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微妙な再会

第30章

 「パオロは、とても優しい青年だよ。もう5,6年は会っていないから、今はもう立派な大人になっているだろうね。10代の頃は少し繊細なところがあって、それでパオロが18歳になったとき、父が元老院にかけあって特別にキプロスに派遣したんだよ。外地で苦労させて、胆力を鍛えようとしたんだ。カテリーナ、あなたとパオロは、確かバルバリーゴ本家の屋敷で会ったことがあるはずだが、まだ10歳になるかならないかの時だから覚えていないかな。」


 父ファビオから、婿養子の次の候補として、恩師サンドロの弟パオロの名前を告げられた翌日、早速カテリーナはサンドロのところにやってきたのでした。


 「バルバリーゴ本家のお屋敷・・・確か初めて人前でリュートを演奏したときかしら? サンドロ先生と一緒に。」

 「そうだね、一緒に演奏したね。あれは親族や親しい友人達で集まった、パオロの壮行会だったんだ。」

 「あのときは、身内の集まりとはいえ、初めて大勢の前で演奏する機会だったから、緊張していて、演奏以外のことは何も覚えていないわ。」

 「帰国が決まったらしいことは聞いていたが、あの小さかったカテリーナがパオロとお見合いとはね。」

 「まだ父が正式に申し入れていないから、秘密にしてね、先生。それに、私は断られるかもしれないし。」

 「でも、気になるんだね。パオロならきっと、あなたがリュートの演奏会をすることも、作品集を出すことも応援してくれると思うよ。」

 「そう・・なのかしら?」

 「幼い頃からよく彼にねだられて演奏したよ。音楽を聴くのが大好きな少年だった。少なくとも反対はしないだろう。」

 「まあ、そうだったのね。」

 自分の弟であるパオロという若者に対して、急に興味を覚えた様子のカテリーナを見て、サンドロは微笑みながら

 「良かった。少しは元気が出てきたようだね。前に来てくれたときは、あんなに落ち込んでいるあなたを見たことがなかったから、心配していたんだよ。」

 と言い、カテリーナも無意識に顔を赤らめていたのでした。



 カテリーナが音楽院からフォスカリ家に戻ると邸宅の運河沿いの入り口に何艘ものゴンドラが横付けされているのが見えました。

 -ついにステファンがコンスタンツァを迎えにきてくれたのね!-

カテリーナは「ステファン様! お待ちしていました!」声を上げながら、自分で家のドアを勢いよく開くと、玄関ホールには、何とジュリオと父ファビオがいたのです。


 「カテリーナ、少しは落ち着きなさい。ジュリオ殿も私も、あなたの帰りを待っていたのだよ。すぐに着替えて客間に来なさい。」

  

 自室で外出着を脱いで、デイドレスに着替えながら、カテリーナは混乱していました。

 -どうして? 私の別れの手紙をジュリオは受け取っていなかったの? もしかして正式にプロポーズを? いえ、だって、弟のことは、フォスカリ家の事情は父からの手紙でベレッツァ家は知っているはず。それとも帰国したルカが何かを言ったのかしら? いえ、ルカが戻ったのはシチリアだからナポリへは行っていないはず。どうして? 今さらどうして?-


 「お父様、ジュリオ様、お待たせいたしました。」

 初めてジュリオと会った時と同じドレスを着たカテリーナが、初めて会った時と同じ客間に入ってきたのを見た時、ジュリオはかつてないほど真剣な顔でカテリーナを見つめたので、カテリーナは思わず目をそらせてしまいました。


 「早速だが、ジュリオ殿、娘カテリーナとの婚姻を正式に申し込みたいとのことだが、娘の了承を得ているのかな。」

 実務的なファビオは余分な挨拶やご機嫌伺いなどなしに、単刀直入に話を始めました。

 「はい。確かに結婚の意思を彼女に確認しました。しかし突然結婚は出来ないという手紙が、カテリーナ嬢から一方的に届いたので、その真意を確認したくて参ったのです。」

 「カテリーナ、本当か? ジュリオ殿からのプロポーズを受け、その後お断りの手紙をジュリオ殿に出したのか?」

 「わ、私は・・・」


 動揺し声が震えてしまったカテリーナでしたが、覚悟を決めて話し出しました。

 「はい。ジュリオ様からのプロポーズを承諾し、その後お断りのお手紙を確かに出しました。でもそれは私が心変わりしたとか、ジュリオ様のほかの誰かに心を移したというものでございません。お父様も、そしてジュリオ様もご存じのように、大切な弟が、このフォスカリ家を継ぐはずだった弟が、疫病により神のもとに旅立ってしまいました。私はフォスカリ家の娘として、この家を継がなくてはなりません。そしてジュリオ殿はベレッツァ家の後継者でいらっしゃいます。私の気持ちとは関係ないところで、私は身を引く覚悟をいたしました。両家のために、それはやむを得ないことだとわかっております。」

