パオロへの忠告
第34章
パオロは上司であるキプロス商館長からフォスカリ家の令嬢との見合いを打診する父親からの手紙を受け取った時、翌日のキプロス王と商館長の定期会談の準備中でした。
すでに本国の元老院から帰任指示が出ていたパオロにとっては、最後の定期会談だったこともあり、キプロス王から直々に「補佐官殿の労をねぎらいたい」という意向がきていたので、会談の後に王宮内の中庭で、ささやかな酒宴が催されることになっていました。
特に緊急の議題もなく定期会談は終わったので、キプロス王、王の副官、商館長、パオロの4名での歓談が始まりました。
「今日は穏やかな気候で風も心地よい。屋外の酒宴にふさわしい宵ですね。私などのために宴席を設けていただいて、本当に光栄至極です。」
とパオロが礼を述べると、キプロス王は
「いや、そなたには私的な用事も何度か頼んでいたからね。商館長殿のお許しがあったとはいえ、余計なことをさせてすまなかった。ほんのお礼の気持ちだ。」
と穏やかに応えました。キプロス王は、控えめだけれど、周りの気遣いができるパオロを気に入っていたのです。
「本国からの命令とはいえ、戻ってしまうのは残念だ。商館長殿も困ってしまうのでは?」
「ええ、パオロはこちらが指示する前に先回りして手配できるような優秀な部下でしたので・・・。とはいえあのバルバリーゴ家の一族ですから、いずれ本国でも要職につかれるでしょう。」
「いえ、どうでしょう。私は分家の三男ですし。」
「それで、パオロ殿は戻られて、どうされるおつもりなのかな?」
「実家の商売をまずは手伝うことになるかと存じますが、その前にどうも身を固めることを求められそうです。」
「それは、昨日の手紙かね?」
商館長もパオロのことを我が息子のようにかわいがっていたので、つい聞いてしまいました。
「はい、戻ったらすぐ見合いが待っているようです。特に断る理由もございませんし、お相手も全く知らない方ではなかったので・・・。」
「そうか、そなたが商館にきたときはまだ18だったが、まもなく25になるからな。ちょうどよい時期ではないか。知らない相手ではないというなら、家族同士のお付き合いがあったのかな。」
「はい、とはいえ、相手がまだ10歳くらいの頃に私はキプロスに参りましたので、どういう女性かはほとんど分かりませんが。ただ私の壮行会に、リュートを演奏してくれたことだけは覚えています。」
「ほほう。リュートをね。商館長殿、貴国では子女のたしなみとして皆、リュートを習うものなのですか?」
「いえ、どちらかといえば珍しいかもしれません。もともと孤児修道院出身の子女のための音楽院がございまして、それが評判になり、良家の子女も通うものもでてまいりました。まあ、孤児修道院といいましても、庶出の貴族の娘もおりましたし。ただ、貴族の娘はみな14,5歳で婚約が決まるのが通例で、演奏技術が上達する前に辞めてしまうことがほとんどです。」
そこで少し黙って考えこんだキプロス王でしたが、すぐいたずらっ子のような顔をしてパオロに忠告しました。
「パオロ殿、そなたの見合い相手、私もお会いしてお話したことがある方だと思料する。もしその女性なら、そなたにお似合いだと思う。私からみても魅力的な女性だったし、きっと気に入るだろう。ただし、おそらく強力なライバルがいるはずだな。」
ジュリオがしばらくパドヴァ大学での仕事に専念し、パオロが帰国の準備に追われていた頃、カテリーナは、ただ事態の推移を見守っていたわけではありません。もちろんジュリオに対する思いは変わりませんでしたが、誰と結ばれようとも、まずは自分のために作品集を完成しようと心に決めて、創作活動を再開させていたのです。
そのきっかけは、たまたま『万人のための薬草学』のあとがきを読んだことでした。
それまで本編の内容は、詳しくは理解できない部分があったとしても目を通してはいたのですが、あとがきは無視していたのです。それが、ルカも去り、コンスタンツァも帰国し、ジュリオもパドヴァ大学に戻ってしまって、急に一人の時間ができてしまい、ふと読んでみようと思ったのでした。
そこに書かれていたエレノアという女性の数奇な運命、その運命を受け入れつつ自分の人生を生き抜いた姿に、カテリーナはいたく感動してしまったのです。
-私より100年近く前の女性なのに、こんな風に生きた方がいらっしゃるなんて-
そのとき受けた感動を、カテリーナはひとつの組曲に昇華させようと取り組んでいました。
そして、カテリーナの作品集は、その後にもうひとつ、ある女性の人生にインスパイアされて作られた曲が加えられて、完成することになるのです。