マリアンヌの忠告
第42章
「なぜドロテア様はザルツブルグのあの館に幽閉されてしまったとき、夫である宰相殿に助けを求めなかったのでしょうか? 何か手立てはあったはずだと思います。」
翌日、マリアンヌに頼まれた口述筆記を終えた後、ロバートから届いていた手紙を代読したカテリーナは疑問が抑えられずにそうマリアンヌに質問していまいました。
「そうね、ヨハネとの不貞を疑われフォーフェンバッハの城に幽閉されたのは宰相の命令だったと思わされていたようだけど、ロバートが考えたようにヨハネとかいう部下との関係は全くの濡れ衣だったにもかかわらず、それを申し開きしなかったのは、過去の出産を隠して結婚したことへの後ろめたさがあったのかもしれないわ。
でもそれ以上に、子どもを手放したことへの罪の意識から、自分に天罰が下ったのだと思い込んでしまったのかもしれない。」
「真面目で純粋な方だったのですね。自分を許せなかったのでしょうか。夫とも息子とも会えないのに。」
「そのフォーフェンバッハとやらに、上手く言いくるめられていたのか、精神的に脅されていたのかもしれないわね。」
「そんなことが可能なものでしょうか・・」
「純粋な方ほど思い詰めてしまうのかもしれないわ。もう一人、同じ館に幽閉され、同じように嘘を信じ込まされて、親族の言うことを一切信じなくなって関係を絶ってしまった方を知っているから…。」
「え? ほかにも?」
「まあ、この話はその方の名誉のために、話せないわ。さ、今日はこのくらいにしておきましょう。思ったより時間がかかってしまったけれど、無事手紙を書きあげることができたから、ほっとしました。カテリーナ、ありがとう。」
「いえ、お力になれて幸いです。でも…このお手紙の内容に、ロバート様もジュリエット様も、さぞや驚かれることでしょうね。小さい頃のロバート様の治療に派遣されたときは、マリアンヌ様も何もご存じなかったのですよね。」
「ええ。昨日までね。でも今思い返してみれば、事情を分かっていて、裏で暗躍していた人物が思い当たらないこともないけど。」
「この、フォーフェンバッハとかいう人、信じられません! そんな、人ひとりの人生を左右するようなこと、他人が勝手にして良いものでしょうか?」
「そうね、フォーフェンバッハは悪意からとんでもないことをしたけれど、でも、場合によっては善意からそういうことをしてくれる方もいらっしゃると思うわ。私は大切な弟の治療をする機会を得られたことを、今は感謝していますし。」
「悪意だろうと、善意だろうと、私はいやです。自分が預かり知らないまま、他人によって自分の運命が決まるなんて。」
カテリーナが強い調子でそう言ったところで、召使いが入ってきました。
「あの、ご主人様、次のお約束のお客様がいらっしゃいましたが、こちらにお通ししてよろしいでしょうか?」
「あ、すみません、マリアンヌ様、私はこれでお暇いたします。ついおしゃべりが長くなってしまいました。」
「またいつでもいらしてくださって良いのよ、カテリーナ。若い方と話すのはとても楽しいもの。」
急いで客間を出たところで、カテリーナは“次のお約束のお客様”のパオロと鉢合わせしてしまいました。
「あ! パオロ様」
「おや、カテリーナ様、こんなところで。近々お宅にまたお伺いいたします。やっと本家での用事が片付きましたので。」
-そういえば、昨日もここにいらしていた。なぜ? マリアンヌ様と何か特別の用事が関あるのかしら?-
もやもやした気持ちを抱えたまま、カテリーナは簡単な別れの挨拶をして館をあとにしました。
客間に入ってきたパオロは昨日とは打って変わって、立ったままやや緊張した声でマリアンヌに尋ねました。
「フォスカリ家のカテリーナ嬢がいらしていたのですか?」
「ええ、ちょっと頼み事があって。驚いたかしら?」
「偶然ですか? いえ、そんなわけはないですね。私の反応を確かめたかったのですか?」
「あなたの本当の目的が知りたくてね。」
「・・・・・」
「彼女をキプロスに連れて行くつもりでしょう?」
「それ以上のことは口に出さないようお願いします。」
「あなたがバルバリーゴ家の人間だということを忘れていたわ。でもね、リッカルドだったら、もう少し上手く立ち回っていたはずね。」
「どういう意味でしょうか?」
「私を見張っていても、もう彼とは過去の想い出しかないし、これから先の利用価値もないわよ。私が出来ることといったら、まあ、たまにあなたを慰めてあげることくらいかしら?」
「私がやろうとしていることに反対なのですね?」
「賛成も反対もないわ。ただ、巻き込んだ人間を後悔させるようなことだけはして欲しくない。結局はあなた自身が自責の念に苦しむから。あのリッカルドでさえ、ずっと悩んでいたのよ。あなたにその覚悟はあるの?」
「・・・わかっています。」
強く握った拳を震わせながらそう答えるパオロに、もうこれ以上忠告する立場でも身分でもないと諦めたマリアンヌが黙っていると、しばらくしてパオロは呟きました。
「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」
「カエサルの言葉ね。」
「今日はこれで失礼します。」
「パオロ、いつでも来ていいのよ。目はもう余りよく見えなくなってしまったけど、耳はちゃんとまだ聞こえるわ。」
何も言わずマリアンヌをハグして、パオロは帰っていきました。
そして、これがパオロもカテリーナも、マリアンヌと言葉を交わした最後の機会になってしまったのです。




