出生の秘密
第41章
カテリーナは昼前にマリアンヌの住む館に着いてしまい、玄関に現れた召使いに
「ただいま主人は前のお客様との面会中なので、こちらでお待ちいただけないでしょうか?」
と中庭にある四阿に通されました。
その館にはあまり召使いがいないのか、そのまましばらく待っても誰も来ないので、カテリーナは暇を持て余し、ちょうど可憐な花々が咲いていたので中庭の散策を始めてしまいました。すると館の南側に面した一画に『万人のための薬草学』の挿絵で見た珍しい草花が植えられているのを見つけて、ついそちらに近づいたのです。
かがみ込んで薬草を観察していてふと顔を上げると、中庭に面した大きな扉が半ば開いていて、中の様子が見えてしまったのです。
若い男性が、ソファに座った年配の女性の前にひざまずき、その膝に顔を埋めていました。
女性が何か優しく語りかけているようでしたが、その情景は何か母か祖母に甘えている少年をなだめているようで、色恋沙汰の雰囲気はありませんでした。
そしてしばらくするとその男性が落ち着いた様子で立ち上がり、側に置いてあった上着を羽織ると女性とハグをして部屋を出て行きました。
その男性は、パオロでした。
見てはいけないものをのぞき見してしまった気がして、そっと四阿に戻ったところで、先ほどの召使いが「お待たせしました。こちらへどうぞ」と客間に案内されたのでした。
憧れのマリアンヌは、先ほどパオロを慰めていた女性だと予感していたカテリーナでしたが、目の前にいる彼女は、優しい目をした、でも凜としたオーラのある女性でした。
「初めまして。お会いする前に確認させていただきましけれど、マリオ・フォスカリ殿のお孫さんでいらっしゃるのね。多分私のことは、お爺さまからいろいろ聞いているのではないかしら?」
「マリアンヌ様、お会いできて光栄です。祖父からも、キプロス王からもお話を伺いました。もちろんお書きになられた本も何度も読んでおります。今日はジュリエット様からのご依頼で伺いました。」
「待って待って、ジェロ・・・キプロス王とどこでお会いになられたの?」
「少し長い話になってしまいますがお許しください。」
「あら、若い方の話を聞くのは好きよ。」
「不思議なご縁がございまして」
カテリーナがジュリエットの紹介でジュリオと出会い、その後、父と一緒にシチリアに招待されたところ、お忍びで訪れていたキプロス王に会ったという経緯を一通り説明すると、マリアンヌは
「そうでしたか。それであなたもキプロス王から何か言付けを伝えにいらしたのかしら?」と尋ねたのです。
「いいえ、先ほども申しましたように、ジュリエット様からのお願いで伺いました。」
「ジュリエットから?」
「はい、実は私、ジュリエット様のご子息、ステファン様の結婚式に招待を受けて、数日間ザルツブルグに滞在したのです。この冬に疫病が流行る前、ウィーンがトルコ軍に包囲される直前でございました。」
「去年の秋のことね。」
そう言うとマリアンヌは召使いを呼び、何か短く指示をしてから
「続きを聞かせて頂戴」とカテリーナを促しました。
カテリーナはザルツブルグで起きたこと、古い楽譜を見つけたこと、そこに誰かの手記を見つけたが、その紙にヴァイツァー家に紋章をコンスタンツァが見つけたこと、最近になってやっとステファンのもとに戻れたコンスタンツァに、その手記を渡したことを話ししました。
「ロバート様いわく、おそらく手記を書いたのは、母上のドロテア様に間違いないとのことです。」
そこまで話したとき、召使いが手紙の束と眼鏡を運んできました。マリアンヌは眼鏡をかけ、未開封の手紙の束を確認しながら
「ああ、ロバートから手紙が届いていたのね。きっとこのことね。」
「あの、マリアンヌ様、失礼ながら、目が・・・ご不自由なのでしょうか?」
「ええ、ここ数ヶ月でかなりね、すっかり文字が読みにくくなってしまって。」
「ジュリエット様からのお手紙を預かって参りましたが・・・よろしければ私がお読みいたしましょうか?」
「ええ、お願い。」
カテリーナがゆっくりとジュリエットの手紙を読む間、目を閉じ、じっと耳を澄ませるマリアンヌ。途中で『ニコレッタ』という名にびくりと肩を震わしましたが、カテリーナが読み終わったあともしばらく黙ったままでした。そしてカテリーナに
「明日、もう一度いらしてくださらないかしら。一晩返事を考えるから、あなたに口述筆記を頼みたいの。」
と頼んだのです。
「え、ええ私でよろしければ。」
「ありがとう。今日はちょっと疲れてしまったから、これで失礼させてくださいな。ありがとう、カテリーナ。」
何故パオロがマリアンヌのもとにいたのか聞けないまま、その日はカテリーナは館をあとにしました。
***
ジュリエットからの手紙を苦労しながら読み返すベッドのマリアンヌ。
-ニコレッタ・・・薬草使いで、自分を育ててくれた母の名前。母は医術の心得もあって、お産の場にもよく呼ばれていた。母がまだ幼い娘だったドロテア様のお産に立ち会って、生まれた乳飲み子を預かって、育てたのね。
ニコレッタが私の産みの母でないことは、幼い頃から知っていた。自分の力で道を開きなさい、といつも言っていた私の育ての母。
母は私を精一杯愛し、導いてくれたけど、私は誰の子かわからないという不安と惨めな気持ちは幼い頃から心の奥底に澱のようにずっと抱えていた。
だからエレノア様の気持ちは痛いほど共感できたし、修道院に預けられてしまったジュリエットを何としても信頼できる相手との幸せな結婚に導きたかった。
ああ、ロバートは私の弟だったのか。そして、宰相殿は私の素性を知っていたのかもしれない。リッカルドの推薦があったとはいえ、素性のわからない女を家の中に入れ、自分の大切な跡継ぎの治療を長期間任せるはずはない。そうね、きっとリッカルドが調べて教えたのかもしれない。そして二人とも最後まで明かさないままいってしまったのね。
そうか、ジュリエットの結婚前によくみた夢、あの四阿にいた正体不明の婦人はやはりドロテア様、私の産みの母だったのだ。
母がわかっただけで充分よ。答え合わせをありがとう、ジュリエット。-