 「ご納得いただけたかな? ジュリオ殿。私も婿養子としてこの家に入った身だが、娘は自分の立場と状況を理解して、そのように決断したと信じている。」


 ジュリオは目を閉じ、しばらく黙ったあと大きく息をして目を開けました。その目は、先ほどまでとは違う、いつもの明るいジュリオの目でした。


 「カテリーナ様の気持ちと関係のないところで、婚姻の約束を反故にしたのですね。フォスカリ家ベレッツァ家両家のために。それではフォスカリ家ベレッツァ家両家のためになる別の方法があれば、私と結婚してくださる、ということでよろしいでしょうか?」

 「ほう、それはどんな方法でしょうか?」

 「私が、フォスカリ家に婿養子に入ります。ファビオ殿のように。」

 「え! ジュリオ様、そんな」

思わず声を出してしまったカテリーナに目配せして、ジュリオは続きました。


 「実はカテリーナ様からのお手紙を受け取って、すぐにでもこちらに戻りたかったのですが、疫病の感染拡大で入国することできません。ファビオ殿、ご子息のことは父から聞きました。心よりお悔やみ申し上げます。」

 「ありがとう、ジュリオ殿。父上からも丁寧な追悼のお手紙をいただきました。改めてお礼申し上げる。しかし、あなたはベレッツァ家の次期当主でしょう。お父上はあなたが婿養子になることを納得されているのですか?」

 「幸いベレッツァ家にはもう一人男子がいます。父の商売を手伝っている弟が。ここに来る前に、父とは話し合ってきました。あの当主の証である宝剣はルカに移譲します。もともと父が始めた事業は、弟ルカが継ぐべく修行してくれています。財産は一部生前贈与するということで、私は当面の間、パドヴァに家を構える予定です。」

 「パドヴァに?」

 「はい。このたび、私はパドヴァ大学教授のポストを得て、先週着任しました。ファビオ殿には上梓に多大なるご助力をいただいた『指導書』の功績によるものです。大変好評で、続刊の準備も進んでおります。おそらくアルド社からも報告が届いているかと存じますが・・・。」

 「それは喜ばしいことではありますが、しかし、フォスカリ家は代々貿易を生業としています。」

 「はい。私は貿易に関する商才がないことは自覚しています。商いに関しては、番頭およびその配下に人間に差配は任せざるを得ません。そのかわり、将来フォスカリ家がサンマルコ共和国の誇りとなるような事業を興したいと考えています。具体的な計画案ができましたら、改めてご説明に伺いたいと考えております。」

 「なるほど」


 このジュリオとの会話で、ファビオは直感的に何か期待感を持ったのでした。しかし冷静なファビオは一時の感情で物事を判断するような人間ではありません。他の多くのヴェネツィア商人にように情報を収集し、総合的に最もリスクの低く、リターンの期待値が高いほうを選択する気質を備えていました。


 「ジュリオ殿。話は承りました。あえて申し上げておきますが、フォスカリ家の次期当主となる婿養子として、あなたのほかにも考えている人物がおります。私は現フォスカリ家の当主として、より信頼できる人物を選定しなければなりません。カテリーナの気持ちもありますが、当家の将来がかかった問題ですので、その責務もご理解いただければ幸いです。」

 「もちろん、理解しております。ファビオ殿にもご納得いただけるよう、準備いたしますので。」


 父とジュリオの間で、話が進んでいくなか、カテリーナはいまだに戸惑いを隠せないでいました。あれほど会いたかった愛おしいジュリオ、でも自分の心を無にして別れを告げたジュリオ、そのジュリオが突然目の前に現れたことが現実と思えなかったのでした。


 さらにカテリーナは、ジュリオが婿養子に入るという想定外の発言に、自問自答をしていたのです。私は、ジュリオがあれほど大事にしていた当主の証である宝剣を手放し、ベレッツァ家を捨させるだけの価値がある存在なのだろうか、と。


 カテリーナが目の前で繰り広げられた状況にまだ動揺しているのを見て取ったジュリオは、彼女が気持ちを落ち着けるまで時間がかかるとみて、出版した解剖学の指導書について話し始めました。

 「ファビオ・フォスカリ殿とお話できる貴重な機会ですので、続けて、上梓した解剖学指導書の今後の展開について、簡単にご説明したいのですが、よろしいでしょうか? 何しろ一番のスポンサーでもいらっしゃいますので。」

 「もちろんだとも。アルド社からもよい報告を受けている。これは娘の婚姻とは関係なく投資のひとつとして考えている。ぜひ聞かせて欲しい。」


 ジュリオと父ファビオが熱心に話しを始めたところで、いつもは優雅な母マリアグラツィアが少し慌てた様子で客間に入ってきたのです。

 「お話中にごめんなさい。たった今ステファン・ヴァイツァー様がいらっしゃいましたわ。お仕事のお話はそこまでにして、こちらにご案内してよろしいかしら? カテリーナ、ここにいたのね。コンスタンツァ様をお連れしてきて頂戴。」


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