インテルメッツォ
第48章
ブレンダ運河沿い、マリアンヌが住んでいた館の客室にて
「カテリーナ、眠ってしまった? ああ、初めてだったよね。無理させてしまったね。眠ったままでいいから、このまま聞いてくれるかな。
私の母はね、カテリーナ。落ちぶれた没落貴族の娘だったため、バルバリーゴ家本家当主の後妻として正式に認めてもらえなかったが、自分は嫡子として正式に認めてもらい、兄たちと分け隔て無く教育を受けさせてもらった。そのことを母から何度もバルバリーゴ家に感謝するようにと諭されてきた。そしてバルバリーゴ家の恩義に報いるために、一生尽くしなさいと言われて育った。
私自身も本来なら庶出として、ゴンドラの一船乗りとして生きていかなくてはならないところだったのに、この国一番のよい生活と最高の教育を受けさせてもらって、常にバルバリーゴ家の恥にならないように、認められるように研鑽を積んできたつもりだ。何より、父に褒められる私の姿を見るといつも、母はとても喜んでくれたんだ。
そんな母は、まだ私が幼い頃に病でなくなってしまったんだ。母は肺の病気になってからバルバリーゴ家にツテで薬師院にずっと入院させてもらい、治療を続けていた。薬師院のマリアンヌ院長は、私を小さい頃からかわいがってくれて、祖母のような存在だったんだ。
母の病気はうつる可能性があるといわれていて、見舞いに行っても長く会話することができなかった。具合が悪いときは母のいる部屋に入らせてもらえない時もあった。ただ咳き込む声を聞くだけのこともあった。そんなときはマリアンヌ様がずっと私の相手をしてくれた。一緒に食事してくれたりもしたよ。そんなときいつもマリアンヌは私のことを『若い頃のリッカルドにそっくりだわ。』と言って、彼の話をしてくれた。
リッカルド伯父は、私が1,2歳の頃に亡くなったから、記憶にはないんだ。ただ、とても優秀な外交官で、のちに元首にもなった人物だった。マリアンヌが話す彼の活躍はとても魅力的で、いつしか憧れの人となった。バルバリーゴ一族の誇りでもあった。そんな人に自分もなりたいと思った。
君のお爺さまとも深い交流があったそうだよ。小さい頃、お爺さまからキプロスでの冒険譚を聞いていたんだよね。君もいつの日かキプロスに行ってみたいと思わなかった? 僕と一緒にキプロスに行ってくれる言われたとき、とても嬉しかったんだよ。あの可愛いカテリーナが、素敵な女性になって、僕の妻になってくれると知って、そして一緒にキプロスで暮らしてくれるなんて。
ごめんね、カテリーナ。これから僕は君を利用するよ。バルバリーゴ家のために、国家のために。両親の庇護から離れて、君はこれからきっと苦しい目にあうだろう。でもこの国のためなんだ。リッカルド伯父もしてきたことなんだよ。わかってくれるね。」
*****
キプロス王宮のジェローム王の執務室にて
「殿下、お呼びでしょうか?」
「ああ、サンマルコ共和国の商館長が交代するらしいとの情報、その後何か分かったか?」
「はい、新任となる人物調査を進めようとしておりますが、すでに殿下がよくご存じのかたのようで、以前赴任されていたパオロ・バルバリーゴである可能性が濃厚です。」
「パオロが? 急に帰国となったのは、その布石だったのか。」
「殿下とも親しくされていましたし、両国の友好関係を今後とも維持したいということかと。」
「・・・・異例な人選だな。パオロは20代で、まだ独身だったはずだな」
「それが、どうもご婚約されたようで。赴任の際は新妻同伴のようです。」
「そうか、見合い相手はあのフォスカリ家の娘だったな。ふふ、ジュリオは残念だったようだな。」
「はい、お相手はマリオ・フォスカリ殿の孫娘のご令嬢のようです。」
「若い夫婦なら、ここで子どもを産むつもりなのだろうか?」
「何か気になることがございますか?」
「あの国のことだ。何の目的もなく、異例なことを行うはずはない。ヴェネツィア専用港に停泊している船の数に特に注意しておいてくれ。」
「かしこまりました。」
*****
シチリアのベレッツァ家の居間にて
「ルカ、来月はじめにジュリオが一時帰国する。そのとき、そなたに聞きたいことがあるそうだ。ナポリのマルガリータ叔母のところに行く用事だが、少し時期をずらせられないか?」
「ジュリオ兄さんが? 私に何を聞きたいのでしょう? わかりました、ナポリへは来週早々に行って、来月までには戻るようにしますよ。」
「ああ。できるならそうしてくれ。マルガリータのことだ、どうせまた見合い話か何かだろう?」
「兄さんがぐずぐずしているから、私にとばっちりが来たんですよ。」
「サルヴァトーレに渡す荷物もそれまでに用意しておくから。ドゥッティ家に皆さんにもよろしく挨拶しておいてくれ。」
「わかりました。そうだ、父上、よろしければナポリに行く際に、少し資金援助していただけませんか?」
「ん?何に使うんだ? 向こうではドゥッティ家が衣食住を用意してくれるはずだが。」
「いえ、お見合いとなったら、少しは良い格好もしたいし、相手へのプレゼントが必要になるかもしれません。それにお世話になるマルガリータ叔母に、何かお礼の品をお渡ししたいのです。」
「おまえにしては珍しく見合い話に前向きなんだな。わかった、餞別も用意しておこう。」
*****
ザルツブルグ郊外、ヴァイツァー家の夏の別荘にて
「ジュリエット様、お加減はいかがですか?」
「コンスタンツァ、あなたこそ、体調はどう? 安定期に入ったとはいえ、あまり食欲が持っていないようだけど。」
「あの、ステファンは何も知らないようなのですが、ロバート様から何かお聞きになっていらっしゃいませんか? フォスカリ家のカテリーナ様のこと・・・。」
「いえ、特には・・・」
「先ほど、私あてに荷物が届きまして。カテリーナ様のリュートの作品集の本です。」
「まあ、作品集を出したいというお話は伺っていたけれど、ついに完成したのですね。素晴らしいこと!」
「その作品集に手紙が同封されていまして。カテリーナ様はご婚約されたそうです。」
「まあ! ついにジュリオ殿と?」
「それが、私の知らない方でした。パオロ・バルバリーゴとおっしゃる方と。」
「え?」
「ジュリエット様もご存じない方なのですね。私がヴェネツィアを出立してから、しばらくお手紙をやりとりしていたのですが、ここのところ途絶えてしまっていて・・・。急に婚約したという知らせが来て・・」
「そうでしたか・・・。ジュリオ殿はベレッツァ家の嫡男、跡取りという立場でしたから、フォスカリ家に婿入りすることは、やはり難しかったのかもしれませんね。」
「でも、前にもらった手紙では、ジュリオ殿が正式にフォスカリ家に申し入れてくれて、そのための準備を始めてくれた、という話をカテリーナは私に書いてきてくれていたんです。それが突然・・・。」
「きっと何か深い事情があったのでしょう。」
「この夏には結婚式を挙げて、秋のはじめには、新郎の方とキプロスに行ってしまうそうです。」
「キプロス?」
「そして、あの、ジュリエット様あてにお手紙も同封されておりました。こちらです。申し訳ございません、すぐにお渡しすべきだったのに、ついカテリーナからの久しぶりのお手紙が嬉しくて、自分あての手紙を先に読んでしまったら、動揺してしまって。」
「お互い身重の身だから、結婚式には伺えないわね。私も今ここですぐカテリーナのお手紙を読んでみるわ。」




