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カテリーナの決心

第44章

 『元老院の中の一部の議員たちが、パドヴァ大学での研究を兼ねた病院施設の設立案に大いなる関心を寄せている。現状と計画案の進捗状況について、できる限り早急に説明に来ていただけないだろうか。』

 ファビオから呼び出しの手紙を受け取ったのは、ちょうどジュリオがモンペリエの大学の医学部から来た同世代の若い研究者、マルクと話が盛り上がっていたときでした。


 「私の故郷では、バラなどの花を蒸留して香料を作っている。その蒸留技術でアルコールを蒸留したものを使うと、明らかに傷の治りが早かったり、傷口が化膿しにくかったりするんだ。怪我の治療だけではないよ、普段からそれで食物を置くテーブルなどを掃除すると、明らかに食物の腐敗が遅くなり、風邪などもうつりにくくなる。おそらく疫病にも有効なはずだ。」

 「なるほど、病室を清潔にするためにも利用できそうだね。外科手術の道具を清潔に保つだけではなく、疫病患者を扱う場所にぜひ試してみたいな。」

 「モンペリエでは手術の際にはナイフなどの器具を清潔に保つために使用するのはもう常識だよ。傷口が膿みにくくなる。清潔な状態を保つことは。必ず疫病の感染防止にも効果があるはずだ。ぜひ試してみたい。」


 この若い研究者マルクは南フランスのグラースという街の出身で、治療そのものよりも、日常から生活な環境を保つことこそが病気、特に疫病の感染を最小限に抑えるのだという考えを持っており、設立予定の病院では、ぜひ蒸留アルコールによる消毒の有効性について実践的に検証したいとジュリオも熱心に持ちかけていたのです。


 マルクとそんな会話を交わした翌日、さっそくジュリオがファビオが指定した元首宮の中に一室に行くと、何人かの元老院メンバーとおぼしき人々が待っていました。ファビオが簡単にジュリオを紹介し、挨拶もそこそこに計画の説明を求められました。

 ジュリオは、ここが病院設立の成否を分けると覚悟していていたので、プレゼン後、矢継ぎ早に飛ぶ質問にも1つ1つに丁寧に明確に分かりやすく答え、さらに昨日マルクから聞いた話も付け加えて、「サンマルコ共和国に有益であることは言を俟たないでしょう。」と話を締めくくりました。


 「ジュリオ、素晴らしいプレゼンだったよ。」

 「いえ、早速このような機会をいただけて、感謝いたします。」

 ジュリオを玄関まで見送りがてらファビオは満足げに話しかけてきました。

 「次回の元老院の議会での議案として取り上げられる予定だ。それに内々に元首から推進するようにというお達しが来ている。」

 「本当ですか!? ファビオ殿の実行力と影響力には感服いたしました。」

  実はこのとき集まっていたメンバーは全員十二人委員会のメンバーで、ジュリオが十二人委員会の委員を拝命する条件が、ジュリオの提案、パドヴァ大学内での医療施設の設立を推進することでした。元老院にかける議題をひそかに選定しているのは十二人委員会でしたが、ファビオの提案が検討事項の優先順位が一番となり、一気に話が進んだのです。


 「数日後には正式な結論が出ると思うが、今月中には予算が確保できるはずだ。」

 「そんなに早く?」

 「ああ、ジュリオ、君の提案は、元老院にとってまさに渡りに船の案だったようだよ。」

 「ありがとうございます! ファビオ殿のご尽力、心より感謝いたします。早速大学に戻って、学長に話をしておきます。それで、あの、今日カテリーナは・・・」

 「ああ、今日は出かけているんだ。ここ数日、毎日のように師匠のサンドロの音楽院に行っていたんだが、今日はサンドロと一緒にアルド社と面会の約束をとっているといっていた。」

 「あ、ついに作品集を?」

 「そのようだね、やっと全ての曲が完成したとかで、今、夢中のようだ。」

 

  結婚の約束として、お互い出版した本を交換するということに向けてカテリーナが頑張っているのだと確信したジュリオは

 「それは、邪魔してはいけませんね。今日のところは急いでパドヴァに戻り、仲間とすぐに具体的な準備を始めます! 今夜は祝杯を挙げますよ!。」

 と、その日はカテリーナとは会わずに帰っていったのでした。

 

