵隊長時代のように、万全の準備を整えたエドモンでしたが、なぜか今までになく、憂鬱に、不安な気持ち駆られるのでした。
最初の遠征地は、アドリア海から内陸に少し入った、丘の上の都市国家でした。相手は籠城戦に持ち込むつもりのようだと見たエドモンは、城を包囲し、まずは相手の食料補給路を絶つことに専念しました。城の中の食料が尽きて、降参してくるのを待つのです。市街戦は最後の選択でした。戦闘だけがすべてではありません。それどころか、できるだけ味方の兵を傷つけないで、相手からの有利な条件を引き出せるか、優秀な傭兵隊長に求められることだったのです。
相手側も、それはわかっているようで、たまに小競り合いや、大砲が気晴らしのように2、3発撃たれるくらいで、お互いの出方を見極める状態が3週間ほど続きました。あと2、3週間もすれば、条件交渉に入れるだろうと考えていたエドモンに、法王がいらだちを感じ始め、「何をぐずぐずしている!すぐに戦闘を開始し、城を攻め落とせ」との命令がヴァティカンから飛んできました。
「本当の戦争を知らないくせに、騎士道精神を妙に尊重するフランス人はこれだから」
と内心エドモンは思いつつ、法王をなだめるために、返事を書きます。
「法王様、まもなくこの城と国は教皇領となる栄誉を受けるでしょう。私にとっては、ほんの数週間の時間を節約するより、できるだけ損害を与えずに、法王様に進呈したいと考えております。戦闘による耕作地の疲弊、農民の減少、財産の担保価値下落を避け、より完全な形でお渡しするためにも、今しばらくお待ちくださいますよう。」
法王に手紙を出した翌週には、エドモンは予想どおり和平交渉の席についていました。ここは典型的な僭主による都市国家で、老齢の領主の腹違いの息子二人による後継者争いのお家騒動を繰り広げられていたのですが、この籠城戦で食料も底をつき、嫌気がさした領民が、息子二人とも捕らえて、城門の鍵とともにエドモンに差し出したのです。都市の城門の鍵も差し出すように求めるエドモンに領民の代表は、共和国としての自治を認めてほしいという条件をつけたのですが、エドモンはそれを認め、税率交渉を腹心の部下の一人に任せ、その後の治安部隊を残して、ひとまず捕虜を二人連れ、ヴァティカンに戻りました。
このエドモンの遠征の話は、エレノアがジャンカルロのもとに旅立って一週間ほどだってから、フランソワの耳にも入りました。そして、フランソワは自分が一人騙されたと思い込んでしまったのです。
「エレノアもフィリップもジャンカルロも、私を見捨てようとしている! 私に後継者ができないせいで。我が領土は、エドモンに、法王領として没収されてしまう!」
フィリップの配下の兵力では、とても教会軍に太刀打ちできないと考えたフランソワは、急ぎ皇帝あてに援軍を要請しました。しかし、ヴェネツィアを通じて、法王軍の遠征予定地と意図を把握していた皇帝は、今は下手に法王を刺激するのは得策でないと考え、フランソワからの要望を退け、「今しばらく様子を静観されてはどうか。」と回答しました。これを、フランソワは、皇帝からの最後通牒だと受け取ってしまったのです。フランソワは、こんなことなら法王派のままでいればよかったと後悔したのですが、そもそも法王派のままだったら、今回の遠征地のひとつに真っ先にあげられていたでしょう。
エドモンは戦勝報告のためヴァティカンに一週間ほど滞在したあと、再び、次の遠征地に向かいました。ここは事前に市民が恭順の意を示した都市だったため、ひととおり巡察したあと、市民代表と面談し、何の戦闘もなく城門の鍵を渡され、教皇の直轄地となりました。エドモンはそのまま、最後の遠征地へと向かったのです。最後の遠征地へ向かう途中で、最初の遠征地に残してきた治安部隊の兵と合流する予定だったのですが、たまたま、その合流地点が、フランソワの領地に近かったことが、フランソワの疑念に火をつける結果となってしまいました。
兵隊が続々集まっているとの部下の報告に、フランソワの心は決まりました。夕闇にまぎれ、エドモンの本隊より先に到着した治安部隊に、突然戦闘を仕掛けてきたのです。兵隊の数は五分と五分でしたが、予期せぬ襲撃に、当然エドモンの治安部隊は、統制を失ってしまいます。フランソワは、ここで一気に決着をつけなくてはと焦り始めたところへ、エドモンの本隊が到着したのでした。エドモンは斥候からの報告で、味方が苦戦していると聞き、先陣を切って、戦闘場所に乗り込んできました。すでに日は傾き、相手の顔もよくわからぬまま白兵戦となり、徐々に教会軍が優勢となりはじめます。エドモンが味方の隊列を整えようとしたとき、大きな声で名を呼ばれました。フランソワでした。彼は、もはやこれまでと思い、最後に一対一の勝負を申し込んできたのです。エドモンにとっては無意味この上ない愚挙でした。
「フランソワ! 兄上! なぜこんな真似を! 兄上の領地には足を踏み込むつもりはなかったのに!」
「エドモン、いまさら見え透いた嘘を、ぬけぬけと。私は騙されないぞ。エレノアに騙されても、貴様には騙されない。」
「フランソワ、あなたを騙してはいない! お疑いならフィリップに聞いてください! ジャンカルロでもいい」
「ふざけるな! 二人ともお前の子ではないか!」
その一言で一瞬硬直して動けなくなったエドモンに、フランソワは一太刀浴びせたのでした。落馬するエドモン。しかし、フランソワはとどめを刺すことができず、馬から降り、傷ついたエドモンを見つめたまま、立ち尽くすのでした。
「やはりお前を殺すしかなかったのかな、エドモン。君が、私以上に、エレノアを愛したからいけないのだ。エレノアが君を愛したからいけないのだ。。。」
そういい終わるか終わらないうちに、エドモンの部下に刺されて、フランソワは地面に崩れ落ちました。