中庭での晩餐
第17章
その片腕の男性は、威厳のある風貌と所作がありながら、どこか温かみのある話し方で会食の雰囲気は和やかに始まりました。そしてただジェロームとだけ名乗られたのです。
「私はお若い方々のお話を聞くのが、とても好きでね。ぜひ面白い冒険譚や興味深い体験などお持ちでしたら、本日の余興に披露していただけないだろうか?」
片腕の賓客の素性を深く探ってはいけないのだな、とすぐ察したジュリオは、自分は今医学生の身ですが、と自己紹介した上で、
「冒険譚というほどではありませんが、最近とても刺激的なことがございました」
と先陣を切って話し出したのです。
「こちらにいらっしゃるベレッツァ家の皆様をシチリアにご招待した張本人は私です。そのきっかけが、ご先祖様が引き合わせたのではないかという偶然の発見がきっかけで。」
「ほほう?面白そうな話だな。」
「はい。少しお話は長くなりますが、ご容赦ください。もともと我がベレッツァ家には、遠い昔のサラセンとの戦いで手にした報償の剣が、代々当主の証として伝わっておりました。私の曾祖父は、当主に立場でありながら僧籍に入ってしまったため、その剣は一時ヴァティカンで保管されていたのだそうです。曾祖父は教皇軍付の医師という珍しい立場だったそうです。」
「あなたと同じ、医術を学ばれていたのですね。」
「はい、曾祖父は私と同じ、ナポリにフェデリーコⅡ世大学で医学を修めました。その曾祖父アルフォンソは神父になる前に、ある女性との間に子どもがいたそうで、その母子との生活のため、家宝だったその剣を担保として、フォスカリ家の当時のご当主にお金を用立ててもらったのだそうです。」
ここで、カテリーナの父が口を開きました。
「いえ、担保といいましても、その前に当時の我が家の当主が商用の旅先で大怪我をしたところ、医学生だったころのアルフォンソ殿が無償で治療してくださり、命を助けてもらったという大変な恩義を受けていたのですよ。どんなに返しても返しきれないそのお礼としての援助であり、最初から担保など必要なかったのです。そのため何十年かぶりでヴァティカンから“宝物庫でその宝剣が見つかった”と秘書館長殿から連絡があったとき、すぐ権利を放棄してベレッツィア家にご返還ください、と私の父は返事したそうです。」
「同じ医学を志していたということで、私は勝手に会ったこともない曾祖父に親近感を感じておりました。祖父が当主の証であった宝剣を持ち帰ってきたときは、大変な喜びようで、まだ幼かった私に何度も見せてその由来を語って聞かせてくれたこともあって、ナポリに行ってから、いろいろ曾祖父ことや宝剣のことを調べはじめまして。そんなとき、宝剣の記録に残っていた記録と実物にちょっと違いがあるのに気づいたのです。」
そこまでただ穏やかな表情で話を聞いていたジェロームでしたが、好奇心をおさえられなかったようで口を挟みました。
「その当主に証という剣は、宝剣ということは、実戦向きのものではなかったのかな。」
「はい、ジェローム様。鞘や柄に宝石などが象嵌された、見事なものでした。その象嵌されていたはずの紅珊瑚が、カーネリアンか何かの石に付け替えられていたのです。果たして紅珊瑚がどこに行ってしまったのか、行方を知りたくなりまして。それで、ちょうど指導教授の使いでヴェネツィアに行く用事があったので、そのついでヴァティカンに立ち寄って、調査することにしました。おそらく付け替えの修理はアルフォンソ神父が所持していた頃にローマで行われていたようでしたので。それが半年ほど前の話です。」
「神父が持つ宝剣か・・。」
「ジェローム様、どうなされました?」
「いや、続きを聞かせてくれ」
「はい、そしてヴァティカンの図書館で当時の秘書館長レオナルド・ブロンヅィーノなる人物の手記を発見したのです。」
「ああ、父マリオ・フォスカリに宝剣について連絡をくださった方ですね。アルフォンソ神父とも親しかった方だとか。」
「はい、その手記によると、そもそもアルフォンソ神父はある日、保管していた宝剣を宝物庫から持ち出したまま行方不明になり、15年以上たってから宝物庫の奥で、宝剣をかかえたままご遺体で発見されたそうなのです。そして手記には修理のことも書かれていたので、その修理を請け負った工房にすぐ向かいました。そこで・・・」
「ちょっと待ってくれ、その、アルフォンソ神父はなぜ宝剣を持ったまま亡くなられていたんだ? 誰かに殺されたのか?」
先ほどまで穏やかだったジェロームが声を上げました。
「心臓発作だったようです。宝物庫の奥に、その秘書館長もご存じなかった隠し部屋があったそうで、そこで発見されたと。周りには脱ぎ捨てた外套と、パンか何かの包みしかなかったそうです。」
「そうか・・・。」
「ジェローム様?」
「いや、すまない。続きを聞かせてくれないか。」
「はい、そして私は紅珊瑚の行方がわかるかもしれないと、金細工師の工房を訪ねました。そこで、偶然にも、フォスカリ家をよくご存じの方々とお会いしたのです! しかも、私と遠い親戚筋に当たるということが判明しまして。その方々、奥様とそのご子息だったのですが、ヴェネツィアに向かうご予定だったので、お言葉に甘えて一緒にヴェネツィアに向かい、フォスカリ家の皆様にお引き合わせいただくことができました。しかも、探していた紅珊瑚も、なんとその奥様がお持ちになっていらっしゃったのです! 本当に驚きました。」
「ジュリオ殿、実に興味深い話をありがとう。お礼に私の若い頃の苦い体験をお話しましょう。」
ジュリオの話を聞いていくうちに、ジェノヴァで裏仕事をし、危ない橋を渡っていた若い頃の体験を思い出したジェロームは、印璽運搬にまつわる事件を思い出したのでした。そして印璽を宝石だと言い換えた以外は、そのまま自分の体験談を話したのです。
その場にいた一同は、食い入るようにジェロームの話を聞き、ジェロームはこう話を締めくくりました。
「あのときの神父がアルフォンソ神父かどうかはわからない。きっと永遠にわからないままでしょう。でもあれがきっかけで、私はまっとうな人生に舵を切る決心がついた。それからもいろいろあったのだが、ある意味、私にとってもあの神父は私の恩人なのだろうな。」
しばらくの沈黙ののち、カテリーナがジュリオに告げました。
「ジュリオ、あの紅珊瑚のネックレスについて、失礼なことを言ってしまって本当にごめんなさい。そんな貴重な品だったなんて。私、ジュリエット様にも謝らなくてはならないわ。」
「ジュリエット様というのは?」
「はい、ジェローム様、言いそびれましたが、フォスカリ家に私をご紹介してくださったヴァイツァー家の奥様のことです。ヴァネツィアへ、ご自分の師匠でもあった薬学の先生のところに行かれるところでした。」
「おお、それで思い出しました、ジェローム殿。ご所望でした本をやっと本国より取り寄せることができましたので、持って参りました。お納めください。」
大使が取り出したのは、『万人のための薬草学』
「あら、ジュリエット様の師匠であるマリアンヌ様の本ですね。ジェローム様も医療の専門家でいらっしゃるのですか?」
カテリーナの無邪気な質問に、笑い出すジェローム。
「これは、なんと素晴らしい晩餐なんだ。ふふ、そうですね、カテリーナ様。あなたはリュートの名手と伺っております。私のために一曲お聞かせいただけないでしょうか? そのあとで、あなたのご質問にゆっくりとお答えしましょう。」
【参照】スピンアウト作品『ジェロームの半生』
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