『リュートのための舞曲とアリア』
第46章
バルバリーゴ家とフォスカリ家両家の親族が立ち会う婚約式の前日の朝、カテリーナの作品集の初版本が完成したとの連絡がきたので、カテリーナはすぐにアルド社に一人向かったのでした。どうしても明日の婚約式で、師匠のサンドロに手渡したかったのです。
『リュートのための舞曲とアリア』
できあがった本の表紙を見て、カテリーナは誇らしい気持ちと安堵と達成感と、いろいろな感情で胸が一杯になりました。
「あら、作品集が出来たのね。」
初版本を8冊も抱えて屋敷に戻っていた娘の姿を見て、マリアグラツィアは声をかけました。
「はい、明日の婚約式に間に合って良かったです。サンドロ先生も、とても楽しみにされていたので。この最初の1冊はお父様お母様に」
そういって抱えていたうちの1冊をカテリーナが母に渡すと、「装丁も素晴らしいわ。さすがアルド社ね。」と言いながらマリアグラツィアは早速、頁をめくりました。するとそこに書かれていた献辞を目にしたのです。
「カテリーナ、あなた、もうお一人、必ずお渡ししなければならない大切な方がいらっしゃるでしょう?」
「そう・・・ですね。でもお父様が・・・」
「あなた自身の言葉でけじめをつけなければならないわ。これは相手に対する礼儀でもあるのよ。私もかつてあなたと同じ立場だったとき、お父様以外の候補者の方々にお手紙を書きました。これから先、そちらのご一家とのお付き合いが断絶するわけではないのだから。特にあなたの場合は、この作品集を仕上げるために、いろいろお世話になったでしょう?」
「ええ、でも・・・。」
「安心なさい、お父様はすでに、ジュリオ殿にあなたの婚約について直接ご報告してきてくれました。」
「え? そうだったのですか?」
「ええ。フォスカリ家の当主として、パドヴァ大学まで尋ねていらしたの。だからもうジュリオ殿はご存じよ。婚約式の後で良いから、大切な友人として、彼にお礼のお手紙を書きなさい。」
-そう、私がこの作品集『リュートのための舞曲とアリア』を完成できたのは、ジュリオのおかげだった。一人でアルド社を尋ねる勇気がなかった私に同行してくれて、作品数が足りないとの指摘に落ち込んだ私を励ますだけではなく、シチリアに招待して創作の機会を提供してくれて。そのおかげでザルツブルグでは演奏会という場を得ることもできた。もしジュリオがいなかったら、彼と出会わなかったなら、この本は存在しなかったわ。-
無事に婚約式を終えた翌日、キプロスへの渡航準備で忙しくなる前に手紙を書こうとしたカテリーナでしたが、どう書き出せばよいのかわらず、一日中悩んでいたところに、少し蒼い顔をしたパオロがやってきました。婚約式のあとしばらくの間、仕事の打ち合わせで会えないが我慢して欲しいと言われていたばかりだったカテリーナは驚いてどうしたのかと尋ねると、パオロは悲しそうに伝えました。
「マリアンヌ様が、天に召されたそうだ。」
すでに婚約していた二人は一緒にマリアンヌの葬儀に参列することになりました。ブレンダ運河沿いの教会に向かうゴンドラの中で、カテリーナは初めてパオロと二人きりでゆっくりと話す機会を得たのです。
「最後にお会いしたときは、まだお元気そうだったのに・・・。」
「ああ、そうだね。とても強い方だったから、弱っている様子を見せたくなかったのかもしれない・・。」
「ジュリエット様に、お知らせして良いのかしら。妊娠中でいらっしゃるから、弔問にいらっしゃることも難しいでしょうけれど、とてもショックを受けてしまわないか、心配だわ・・・。」
「そうだね、でもだからこそ、詳しくお伝えしてあげたほうが良いのじゃないかな。ジュリエット様はカテリーナ、あなたをとても信用されているのでしょう?」
「あの、もしかしてご存じなの? マリアンヌ様のお母様の手記のこと。」
「ああ、生前マリアンヌ様から聞いたよ。あなたが偶然ザルツブルグで見つけたマリアンヌ様の母上が書き残した記録のこと。」
「あの、パオロ、聞いてよいかしら? あなたのお仕事に関係するような、答えられない秘密なのでなければ・・・」
カテリーナはマリアンヌの館で思わず見てしまった、マリアンヌに甘えるパオロの姿をの理由が、どうしても気になってしまっていたのです。
「秘密? 何かな? 私とマリアンヌの関係が知りたいのかな?」
「あ、ごめんなさい。実は私、偶然あなたが、そのマリアンヌ様と親しげに話されている姿を見てしまって・・・。決して変なことを疑っているわけではないの。ただ、その・・・。」
「そうだね。もう君は私の婚約者だものね。知っておくべきかな。マリアンヌ様はね、私の母、というか・・・。」
「え!?」
「いや、母親がわりというか・・。血の繋がりはないんだよ。私はね、カテリーナ、サンドロたちとは異母兄弟なんだ。私は生まれてすぐバルバリーゴ家の嫡出子として父には認めてもらえたけれど、母は正妻という立場に最後までなれなかった。そして私が13歳になる前に・・・。マリアンヌ様は母と仲が良くてね、幼い頃から、私はいろいろとマリアンヌ様にお世話になっていたんだ。」
「そう・・・だったのね。」
「このことは、バルバリーゴ家も、ファビオ殿もご存じだけど、もしかしたらサンドロは知らないかもしれないな。」
「ごめんなさい。そんな辛いときに、余計なことを聞いてしまって。」
そこまで話したときに、ゴンドラは葬儀の行われる教会の前の船着き場に到着しました。
「いや、逆に話せてよかった。私を生んでくれた母のことは、帰りに話そう。さ、リュートは私が持つよ。」
"葬儀の後に参列者の前で、カテリーナの演奏とともに見送って欲しい”
というマリアンヌの遺言で、カテリーナはリュートを持ってきていたのです。