母と息子
第4章
ローマまでの途上、ジュリエットは、息子ステファンにいままで詳しく話していなかった自分の半生を打ち明けることにしました。コンスタンツァに話した家族の歴史は、あくまで自分の養母がソフィーであるという前提で、珊瑚のネックレスはエレノアが娘のマリアエレナ怪我の治療のお礼としてマリアンヌに伝わったものが、ソフィーに受け継がれ、それを自分が受け継いだ、という半分本当で半分作り話という内容でした。
息子ステファンには、今こそ真実を伝えるべき機会だと感じたのです。
ステファンはいままで特に尋ねてこなかったものの、ジュリエットが何か法王と特別な繋がりがあるとは感じていたでしょう。それに薬剤師としての知識と経験も不思議に思っているに違いありません。ジュリエットは、幼いときにロバートを治療してくれたマリアンヌのことは自分に薬草学を指南してくれた先生だと話していましたが、もしかしてマリアンヌがジュリエットの本当の母親だと思っているかもしれません。ロバートとの出会いはローマで、一時修道女見習いの立場で法王のかかりつけの治療師として勤めていた、という話はしていましたが、今回の旅行も、その法王が重篤だということで駆けつけることに、違和感を抱いているはずでした。
「あなたは何も聞かないのね、ステファン。なぜあなたの父上が私とあなたにこの旅をすすめたのか。」
「母上がお話になるのを待っておりました。ただコンスタンツァが少し驚いていましたよ。今さら重篤の法王猊下のところに急いでも、母上が治療するという段階ではないでしょう、と。」
「そうね、ステファン、あなたは母親の過去を知るべき時期だわ。」
息子が真実を知ったらどう思うかという緊張で、言葉に詰まっているジュリエットを見て、ステファンは静かに微笑みながら言いました。
「母上、まだローマは先です。時間は充分にありますよ。決心がおつきになられてからでも・・・」
ステファンの落ち着いた態度に安心し、大きく深呼吸をしてから、ジュリエットは自分が孤児院で育ったこと、そこでマリアンヌが母代わりとなってくれていたこと、一度イスラム教徒であるキプロス王の妻であったこと、そして、自分の本当の父と母が誰なのか、1日かけて息子ステファンに語り始めたのでした。
「あの紅珊瑚のネックレスの最初の持ち主、あなたの曾祖母に当たるエレノア様のことから話しますね。といっても私も直接お会いしたことはないのだけれど・・・。」
ジュリエットとステファンがローマに近づいたのは、夕方遅くになる予定だったので、ヴァティカンに到着する前夜に、今は司教館となっている、かつてのエレノアが生まれ育った郊外の館に一泊することになっていました。レオナルドは1年前に逝去していて、そこであの郊外の司教館で新しい秘書官長が出迎えてくれたのです。
「猊下のご容態はいかがなのでしょうか?」
挨拶もそこそこに、ジュリエットは新秘書官長に尋ねました。
「昨晩から咳き込みが酷くて、ただいま医師の治療を受けております。ここ最近定期的に咳の発作がございまして。落ち着かれるまでは、訪問をお待ちいただけないでしょうか?」
「咳を抑える薬の処方は、私も心得がございます。よろしければ私も看護のお手伝いをさせていただけないでしょうか?」
「母上・・・」
ステファンがそっと母の肩に優しく片手を置いて落ち着かせようとしなければ、ジュリエットは無理矢理でも押しかけてしまいそうでした。
はっと、我に返ったジュリエットは、左肩に置かれたステファンの手に自分の右手を添え、
「秘書館長殿、失礼いたしました。それでは明日の訪問を控えます。そちらからのご連絡をお待ちしております。」
と困り顔をしていた秘書官長に告げたのでした。
「ご子息はローマが初めてなのでしたら、明日は一緒にローマ市内を見て回られたらいかがでしょうか?よろしければこちらで案内人もおつけしましょう。」
「お気遣いいただき、恐縮です。ご存じのように私も若い頃、ヴァティカンにおりましたので、道案内いただかなくとも大丈夫かと。市内で行きたい場所もございますし・・・。」
「では明日朝、馬車を向かわせましょう。ここまでの道のりで馬も御者も休養が必要でしょうから。」
秘書館長の厚意にお礼を言いながら、ジュリエットは、自分の息子が今さらながら自分の背丈よりずっと大きくなり、精神的にも大人になっていたことに気がつかされたのでした。
「母上、ローマ市内で行きたい場所というのはどちらですか?」
秘書館長が帰ったあと、ステファンに聞かれたジュリエットは、ローマに来たもう一つの目的について、ステファンを相談することにしました。
「ローマ市内に、とても素晴らしい金細工師の工房があるの。そこで、あなたとコンスタンツァの結婚指輪を用意してはどうかしら? 実はね、私がプロポーズされたとき渡されたあの真珠の指輪も、そこで作られたものなの。あなたの婚約の時には、時間もなかったし、父上から譲られた指輪をコンスタンツァに贈ったでしょう? 結婚指輪は新しく作ってはどうかしら。」
「でも、作るのに時間がかかるのでは? そういえば、あの珊瑚のネックレスは作り直されるのですか?」
「それも考えたのだけれど、コンスタンツァにとってみれば、あなたが彼女のために作らせたもののほうが、純粋に嬉しいのではないか、と思い直したの。一応ここにあの珊瑚のネックレスは持ってきてはいるのだけれど。」
「分かりました。母上、とりあえず、明日一番にその工房に行きましょう。」