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コンクラーベ

第14章

 結婚式のあと、エドモンは新妻と一緒にパドヴァ郊外の邸宅で過ごし、ここで夫となる証明の儀式をしなければならなりませんでした。当初、エドモンは最低限の3日をここで過ごして、すぐ教皇領にある城に移るつもりでしたが、彼の予想に反し、新妻は明るくて控えめで、気品があり、エドモンに心からの安らぎを与えてくれたのです。エドモンは、兄のような父のような穏やかな親愛の情をもって歳若い新妻に接し、彼女も、エドモンが心地よく過ごせるようにと、心を砕きました。エドモンは結局、この別邸でマリアンヌの捜索を行っているカルロスを待ってから、一緒にヴェネツイア領を出発することにしたのです。


 結婚式の翌日、カルロスの派遣した密偵から、マリアンヌはいったんヴェネツイアに住むおばの家に逃げたらしいとの情報が入り、このおばの家はカルロスも知っているとわかっていたので、さらにある女子修道院に逃げ込んだらしいとの報告が入りました。そこで、カルロスは、いったんヴァティカンに戻り、フィリップからヴェネツィア出身の枢機卿に協力してもらい、彼女を修道院から追い出して捕まえようとしたが、ここでリッカルドが待ったをかけたのです。

 「それは得策ではありませんね。彼こそが元首に抗議した張本人ですから、見つけたとなれば、彼が自分の采配で事を処理しようとするでしょう。彼がどこまで我々に情報を提供するかどうか、わかりません。」

 「君なら、彼が入手した情報を手にすることができるだろう?」

 「そこが、難しいところです。私は、枢機卿たちの言動も監視する立場なのですよ。自分やヴァティカンにとって都合の悪い情報は隠すに違いない。」

 「リッカルド、慎重だな。さては何か心当たりがあるのだな。」

 「あなたが思っていることと同じですよ、カルロス殿。マリアエレナは法王の私室まで出入りしていた女です。おそらくフィリップ殿ほかにも何人かの枢機卿や秘書官たちの執務室から何か持ち出したはずです。どんな証拠を持ち出しているかわからない。危険すぎます。」

 「さらに今は時期が悪いな。フィリップに限らず、コンクラーベの準備や根回しで、どの枢機卿もそれどころじゃない。今しばらく、せめて新法王が決まるまで、あの女が修道院でおとなしくしていてくれれば、助かるのだが。私もそろそろ国に戻らなければならないし。」

 「わかりました。私のほうで、その方法を考えてみましょう。逆にこの時期だから、そのほうが有効かもしれません。」

 カルロスは、リッカルドのいう“有効”の意味するところがわからなかったのですが、今は彼を信じるしかないと腹をくくって、こう答えました。

 「では、エドモンの新婚家庭に立ち寄って、彼に状況報告しよう。あとは宜しく頼む。」

 「そんなに私を信頼してよいのですか? カルロス殿。勝手にマリアンヌと取引して、有利な情報を独り占めするかもしれませんよ。」

 「私の体は1つしかない。人間一人でできることなんて、たかが知れている。信用できると思った人間と利害が一致した場合は、信用しなければ、物事は先に進まないからな。それで裏切られても、自分の責任さ。リッカルド、君も、君の政府も理想主義者でなくて、名より実をとる現実主義者だろ。今の私にとって、こんなに信用できる相手はいないよ。」


 いよいよ法王の容態は深刻な状況になり、エドモンの結婚式から1週間後には、また終日床につく生活となってしまいました。そして、それから一週間後、法王崩御とともに、水面下で始まっていた次期法王選挙への根回しが、いよいよコンクラーベの場へとうつったのです。次期法王は枢機卿の中から選ばれるのですから、17名の枢機卿の一人であるフィリップは、投票資格はもちろん、次期法王候補の一人でもあったわけです。ただ、一番年少であったため、本人含め誰一人として、その可能性を考えた枢機卿はいなかったのですが。


 ところで、次期法王選挙は、コンクラーベで3分の2の票を得ないと決まらないものです。

この時代、コンクラーベは、まさに武器を使わない戦争、外交という名の戦争の主戦場といえるでしょう。

 このときの枢機卿団17名の勢力分布は、ナポリ王国派3名、サンマルコ共和国派3名、ミラノ公国派2名、ジェノバ共和国派1名、ピサ共和国出身1名、フィレンツェ共和国派2名、マルセイユ出身のフランス人1名、ヴァレンシア地方出身のスペイン人1名、ローマ近郊出身だった法王の親族が2名、そしてフィリップ。下馬評では、有力候補は3名おり、前法王の甥と、最も枢機卿在位の長いナポリ王の母方の親戚筋の枢機卿レオナルド、そして、フランス人枢機卿が多額の賄賂をばらまいていると噂されていました。もっともその金はメディチから借りたものという説もあり、貸し付けた金を確実に返済できるようにと、フィレンツェの2票は、すでにフランスらしいとささやかれていたのです。


