ジュリエットの手紙
第38章
ジュリエットの手紙は続きます。
『長い話となることをお許しください。
ロバートの母上ドロテア様は宰相だったロバートの父の部下の謀略によって、不義密通の濡れ衣を着せられ、あの館に軟禁されたまま、亡くなってしまったのです。当時ロバートはまだ幼く、長い間ある不幸な事故で母は亡くなったのだと思わされていたそうです。
今回、ロバートが調べた結果、ドロテア様が軟禁されていた場所が、あなたがザルツブルグで滞在された館のあの部屋だったことが分かりました。フォーフェンバッハは後年、外地で亡くなり、あの館を受け継ぐ親族もいなかったため、その後ザルツブルグ大司教が管理することになっていたのだそうです。
ドロテア様が残したあの手記に書かれていたこと、ロバートを出産する前に、子どもを身ごもり、女の子を出産していたことは、ロバートも全くの初耳だったようで最初は少なからずショックを受けていたようですが、すぐに“どうしてもその自分の姉に当たる女児の行方を見つけ出したい”と言い出したのです。
そこでドロテア様のご実家に連絡したところ、”当家では何も分からない”とすげない対応だったのですが、しばらくしてドロテア様の姪にあたる女性が、”決して口外するなと母親に口止めされたが、密かにヴェネツィアの女子孤児院に引き取られた”という話を教えてくださったのです。
おそらく、女子修道院付属の孤児院のことかと存じます。
私もその孤児院を知っておりますが、今はもう、そのときのことを知るシスターは誰もいらっしゃらないと思われますし、何か記録が残っていたとしも、親族以外の外部の人間には決して明かさないという鉄の規則がございます。
ただ、その女子修道院と関係が深く、かつ昔からヴァイツァー家より信頼されていた女性が、ヴェネツィア近郊に存命中です。
薬師院学院長のマリアンヌ様です。
こんなことをカテリーナ様にお願いするなど、本当におこがましいのですが、何か知っていることがないか、マリアンヌ様にお聞いただけないでしょうか?
マリアンヌ様あてのお手紙も同封いたしました。
直接彼女に確認しようと二度ほどロバートが手紙を出したのですが、返信がなく、夫もうも私も彼女の体調がひどく悪いのかもしれないと、心配しております。
その女性はロバートの命の恩人でもあり、かつ、カテリーナ様の祖父、マリオ・フォスカリ様とも深い親交のあった方なのです。
一縷の望みを託して、カテリーナ様に伏してお願い申し上げます。』
カテリーナは手紙を読みながら、すぐシチリアでキプロス王から聞いた話、祖父から聞いた昔話を思い出していました。ジュリエット様の数奇な半生に登場するマリアンヌという女性、まさに先ほどまで読んでいた『万人のための薬草学』の著者本人には会ったことがなかったのです。
何か不思議な運命のいたずらに導かれている気がして、カテリーナは、翌日朝さっそく薬師院あてに、すでに現役を引退されている学院長の個人的な面会の申し入れをしました。すると早速二日後に薬師院から“来週の木曜日、聖金曜日の前日の昼に、ブレンダ運河ぞいの館までお越しください”との連絡がきたのです。
カテリーナはジュリエットからの依頼を面倒に思うどころか、絶好の機会ととらえていました。心密かに、マリアンヌという女性を尊敬していたからです。
もともと幼い頃に祖父マリオ・フォスカリから、まるで冒険譚のような『キプロス脱出』の話を聞いて、勇気ある女性像として憧れていたこと。薬師院という学院を立ち上げ、世間から大きな評価を受けていること。女性として名著と賞賛されている本を出版したこと。そして何より、誰にも頼らず自分の生き方を貫いた姿に憧れを抱いていたのかもしれません。
その方お会い出来ることになり、カテリーナは小躍りするくらい嬉しかったのです。
ジュリオはまだパドヴァ大学で多忙にしていて、パオロもバルバリーゴ本家の用事に追われている様子だったため、『婿選び』は一時中断のような状態でした。カテリーナの両親は、とりあえず有力候補二人ともカテリーナを気に入っている状況に安堵していたのです。
カテリーナはコンスタンツァに手紙を書いたり、家の用事をこなしたり、作曲活動をしたりしながら、憧れのマリアンヌと会う日を指折り数えて待っていました。
***
マリアンヌは、マリアが用意してくれたブレンダ運河沿いの屋敷で、わずか数人の召使いと過ごしていました。
ジュリエットがステファンを連れて訪問に来てくれた以降は、薬師院の用事で週に一度連絡の使者が来るほかは、たまに自分で自分用の薬を調合するくらいで、公的な活動からは手を引いていたのです。
最近、体力も落ち、視力も衰えてきたのをはっきりと自覚していました。手紙を受け取っても返信を書くのに代筆を頼むようになってしまっていました。最近は読むことすら億劫になってしまい、通信が届いても緊急の連絡などもうないはず、と思って「そこに置いておいて」と読まずにいたのです。
疫病蔓延のときも市街から少し離れていたため影響も少なく、静かな郊外暮らしを満喫していたのですが、ある日、キプロスから戻ってきたばかりという青年が突然やってきたのです。
その青年を居間に通してよいか、という召使いの問いかけに、ちょっと暇を持て余していたマリアンヌは深く考えず許可をしました。
そして部屋に入ってきた青年の姿を見て、思わず驚きの声をあげてしまったのです。
一瞬、リッカルドが若返ってやってきたのか、と思ってしまったからでした。
「バルバリーゴ家に連なる者です、パオロと申します。突然の訪問をお許しいただき恐縮です。」
との自己紹介に納得したものの
「キプロス王から頼まれまして、マリアンヌ様に手紙をお届けに参りました。」
と言われ、また驚いてしまったのです。
結局、初対面にもかかわらず、パオロとマリアンヌはその後、ずっと話を続けました。そのため、パオロがブレンダ運河に待たせていたゴンドラの船頭は、結局二時間以上も待ち続けることになってしまいました。
そのあとすぐ、マリアンヌのもとに薬師院から面会申し入れの連絡が入りました。今度も見知らぬ人物で、若い女性からでしたが、フォスカリ家のご令嬢ということですぐに了解したのです。
-最後まで静かで落ち着いた暮らしができない運命なのかしら? もうあまり私に残された時間はないと思うのだけれど・・・。-