妙な告発
第40章
ジュリオの父ジャコモは、ジュリオがパドヴァ大学へ行く前に、『弟ルカに当主の地位を移譲したい』という申し出を受けたときは、難色を示しました。確かに商売はルカが手伝い、ジュリオが医学の道に進んでいましたが、もともとベレッツァ家はシチリアに領地を持つ古い封建領主の家柄。ジャコモ自身も自分の父親が残した借金返済のため、致し方なく始めただけ商売がたまたま上手くいっただけで、それが生業とは思っていなかったからです。それにジュリオのほうが当主の器にふさわしいと考えていました。
「確かにファビオ殿から、このたびの疫病で後継と男児を失ったとは伺ってる。カテリーナ嬢が婿養子を取らざるを得ない状況であることも。ただあちらは代々、交易を生業としているヴェネツィアの有力一族。そなたのような男が歓迎されるとは思えないのだ。おそらくフォスカリ家の、しかもあのような美しい令嬢の相手なら、他にも話があるに違いない。そなたは自信があるようだが、もし選ばれなかったら、どうするのだ?」
「彼女が私と将来の約束をしてくれたしるしに渡した、あの宝剣についていた紅珊瑚のネックレスを先日彼女が返してきました。ネックレスに同封されていた別れを伝える手紙には“フォスカリ家を守らなくてはならないから、ベレッツァ家の次期当主であるあなたと結ばれることはできない。私はフォスカリ家を一緒に守る人を選ばなくてはならないのです。”と書かれてありました。もしすでに結婚相手が決まっていたのなら、彼女ならはっきりとそう私に告げるはずです。今ならまだ間に合うはずです。それにカテリーナのご両親にご納得いただけると確信している、ある将来の展望となる腹案が私にはあります。」
ジャコモとジュリオとの話し合いの末、無事フォスカリ家の令嬢との結婚が正式に決まったら、その後に初めて移譲についてルカに話すということになったのです。
ジュリオがパドヴァに出立して数週間後、ジャコモのもとにジュリオからの通信が届きました。そこには無事パドヴァに落ち着いたこと、そしてパドヴァ大学で自分の計画案を具現化する準備が整いつつあり、正式にフォスカリ家にカテリーナ嬢との結婚の申し入れをしたこと、やはり婿養子として別の候補者が存在すること、自分のアイデアをカテリーナはもちろんご両親も興味を示し、評価してくれたことなどを、やや興奮気味な文章で報告されていたのです。
ジャコモは一代で商売を成功させただけあって、現状を俯瞰し冷静に判断する能力と性格を持ち合わせていたので、フォスカリ家側の雰囲気を探るべく、何気なくルカに尋ねました。
「ルカ、そなた、フォスカリ家への滞在の礼状はもう出したのか?」
「いえ、忙しくてまだ。すみません。」
「まだなのか! まあ出さないよりは遅れたほうがまだましだ。仕事は後回しにしてよいから、これからでも書いて出しなさい。まあ、フォスカリ家はカテリーナ嬢の婿探しで、ご両親はきっと頭が一杯だろうが。」
「ええ、私がお暇を申し出たときも、すぐ許可されましたから。婚約の準備で忙しかったのかもしれません。」
「おや、ではもう相手が決まっていたのかな。まあ、ヴェネツィアでは有力なご一家だし、カテリーナ嬢の美しさなら、引く手あまたなのも想像できるが。」
「名門一族のご子息にほぼ決まったようでした。たまたまご両親がお話になっているのを聞いてしまったのですが、確か、バルバリーゴ家の方だとか。」
「ああ、あの前元首のご一族か」
「確か、パオロ、という名だったと思います。本家ではないが、一族の者だと。」
「そうか、バルバリーゴ家の・・・。カテリーナ嬢は一時ジュリオと親しくしていたが、さすがにそれは・・・。」
「ええ、カテリーナ様と仲が良いのは端から見てもわかりましたが、ジュリオもいい加減諦めればいいものを。そもそも高嶺の花だったんですよ、あのジュリオにはふさわしくない・・・。」
最後は毒づくようなルカの口調が気になったジャコモでしたが、移譲の件は無しになる可能性が半々だな、と判断したのでした。
この父ジャコモとの会話で、ルカは十中八九、カテリーナはパオロ・バルバリーゴと結婚するだろうと確信しました。フォスカリ家が男子相続人を失った時点でそもそもジュリオが婿養子に入ることはできないと分かっていたのですが、つい嫉妬心に火がついて、あんな物言いをしてしまったのです。
ところが、その嫉妬心が、今度は見たことのないパオロ・バルバリーゴという人物に対して燃え上がってしまったのでした。その腹いせから、フォスカリ家へのお礼の手紙にとんでもないことを書き添えてしまいました。
――確証があるわけではないので、お知らせすることは控えようと思っておりましたが、大変親切にしていただいた貴家ご令嬢が不幸になってしまうかもしれない、と偲びがたくなり、敢えて申し上げます。
婿養子の候補とお名前があがっていたパオロ・バルバリーゴなる方のことです。
フォアビオ殿が初めてシチリアの当家においでになったときに、お忍びでキプロス王がいらっしゃった事はご存じの通りです。あの晩、カテリーナ様が演奏を始める前、キプロス王がほんのすこしの間、席を外されたときのことです。たまたま私は近くの物陰におりまして、王が家来に何か用事を申しつけているのに気がつきました。そのとき「パオロ・バルバリーゴ」という名前を確かに聞きました。そのときは特に気にも留めなかったのですが、お世話になりました貴家を去る直前に、召使いたちの噂話で、その名を耳にしたのでございます。
私の邪推であれば良いのですが、パオロ・バルバリーゴはキプロス王と何か特別な繋がりがある人物ではないのではないでしょうか? 何年にもわたりキプロスに駐在していた方とのことですが、そのときのキプロス王の様子が大変気になっており、ご用心なさったほうが良いと考え、お知らせした次第に存じます。――
ルカからの妙な告発の手紙を執務室でファビオが読んでいたとき、カテリーナはマリアンヌの住む館に、パオロ・バルバリーゴの姿を見つけて驚いていました。