 ジュリオが未来へ計画への希望を胸にパドヴァに戻っていたころ、カテリーナも期待に胸を膨らませてアルド社から屋敷に戻ってきました。

 -ああ、やっと作品集が出せる! サンドロも素晴らしいと太鼓判を押してくれた。これでももう、何も思い残すことはないわ。-


 父ファビオから、パオロのプロポーズを受けて欲しいと言われた晩、カテリーナは動揺することもなく、「覚悟する時が来た」という諦観の境地にありました。

 決してジュリオへの気持ちが薄れたわけではなかったのですが、数日前に父に送られたルカからのあの妙な告発の手紙を見せられてから、ジュリオとの結婚を諦めようという結論に思い至ってしまったのです。


 「お父様、このルカ殿からの手紙、これは一体どういうことなのでしょう?」

 「おまえとシチリアに滞在したとき、パオロはキプロスに赴任中だったから、キプロス王がその名を口にしてもおかしくはない。実際パオロは商館長の了承を得て、キプロス王が愛用していたマリアンヌ殿のクリームを個人的に手配してあげたりしていたそうだ。」

 「なぜわざわざ会ったこともないパオロ殿について、お父様にこんなことを伝えたのでしょうか?」

 「もしかして、ルカはそなたと結婚したかったのかな。一時、婿養子候補のようなことを匂わせてしまったが、パオロとの縁談話を聞いて嫉妬したのか?」


 コンスタンツァとルカの事件は墓場まで持っていく秘密だったので、カテリーナは少し困惑したものの

 「そんなそぶりは全く気がつきませんでした。あまり勝手な推測はすべきではないと思いますが、ルカ殿はちょっと心を病まれているのでは? わざわざお父様やフォスカリ家の人間が不快に思うような、しかも根拠のない思い込みの告発をなさるなんて。」

 「確かに。もともと少しひとりよがりなところはあったのだが。こんな誰のためにもならない愚かなことをわざわざ・・・。」

 「ベレッツァ家は大丈夫なのでしょうか? 次期当主がこれでは・・・。やはりジュリオ殿がベレッツァ家を継ぐべきなのでは・・・」

 「今はまだ、ジャコモ殿が健在だが、確かに簿記ができたところで、置かれた状況を客観視できないようでは、商いも、家政を上手く取り仕切ることも難しいだろうな。人との付き合いも不得意のようだし。」


 カテリーナはもともと、ジュリオが『ベレッツァ家の相続権を自分の為に放棄する』というあり得ない決心を聞いたときに、自分のためにそこまでさせるのかという自責の念を感じてしまっていたのでした。

 本来ベレッツァ家を継ぐべき権利も資質も備えたジュリオを、自分の感情でフォスカリ家が奪って良いのだろうか、と。そこまで自分を愛し大切に思ってくれるジュリオに感動しつつも、心の奥底で、いつの日か、ジュリオがその決心を後悔する日が来るのではないかという不安が拭えなかったのです。

 -冷静に見て、残念だけどルカは当主の器ではない。あれだけ歴史のあるベレッツァ家が、愚かな当主のせいで没落していくのを目の当たりにしたら、ジュリオはどう思うのだろうか・・・。-

 ルカからの手紙は、そんなカテリーナの不安を一気に増幅させてしまったのでした。


 ファビオから、パオロのプロポーズを受けることが両親の望みだとはっきりと申し渡されたとき、カテリーナの心は決まったのでした。そして結婚の前に、作品集を出すという夢だけは叶えさせてほしいとファビオに頼んで了解を得、翌日フォスカリ家にプロポーズにやってきたパオロからも「もちろん」だと快諾をもらったのでした。


 カテリーナは分かっていました。このプロポーズは、『契約の申込み』なのだと。

 お互い、それぞれの目的を達成するための、手段なのだと。

 -パオロは私が妻という役割を果たし、彼の公的な活動を私がサポートすることを求めている。私はパオロがフォスカリ家を存続させ、フォスカリ家の名誉のために尽くし、私との間の世継ぎを提供してくれることを求めている。この契約に、両親はもちろん、両家の親族も賛同している。-


 自分の気持ちに折り合いをつけ、納得してプロポースを受け入れたカテリーナでしたが、このときはまだパオロの心の奥に隠した苦悩には気づいていませんでした。

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