第二の候補者
第29章
コンスタンツァは気がついたときには、朝になっていてました。いつもの部屋のベッドに寝かされていて、枕元にはカテリーナがいました。
「コンスタンツァ、気がついたのね。気分はどう? 昨晩あなたあてにステファンからの手紙が届いているわ。ほら、ここに。あなたを迎えにウィーンを出発したのではないかしら?」
「カテリーナ、私・・・。ありがとう、大丈夫よ。吐き気はおさまっているわ。」
「良かった。心配したのよ。薬師院から良く効く薬をもらってきたのよ。朝食は食べられそう? 」
コンスタンツァがベッドで上半身を起こそうとするのを手伝いながら、カテリーナはほっと安心した表情を浮かべていました。しかし、コンスタンツァは久しぶりに間近に見る親友の顔に、深い影はあることにすぐ気づいたのです。
「カテリーナ、私、あなたのほうが心配だわ。」
「え?」
「最近、ぜんぜんリュートを弾いてないじゃない?」
「それは・・・いろいろ用事があって忙しくて。それより一人でゆっくりとステファンからの手紙を読みたいでしょう? 私は部屋に食事を運ばせるように言いつけてくるわ」
立ち上がって部屋を出ようとするカテリーナに、コンスタンツァは呼び止めます。
「カテリーナ、なぜ昨日のこと、聞かないの? ルカと言い争っていたこと。」
「それは・・・あなたが話したくなったらでいいわ。」
「気にならないの? 聞いてしまったのでしょう?」
「・・・・。ごめんなさい、コンスタンツァ。ルカから、ひどいことをされたのよね。私、自分のことでいっぱいで、あなたに起きてしまったこと、気づいてあげられなかった。」
「ステファンには黙っていて。お願い。」
「ええ、もちろん黙っているわ。誰にも。」
「ジュリオにも。」
「ジュリオ・・・彼には、もうお会いすることも手紙のやりとりをすることもないと思うわ・・・。だって、そうでしょう?私は彼を忘れなきゃいけないの。大切な弟が神様のもとに行ってしまって、疫病がすべてを変えてしまったわ。私はほかにどうすれば良かったの?もうリュートなんていらない。何もいらない。ジュリオさえ一緒にいてくればいい!でも、もうお別れの手紙を出したの。あの珊瑚のネックレスもお返ししたわ。だって、それ以外に私はどうすればよかったの! ジュリオに会いたい!でももう会えない!」
ずっと堪えていたであろう涙が溢れ出したカテリーナを、コンスタンツァは優しき抱き寄せ、落ち着くまで背中をさすってあげたのでした。
妻マリアグラツィアに督促されて、ファビオがルカにカテリーナとの婚姻について話そうと再び部屋に呼んだのは、ルカとコンスタンツァの言い争いの3日後でした。ところが、その話を出す前に、ルカは先回りして「しばらく戻っていないので、実家のベレッツァ家に戻りたい」と申し出たのです。
「疫病も収まりましたが、家族も私の身を心配しておりますし。最新式の簿記の方法は一通り学べたかと思います。今までのご厚誼、大変感謝しております。」
無難でそつのない、ただ、熱意があまり感じられないその態度に、再び違和感を覚えたファビオは、戻りたいというルカの意思を尊重し、特に引き留めずに帰国の便の準備をすることにしたのです。
というのも、このときファビオの頭の中には、一人、婿候補のあてがあったのでした。それはカテリーナの音楽の先生であるバルバリーゴ家のサンドロの弟で、ここ6年ほどキプロスの商館長の補佐役として駐在していたのですが、まもなく本国に戻ることになっていたのです。
-バルバリーゴ家の三男パオロなら、家柄も人柄も申し分ないので妻のマリアグラツィアも納得するだろうし、実務能力も充分なので、フォスカリ家の後継者として安心して家とカテリーナを任せられるだろう-
そう考え、この話をすると、案の定、マリアグラツィアは大変な関心を示してきました。
「あら、あなた、そんないい方がいらしたなんて。どうして今まで言ってくださらなかったの?」
「いや、パオロ・バルバリーゴをキプロスから帰任させるという話は、つい最近決まったばかりなんだ。もちろん彼の意思を聞いてみなければならないが、バルバリーゴ家の次期当主たる長男はすでにしっかりと実務についているし、お互いよく知る家同士だから、可能性は高いのではないかな。」
「それで、いつ帰国される予定なの?」
「まだいろいろ引き継ぎもあるから、ふた月は先になってしまうとは思うが、戻ってきたらすぐカテリーナと引き合わせてよいか、ご当主に相談してみよう。」
「ああ、あなた、何としてでもあの子が18歳のなる前に婚約だけでも」
先日のカテリーナとの話し合いで、娘は婿養子をとる覚悟があるとはわかったものの、ファビオとしても、娘の覚悟が鈍らないうちに事を進めたいと考えていました。
そんな中、ステファンからの“まもなく迎えに行く”という手紙を読んだコンスタンツァは、やっと体調が落ち着いてきて、国に戻る準備を始めたのです。
ジュリオとの別れを一番の親友に側にいて慰めてほしいカテリーナでしたが、新婚早々離ればなれになってしまったコンスタツァを、これ以上引き留めるわけにはいきません。一緒に喜んでステファンの迎えを待とうと、身重の彼女のために準備を手伝いました。
そうして、カテリーナがリュートを全く触らないで、すでにひと月が過ぎていたのでした。