 そんな状況のなか、ヴェネツィアとしては、一番好ましいのは、前任者の路線を引き継いでくれる前法王の甥でしたが、一番避けたいのは、自分たちのコントロールがきかない国、つまりフランス人やスペイン人の枢機卿が法王になることでした。また同じ海洋国家というライバル関係にあるジェノヴァもナポリも避けたいと考えていました。

 第1回目の投票では、皆、様子見という感じで、前法王の甥が2票、最長老のナポリが3票、フランスが3票、あとは1票づつという結果でした。

翌々日、2回目の投票が行われ、最長老のナポリが7票、フランスが6票、前法王の甥が4票となりました。

 この“戦争”の前線を指揮するリッカルドは、コンクラーベ開始前から、有力候補3人のうち、前法王の甥と、フランス人枢機卿の間で最終決戦となると予想していたのですが、ここにきてナポリが票を伸ばしてきたことで、対策が必要と感じ始めました。

 「ナポリのフェルディナンド枢機卿は、枢機卿在位暦が最も長く、かつ最も高齢だ。法王になったところで、新しいことはしないだろうが、エドモンを更迭などしようとしたら、問題だ。それに、皇帝との裏取引上、ナポリのフェルディナンド枢機卿だけは、絶対に避けなければならない。」一人思案するリッカルド。自ら決定に関与できないことでも、できるだけリスクヘッジを、が当時のヴェネツィアの基本戦略です。リスクヘッジするには、何よりまず情報。リッカルドは、本国政府に依頼しておいた、女子修道院に逃げ込んでいるマリアンヌから情報の内容報告を待って、最後の対応に出ることにしました。「有効」に情報を使うために。


 コンクラーベは、直訳すれば「鍵で」という意味です。誰が法王に選ばれるかは、建前上は神のご意思ということになっていたのですが、実際は、「鍵で」施錠され、外部と遮断された部屋に籠った枢機卿たちが、投票で自分たちの中から一人を選ぶのが決まりとなっていました。それは21世紀の今でも変わらないのです。その間、枢機卿たちが飲まず食わずになるのだが、さすがになかなか決まらないとなると、休憩が入ります。そして、その隙間を狙って、ひそかに取引が行われるのでした。


 3回目の投票前に、ヴェネツイア本国からの急使の連絡がリッカルドのもとに届きました。マリアンヌが盗んだものの中に、フェルディナンド枢機卿の私信や日記はなかったが、前法王の私室にフェルディナンド枢機卿が見舞いに訪れたときの会話をマリアンヌは覚えていた、と。

「保守派の筆頭のようなフェルディナンド枢機卿は、皇帝の傭兵隊長として活躍していた男の教会軍総司令官の就任に、最後まで反対意見を具申していた。」

というのです。

 急使の報告を聞きながら、「真偽を確かめる時間はないが、もし本当だとしたら、ヴェネツイアにとっても好ましいことではない。皇帝との裏取引維持のためにも。」とリッカルドは考えをめぐらせていました。

 急使は続けて

 「さらに、フランス人枢機卿エマニュエルについてですが、南フランスのラングドック地方のカルカッソンヌ出身で、教会軍総司令官のエドモン殿とは、曾祖母が同じです。つまり縁戚の間柄となります。ご承知のように、メディチの金でミラノ、ジェノバ、ピサ、スペインの枢機卿連中に金をばらまいていますが、やはり縁戚筋に当たるフィリップ殿にまで、コンタクトし始めたようです。」

と報告し、さらに考えを進めるリッカルド。

「このエマニュエルが法王になると、フィレンツェ人枢機卿が増員となるだろうが、体制に大きな影響はないだろう。フィリップまで接触しているのなら、フィリップも交換条件としてエドモンの続投を提示しているはずだ。これまではコントロールのきかないフランス人枢機卿は避けるという基本路線だったが、ここにきて、エドモンという切り札が有効となったな。」

 急使の報告を聞き終えたリッカルドは、ヴェネツイア出身の枢機卿に、フランス人枢機卿エマニュエル支持するように、との指示を出しました。


 翌朝の第3回目の投票で、ついに新法王が選出されました。ナポリの3票と前法王の親戚2票を除いた、全ての票がフランスに流れたのです。おそらく一番快哉を上げたのは、メディチであったでしょう。法王就任後、早速メディチ家の一人が、枢機卿に任命され、同時に、エドモンの教会軍総司令官の信任が発表されたのです。


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