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キプロスでの穏やかな日々

第49章

 夏の終わりの残暑のなか、予定よりも少し早くカテリーナはパオロとともにキプロスへと旅立ちました。定期航路となっている海路は快適な船旅で、特に何のトラブルもなく二人を乗せたガレー船は予定通りにキプロス島のサンマルコ共和国専用の港に到着しました。そこにはジェローム王の“左腕”の副官が待っており、歓迎の意を表するためにぜひ明日の昼に王宮へお越し頂きたい、とのキプロス王からのメッセージを受け取ったのです。


 「カテリーナ、君が船旅に疲れていないようなら、ご招待をお受けしてよいかな?」

 「もちろんです、パオロ。喜んでお伺いしたいと存じます。できれば、ジュリエット様の薬草園も拝見できれば嬉しいわ。」

 「そうお伝えしよう。君もジェローム王とは面識があるのだったね。きっとリュートの演奏を所望されるだろうから、持っていった方がいいだろう。」

 

 ジェローム王とパオロ、カテリーナ3人の昼食後、カテリーナの希望通りにジュリエットの薬草園に案内され、美しさに感動するカテリーナ。薬草園の一番見晴らしのよいところに四阿があり、そこでジェローム王に所望され、カテリーナはリュートの演奏をはじめました。

 小品を二曲ほど演奏したところで、パオロがジェローム王に「これが、最後のクリームだとマリアンヌ様から託されました。」と美しいエナメル装飾が施された立派なヴェネツィアン・ガラスの容器を渡しました。蓋を開けると、ふわりとラベンダーの良い香りがあたりに広がります。

 「パオロ殿、聞かせてくれないかな、マリアンヌと最後に会ったときの様子を」

 「マリアンヌ様は幼い頃からお世話になっておりましたが、最後にお会いしたときも、昔のご記憶も確かで、想い出話をすると同時に、私の将来を案じてくださいました。」

 カテリーナは、パオロの話に邪魔にならないように、静かな調べを奏で始めました。ジェロームはパオロの目をじっと見つめながら、ときおり相槌を打ちながら、話を聞き入っています。


 パオロの話が一段落すると、ジェローム王は手にした器のクリームを少しだけ手の甲につけ、しばらくその香りを楽しむかのように目を閉じたあと、パオロに問いかけました。

 「ありがとう、パオロ殿。話を聞けて良かった。ところで少しだけ仕事の話をしてもよいだろうか。」

 「はい。もちろんです。カテリーナ、申し訳ないけれど・・・。」

 察したカテリーナはリュ-トを傍らのベンチに置きながら

 「私は、しばらくの間、薬草園内を散策してまいりますわ。」と言って立ち上がり、その場を離れました。


 「パオロ殿、聡明なあなただ、こちらに戻ってきてにわかに感じたであろう。今はまだ平安だが、ここキプロスも緊張度が高まってきている。あのウィーン包囲から撤退してからも、スルタンは好戦的な態度を崩していない。」

 「ここはあなた様が見事な治世を敷かれているではありませんか。」

 「しかし未だに私の出自を問題視する側近がスルタンの周りにはいるのだよ。」

 「・・・・・ここキプロスの後継者はどなたをお考えで?」

 「単刀直入だな。まあ、当然の関心事だろうが。私の血縁者ではないことは確かだな。息子は二人いたが、幼いうちに天に召された。私はご存じの通り両親は若い内に失い、親族とは絶縁し、単身でこの世界に飛び込んできた。」

 「ということは、部下のどなたか、というお考えで?」

 「ふふ、私一人で決められるのであれば、貴国も苦労しないな。」

 「我々は、安定的な商取引が継続できることを望んでいるだけです。」

 「そのためには、交渉相手が私のような現実主義者でないと貴国は困るのだろう?」

 「ええ、理想主義者や、絶対的な権力者は、妥協という言葉をご存じないので。」

 「そなたも若いのに、難しい任務を任されたのだな。」

 「私は駒のひとつに過ぎません。こちらでの滞在経験から選ばれただけでしょう。私自身、ここの気候は本当に過ごしやすいですし、妻もここの穏やかな気候をとても喜んでいるようです。できるだけ長くここで暮らしたいと言っておりました。」


 そう言いながら、パオロの頭の中にあったのは、ヴェネツィア出国前に十二人委員会から出された密命。それは『現キプロス王にもしものことがあったら、イスラム側の干渉が入る前にただちに島全体を制圧し、サンマルコ共和国領と宣言して総督として治安維持を確保せよ』

というものでした。

 「そのための軍事力はすでに整いつつある。海軍の半分の船がすでにキプロスの港に停泊している。」

 「それは、すでにキプロス王もお気づきでしょう。まだお元気な王がどう思われているか・・・。」

 「ご存命中は、最大限の友好関係を維持しなければ。そのためには王とは知己である奥方も利用し、ジェローム王を安心させるため、社交の場にできるだけ同席させてほしい。たとえ人質としてとらわれる危険性があったとしても。」

 「それは・・・」

 「キプロス島がスルタンの直轄領になることだけは何としても避けなければならない。コンスタンチノープルの二の舞だけは何があっても阻止しなければ。そのためには、キプロス王を捉えて幽閉することも厭わないと心得よ」

 この元首とパオロとの会話は、パオロがマリアンヌと最後にあった日の前日に交わされたものでした。



 薬草園を一回りしたカテリ-ナは、その素晴らしさに興奮したのか、戻ってくるなり、ジェローム王に思わず大胆お願いをしてしまいました。

 「お許しいただければ、私、ここで作曲をしたくなりました。ジュリエット様から伺っておりましたが、本当に美しいところですね。まるで心が洗われるようで。それに薬草の香りに、心も体も癒やされます。」 

 「それは良かった。今では私もとても気に入っている場所だ。パオロ殿を通して申し入れていただければ、私がいないときでも入れるように手配しておく。」

 「え? 本当によろしいのですか? ありがとうございます。」


 それから秋の間、カテリーナは心穏やかに過ごしました。夫パオロは朝から晩まで仕事で忙しくしていましたが、必ず夜には戻って一緒に食事をし、新しい環境にカテリーナができるだけ早くなじめるようにと、いろいろと気遣ってくれました。もちろんカテリーナが王宮の薬草園に週1,2回出かけたいという希望も毎回すぐに叶えてくれ、夫婦生活は順調満帆そのものだったのです。


 そしてその年の秋の終わり、そろそろキプロスにも雨期がこようかというころ、カテリーナはもしかしたら子どもを宿したかもしれないと気がついたのです。

 医師の診察を受けようかどうか、パオロに相談しようとある日の晩餐後に寝室で話そうとしたところ、少しいつもと違う様子のパオロのほうから話を切り出されたのでした。

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