カテリーナの手紙
第47章
葬儀ミサのあと教会の前庭に椅子が並べられ、故人を偲んでの演奏会がはじまりました。マリアンヌと交流の深かった人、リッカルドやマリアはすでに彼女より先に旅立ってしまっていたのですが、マリアンヌの弟子である薬草院の先生や、長年薬草院を後援していたバルバリーゴ家の本家当主、カテリーナの母マリアグラツィアたちが、彼女との思い出や偉業をサンドロの静かな演奏とともに語ったあと、参列者がそれぞれ静かに想い出に浸る間、カテリーナがリュートを独奏しました。
カテリーナが演奏に選んだのは、組曲『ザルツブルグの想い出』の中の1曲『ある貴婦人の物語』。マリアンヌの母の人生を想い創作した曲でした。そのもの悲しい、心を揺さぶる旋律に、ある者は涙を浮かべ、またある者は遠くを見つめながら、カテリーナの演奏に聴き入っていました。
アンコールの声に応えて、『シチリアーナ』を演奏するときには、すでに周囲の木々と運河は夕陽に照らされて、初夏の穏やかな心地よい風のなか、ただカテリーナの演奏だけが響いていたのです。
「カテリーナ、君の演奏を聴いて、とても心が癒やされたよ。これでマリアンヌ様を失った現実を受け入れることができた気がする。みんなそう感じたんじゃないかな。こんなに心が落ちついたのは久しぶりだ。ありがとう。」
帰りのゴンドラの中で、そうパオロから感謝され、幼い頃、パオロの褒められた事を思い出したカテリーナは、あのときの気持ちを思いだして思わず頬を染めてしまいました。
「良かったです。マリアンヌ様のご希望にお応えして、皆さんのお役にたてたのであれば・・。」
「うん。そうだね。弔うって、大切のことなんだね。生き残った人が前に進むために。」
「あなたにとって、マリアンヌ様は大切な存在だったのですね。」
「彼女は私の弱いところを丸ごと受け止めてくれる存在だった。私は小さいころから、ずっと虚勢を張って生きていたんだよ。母に厳しく言われてね。」
「え?」
「カテリーナ、今晩は僕とずっと一緒にいてくれないか? 話したいことがある。」
「それは・・・」
「本当は自分の弱さを話すことが怖かったけれど、君なら自分の弱さや悩みを話しても、包みこんでくれるような気がした。マリアンヌからは、君を巻き込むなと言われたけれど、
カテリーナ、君に支えて欲しいんだ。」
「パオロ・・・」
「形だけじゃない。君に本当に心からの妻になって欲しいんだ。」
こんなに弱々しい、甘えた様子のパオロに、最初は驚いたカテリーナでしたが、ある意味契約だと思っていた二人の繋がりが変わるかもしれない、という期待が胸に膨らみ、ジュリオへの手紙を書くことは後回しし、そのままパオロと一晩過ごしたのです。
*****
「そうだったのか。ジュリオ・・・」
作品集に同封されていたカテリーナからの手紙を読み終わった後、ジュリオは一言、愛していた女性が別の男と婚約してしまったことをマルクに告げました。
「そりゃ、辛いよな。俺だって身に覚えがないわけじゃない。うん、しばらく大学は休め。学長には体調不良とか過労とか、説明しておくよ。」
「いや、マルク。このままだと俺は駄目になる。もう計画は動き出したんだよ。もう責任があるし、その使命が自分にしかできないことなんだ。目の前のやるべきことを全力でやろう。そうでないと・・・。」
翌日からそれまで以上に精力的に活動を始めたジュリオ。傍目には以前のようにやる気に溢れているように見えるジュリオでしたが、ただ、今までのような天性の陽気さや人懐っこさを失っていることに気がついていたのは、マルクだけでした。
カテリーナからの手紙を読んで、ジュリオは吹っ切れたのでしょう。ジュリオはもう挽回のチャンスはないのだと分かったのです。すでにカテリーナの気持ちが、完全に切り替わってきることをいやでも感じました。自分も変わらなければならないと、覚悟したのでした。
その手紙には、まずは作品集の完成の報告と、ジュリオへの心からのお礼の言葉が連ねられていました。そして、カテリーナらしくはっきりと、彼女自身の言葉でベレッツァ家への懸念を述べていたのです。ルカのファビオ宛ての告発文についてジュリオは全く預かり知らぬことだったので、ジュリオも動揺し、ルカが心を病んでしまっているのではないかと心配しているという文言には、彼女が本当に心を痛めていると感じられました。
そしてベレッツァ家のために、ジュリオが次期当主となるべきだと。パオロとの婚約自体は、父の決定だったが、自分はそれに従うべきだと判断したと。
さらに、父からパドヴァ大学付属の薬草園の計画を聞き、ジュリエット様に、どのようなものだったのかをジュリオ様に説明の手紙を送ってあげて欲しい、とお願いしたことも書かれてありました。
そして手紙の最後には、こうありました。
-実は先日、ジュリエット様の師匠であり母のような存在であられたマリアンヌ様が天に召されました。彼女の遺言で、私は葬儀ミサの後、参列者の皆様の前で彼女を送る演奏会を行いました。そこで、ジュリオ様、あなたのおかげで作ることのできた組曲『ザルツブルグの想い出』と『シチリアーナ』を演奏したのです。この経験は、私にとって、大きな転機となりました。
聞いてくださった方々がおっしゃっただけでなく、私自身が、これからも創作を、演奏活動を続けようと、心に誓ったのです。私が私であるために、どこに住もうと、誰と暮らそうと、作曲も演奏も続けていくことを。だから、あなたもジュリオ、あなたがあなたであるために、自分の信じた道を究めてほしい、と心から願い、応援しています。-